日々のこと(日記)
従姉のお姉ちゃん ☆
2020年10月21日
ボクは三人兄弟の長男なので、兄や姉がいるというのはとても羨ましいなあって子どもの頃から思っていたんですよ。
母親から電話があって、三つ上の従姉と最近話したことから
母親の兄、だから叔父さんの子どもたちは三人姉妹で、叔父さんには男の子がいなかった。だからか、夏休みに毎年遊びに行くと面白すぎてね。あ、群馬県の昭和村というところが母親の実家なんですけどね。祖父母と叔父さんたち家族、祖父の妹、従姉妹のうちわけは、上のお姉さんは受験生、真ん中の今回の母親と話したのがみーちゃんが三つ上、一番下のあやちゃんが二つ下。
僕らが行くと、大変でうるさくて、受く験生のさっちゃんには迷惑かけたなあ、って思うんです。他にもたくさんね。
では、毎年の夏休みにどんなことがあったのか、というのを羅列しますよ。もう両津勘吉の子どもの頃のお話しみたいなんですが…。まるでマンガだよなあ。
A 男の子とはバカが出来るので、叔父さんがハメをはずす。四の字固めで羽交い絞めにされて、『屁をぶっこくぞ』と言われて、ホントにされる。臭い…父親はそんなことしなかった(そりゃそうだ)ので、なんて子どものような大人だと思ったり。
B 土間にある囲炉裏で、ハチの子を燻って食べた。おいしかった。
C 林道で畑(トマトや桑)に行くときに、他の従兄弟従妹たちと一緒にトラックの荷台に乗せられて、あ…東京ではトラックの荷台に乗って移動はしないよね。そこで、木の蔦があって、掴まったら切れると思っていたら、切れなくて、ボクが荷台から落ちて…ターザン事件、とか。
D 家の庭の構造が変わっていて、近所の人たちが通路にしている。だから色んな人が通る。驚きだなあ。
E 豪華ではないけど、祖母手作りの蕎麦やこんにゃく、新鮮な野菜が美味しい。味噌も手作りで、あるときお椀の底に得体の知れない虫がたくさん入っていて、祖父に『虫が入っているよ』と言うと、祖父は『虫もつかない味噌なんか食べられるか』と。以来、気を付けて食べているけど、これが美味しい。他の従姉達はどうしていたんだろう?
F 二つ下の弟も一緒に毎年お世話になっていて、弟はちゃんと言うことを聴く優等生で、ボクはね悪戯がはげしい。だから怒られる。電話も近所で共有?で、『近隣の誰それさんに繋いでください』という電話も来る。東京の家ではない新鮮さだ。
上の従姉が電話をしているときに、受話器を置くトコロを何度も押して、電話を切る。そりゃあ、さっちゃんに怒られるよね。
G 真ん中のみーちゃんは面倒見のいいお姉ちゃんで、暑い中一緒にアイスを買ってくれたり、とても好きだった。好きだったっていっても、別に普通の意味だからね。他の従姉妹と雰囲気が違い、堀北真希や榊原郁恵のような人だった。
H 下のあやちゃんと、田んぼのほうに遊びに行った時に、ハチに刺された。子どもの知識で『おしっこをかけるといい』というので、おしっこかけて、と頼んだけど(笑・性的な興味はない)あやちゃんは恥ずかしいよ、と言ってやってくれなかった。そりゃあそうだよね(笑)。
I 叔父さん叔母さんが畑に行ってるときに、庭にあった軽トラックをニュートラルにして、『こうすると動かせるんだぜ』と他の従兄弟と一緒に悪戯を…勢い余って、鶏小屋を壊してしまった。
J とても怖がりな弟を、普通乗用車のトランクに入れて(叔父さんがね)、夜に墓場で肝試し
K ほとんど話したことがないけど、二年生の時に高祖母が亡くなって、お葬式があった。その地の風習でお墓まで運ぶのに小銭やお菓子の包を巻きながら近所の人たちで行列。従兄弟と一緒に一生懸命小銭を拾った。
今から思うと、土葬だよね。母親に訊いたら火葬場もあるけど土葬だった。子どもだから直接は何もしてないのだけど、そいういうことに立ち会えた時代だったのかなあ
