日々のこと(日記)
アレコレ
2017年04月04日
先週あたりから、細かいアレコレが起こっています。本当にね、些細と言えば些細なことばかりで、結局ね、エゴに基づいた主張のモノ事だったりします。
ただ、それに干渉波を受けている僕(たち)も、そこから学ぶことがあるので、体験しているわけです。
この事に関わっているすべての立場(主導、受け身、間接的関与もろもろを含む)が学ぶ必要があって、今ね、数人で体験していることは『時空の縮図』(大げさですね・笑)のようなものです。
僕の立場は、どちらかというと主導側というか当事者であり、渦中にいるわけですが、意外と楽しい(アレコレ考えると大変なんだけどね)んです。なんだかさ、ボディを失くしたエクサピーコが応援してくれているようでもあり(ボディを持っているエクサピーコもね)、ああなるほど、こういうふうにやると、こういうふうに…彼はこういう状況でおそらくもっとキツイことを体験していたんだなあなんて思ったりしています。
僕の子どもの頃からの感覚で、日記にも再三書いているのですが、父親が感情的に怒ったことがほとんどなかった(叱られたのは年中です)のと関係していますが、目上・年上の人が買の情的になるなんてありえない、というもの。反対に年下から年上の人にはいいという(笑)、一見わけわからない感覚を持っています。簡単に言えば、下の人がモノ申すのは良いけど、上の立場の人が同じようにやったらパワハラだという、今の言葉で言うとそんな感じですね。
でも、いかにも『あいつ怒ってバカだよね~』という態度と発言はいいんです。だって、周囲からもそうちゃんとわかるでしょ?
読んでも、いったい何を書いてんだかわからない、そう読んだ人が思ってOKなんですよね。この日記は。
ほら、自分で考えて、空想(妄想ではなく)する余地があるのっていいでしょ?
しゃべることも、書くこともたくさんあって、長い。と言われます。
先日の(好評なので次回もあるらしい)関ジャニの番組に谷村新司が出て、要約すると、今の歌の詩は言葉が多すぎる。昔の歌や谷村の楽曲は字が少ないから、聴く人が自分で想像する余地がある。というもの。
小説ではなくて、ポエムのようにしていきたい(しゃべりもね)、って思っても、ついついあまり要らないディテールに凝ってしまう。誤解なく相手に伝わるためって思っていますが、言葉の文字数と比例ではないんですよね。チャンチャン。
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ただ、それに干渉波を受けている僕(たち)も、そこから学ぶことがあるので、体験しているわけです。
この事に関わっているすべての立場(主導、受け身、間接的関与もろもろを含む)が学ぶ必要があって、今ね、数人で体験していることは『時空の縮図』(大げさですね・笑)のようなものです。
僕の立場は、どちらかというと主導側というか当事者であり、渦中にいるわけですが、意外と楽しい(アレコレ考えると大変なんだけどね)んです。なんだかさ、ボディを失くしたエクサピーコが応援してくれているようでもあり(ボディを持っているエクサピーコもね)、ああなるほど、こういうふうにやると、こういうふうに…彼はこういう状況でおそらくもっとキツイことを体験していたんだなあなんて思ったりしています。
僕の子どもの頃からの感覚で、日記にも再三書いているのですが、父親が感情的に怒ったことがほとんどなかった(叱られたのは年中です)のと関係していますが、目上・年上の人が買の情的になるなんてありえない、というもの。反対に年下から年上の人にはいいという(笑)、一見わけわからない感覚を持っています。簡単に言えば、下の人がモノ申すのは良いけど、上の立場の人が同じようにやったらパワハラだという、今の言葉で言うとそんな感じですね。
でも、いかにも『あいつ怒ってバカだよね~』という態度と発言はいいんです。だって、周囲からもそうちゃんとわかるでしょ?
読んでも、いったい何を書いてんだかわからない、そう読んだ人が思ってOKなんですよね。この日記は。
ほら、自分で考えて、空想(妄想ではなく)する余地があるのっていいでしょ?
しゃべることも、書くこともたくさんあって、長い。と言われます。
先日の(好評なので次回もあるらしい)関ジャニの番組に谷村新司が出て、要約すると、今の歌の詩は言葉が多すぎる。昔の歌や谷村の楽曲は字が少ないから、聴く人が自分で想像する余地がある。というもの。
小説ではなくて、ポエムのようにしていきたい(しゃべりもね)、って思っても、ついついあまり要らないディテールに凝ってしまう。誤解なく相手に伝わるためって思っていますが、言葉の文字数と比例ではないんですよね。チャンチャン。
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