日々のこと(日記)

画像: 自分という部分はどう生かされるか(足立育朗と語る より)

自分という部分はどう生かされるか(足立育朗と語る より)

2019年02月08日

足立育朗と語る 212-214ページ【自分という部分はどう生かされるか】

 要するに自我が拡大して、自我と欲が拡大していて、顕在意識が主体だというふうに思い続けたい状態ですと、それはもうそれを拡大し続ける以外にはないんです。自然の法則に反するか、反さないかは、関係なくなってしまうわけで-すから。要するに、例えばこの文化のEGHOの文化の特徴は、そこですから。

 自分にとってというのが前提になっているわけです。ですから、『私が、こう思います』『私は、こうしたいんです』というのが基本でしょう。それがなかったら、生きている意味がないじゃないかというのは、EGHOの文化だからそう思うだけです。自然の仕組みを、より深く理解して、気づいたら、――ですからEVHAの文化に移行するときに、危険な部分はそこなんです。

 要するに、EGHOの文化の方が知識が豊富で、知識でEVHAの文化を受け止めても、EVHAにならないんです。要するにEVHAもどき、EVHAまがいになっても、EVHAにはならないんです。
 それはどうしてかというと。EGHOの文化だったら、命令しないで秩序が保てるわけがないと思ってしまうんです。それはどうしてかというと、自分が自我と欲望の振動波で受振、発振して、それをもとにして生きていこうと決心しているんですから、その意識の変換をしていない方が、命令をしないで成り立つわけがないと思ってしまう。

 なぜかというと、自分が自我とEGHOを限りなく増幅して、拡大するという決心をして生きているわけですから、混乱が起きて、そんなこと成り立つわけがないからというのはわかっているわけです。自分がそういう生き方をしているんですから。

 自分が変わらない限り、絶対秩序は保てないんです。ですからEGHOの意識を持ち続ける限りは、いくら未来を推理、推測しても、混乱が起きて、そんなことが成り立つわけががないから、『EVHAの文化、冗談じゃないよ』というのが、当たり前です。その通りです。
 大部分の方は、そう思うのは、自分がEGHOの文化をそのまま続けようという決心をして、自我と欲望を拡大するという顕在意識で、自分の肉体をいちばん大事にしてという、それを決心して実行しているからです。

 その意識の変換をしない限りは、混乱が起きて、絶対に成り立たないというふうに、自分がそういう実行をする決心をしているんです。
 ですから、『自分が』というのをなくして、生きている意味がないと感じる方にとっては、これは、私がお伝えしていることを受け入れないとおっしゃるのは、まさにその通りなんです。

 それを説得しても、意味がないんです。どうしてかというと、いつもお伝えしていますし、『波動の法則』の最初の前書きでお伝えしているように、メッセージでは、気づいた方が実行してくださればいいんです。それしかないんです。自然の仕組みは。
 ですから、説得するのではないんです。議論するのではないんです。自然の仕組み、EXA PIACOさんというのは、気づいた方が、自分で決心して実行する。ですから、命令される必要がなくて、自分で実行しているから、自分で同調できるんです。

 気づきが起きているというのは、そこです。これは、議論して、説得して、納得してという顕在意識の状態というのは、自我と欲望を前提にして、それを拡大していく、そのなかで我慢するわけです。我慢をするというのはこれは常に自我と欲望命令を前提にした秩序なんです。ストレスがたまるんです。ですからストレスがたままったら、他に行ってストレス解消しなければならないという現象が、必要になってしまいます。
 でも、EVHAの文化ではストレスがたまらないですから、ストレス解消する時間は必要ないんです。ですから、仕事も、遊びも、ファミリーも、ビジネスも、みんなひとつなです。その区別はないんです。必要ないんです。

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