L 祖父はもう農業をしてなかったけど、賢明な人で、土曜日には20人くらいの近所の子どもが習字を習いに来ていた。月謝とかももらってなかったけど、こんなにたくさんの人が来るという驚き。この辺りのことは20代半ばでのYOYOでの経験と重なるんです。
ざっと思い出しただけでたくさんありましたね。とても悪戯ッ子でしたよ。それで最近のみーちゃんと母親の話しで、『叔父さんから(みーちゃんは神奈川に住んでいる)今は群馬に帰って来るな』と言われたとか。近所の眼もあるからね、仕方ないよね。
それと同時に、『富士男君はよく私が怒っていたから、私のことを嫌っているんじゃないかしら?』と、えー今も昔もみーちゃんを嫌いになる道理がまったくない。人って面白いよね。面倒見のいい従姉なのに、嫌いになるなんてね。会ったのはもう20年も前だなあ。
と同時に、ちゃんと長男の役割をできてない申し訳なさが、両親や弟たちに対していつもあります。
母親が最近みーちゃんと話したみたいで『小さいころ富士男君をよく怒っていたから、私のこと嫌いなんじゃないのかなあ』と、みーちゃんが言ってたよ、と。御周知のように散々叱られることをしていたので。
子どもの頃も今も、ミーちゃんを嫌いになる要素がない…人の捉え方は不思議だね。
母方の従兄弟は、叔母がいて、少し年上のお姉ちゃんと同学年の従兄弟がいます。ちーちゃんは20年くらい前に突然亡くなってしまっらたので、いとこは三姉妹と男一人。今になって思うと、弟たちもそうですが、同じルーツを持つ、まあ血縁ですよね。
和南城。日本でもそんなにない名字です。元々は滋賀の和南町、そこにあったお城に住んでいた人たちが、落ち武者なんだろうね、群馬の昭和村に流れ着いた。だから、近所は和南城さんだらけ。でも親戚ではない和南さんも存在するって言ってた。日本で数十軒なんだけどね。
和南町には、和南さんも和南城さんもまったくいないんだって。城からの落武者?だったひとたの末裔た。落ちています 笑。
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母親から電話があって、三つ上の従姉と最近話したことから
母親の兄、だから叔父さんの子どもたちは三人姉妹で、叔父さんには男の子がいなかった。だからか、夏休みに毎年遊びに行くと面白すぎてね。あ、群馬県の昭和村というところが母親の実家なんですけどね。祖父母と叔父さんたち家族、祖父の妹、従姉妹のうちわけは、上のお姉さんは受験生、真ん中の今回の母親と話したのがみーちゃんが三つ上、一番下のあやちゃんが二つ下。
僕らが行くと、大変でうるさくて、受く験生のさっちゃんには迷惑かけたなあ、って思うんです。他にもたくさんね。
では、毎年の夏休みにどんなことがあったのか、というのを羅列しますよ。もう両津勘吉の子どもの頃のお話しみたいなんですが…。まるでマンガだよなあ。
A 男の子とはバカが出来るので、叔父さんがハメをはずす。四の字固めで羽交い絞めにされて、『屁をぶっこくぞ』と言われて、ホントにされる。臭い…父親はそんなことしなかった(そりゃそうだ)ので、なんて子どものような大人だと思ったり。
B 土間にある囲炉裏で、ハチの子を燻って食べた。おいしかった。
C 林道で畑(トマトや桑)に行くときに、他の従兄弟従妹たちと一緒にトラックの荷台に乗せられて、あ…東京ではトラックの荷台に乗って移動はしないよね。そこで、木の蔦があって、掴まったら切れると思っていたら、切れなくて、ボクが荷台から落ちて…ターザン事件、とか。
D 家の庭の構造が変わっていて、近所の人たちが通路にしている。だから色んな人が通る。驚きだなあ。
E 豪華ではないけど、祖母手作りの蕎麦やこんにゃく、新鮮な野菜が美味しい。味噌も手作りで、あるときお椀の底に得体の知れない虫がたくさん入っていて、祖父に『虫が入っているよ』と言うと、祖父は『虫もつかない味噌なんか食べられるか』と。以来、気を付けて食べているけど、これが美味しい。他の従姉達はどうしていたんだろう?
F 二つ下の弟も一緒に毎年お世話になっていて、弟はちゃんと言うことを聴く優等生で、ボクはね悪戯がはげしい。だから怒られる。電話も近所で共有?で、『近隣の誰それさんに繋いでください』という電話も来る。東京の家ではない新鮮さだ。
上の従姉が電話をしているときに、受話器を置くトコロを何度も押して、電話を切る。そりゃあ、さっちゃんに怒られるよね。
G 真ん中のみーちゃんは面倒見のいいお姉ちゃんで、暑い中一緒にアイスを買ってくれたり、とても好きだった。好きだったっていっても、別に普通の意味だからね。他の従姉妹と雰囲気が違い、堀北真希や榊原郁恵のような人だった。
H 下のあやちゃんと、田んぼのほうに遊びに行った時に、ハチに刺された。子どもの知識で『おしっこをかけるといい』というので、おしっこかけて、と頼んだけど(笑・性的な興味はない)あやちゃんは恥ずかしいよ、と言ってやってくれなかった。そりゃあそうだよね(笑)。
I 叔父さん叔母さんが畑に行ってるときに、庭にあった軽トラックをニュートラルにして、『こうすると動かせるんだぜ』と他の従兄弟と一緒に悪戯を…勢い余って、鶏小屋を壊してしまった。
J とても怖がりな弟を、普通乗用車のトランクに入れて(叔父さんがね)、夜に墓場で肝試し
K ほとんど話したことがないけど、二年生の時に高祖母が亡くなって、お葬式があった。その地の風習でお墓まで運ぶのに小銭やお菓子の包を巻きながら近所の人たちで行列。従兄弟と一緒に一生懸命小銭を拾った。
今から思うと、土葬だよね。母親に訊いたら火葬場もあるけど土葬だった。子どもだから直接は何もしてないのだけど、そいういうことに立ち会えた時代だったのかなあ
L 祖父はもう農業をしてなかったけど、賢明な人で、土曜日には20人くらいの近所の子どもが習字を習いに来ていた。月謝とかももらってなかったけど、こんなにたくさんの人が来るという驚き。この辺りのことは20代半ばでのYOYOでの経験と重なるんです。
ざっと思い出しただけでたくさんありましたね。とても悪戯ッ子でしたよ。それで最近のみーちゃんと母親の話しで、『叔父さんから(みーちゃんは神奈川に住んでいる)今は群馬に帰って来るな』と言われたとか。近所の眼もあるからね、仕方ないよね。
それと同時に、『富士男君はよく私が怒っていたから、私のことを嫌っているんじゃないかしら?』と、えー今も昔もみーちゃんを嫌いになる道理がまったくない。人って面白いよね。面倒見のいい従姉なのに、嫌いになるなんてね。会ったのはもう20年も前だなあ。
と同時に、ちゃんと長男の役割をできてない申し訳なさが、両親や弟たちに対していつもあります。
母親が最近みーちゃんと話したみたいで『小さいころ富士男君をよく怒っていたから、私のこと嫌いなんじゃないのかなあ』と、みーちゃんが言ってたよ、と。御周知のように散々叱られることをしていたので。
子どもの頃も今も、ミーちゃんを嫌いになる要素がない…人の捉え方は不思議だね。
母方の従兄弟は、叔母がいて、少し年上のお姉ちゃんと同学年の従兄弟がいます。ちーちゃんは20年くらい前に突然亡くなってしまっらたので、いとこは三姉妹と男一人。今になって思うと、弟たちもそうですが、同じルーツを持つ、まあ血縁ですよね。
和南城。日本でもそんなにない名字です。元々は滋賀の和南町、そこにあったお城に住んでいた人たちが、落ち武者なんだろうね、群馬の昭和村に流れ着いた。だから、近所は和南城さんだらけ。でも親戚ではない和南さんも存在するって言ってた。日本で数十軒なんだけどね。
和南町には、和南さんも和南城さんもまったくいないんだって。城からの落武者?だったひとたの末裔た。落ちています 笑。
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