日々のこと(日記)
本人がいいって言うのならいいと思うんだけどな
2016年11月18日
一か月くらい前かな、日記にも書いたけど、谷村新司が『昴』の著作権の印税を放棄しているということを言ってて、今の世の中権利ばかり主張している社会なんだけど、『本人がいいって言ってるのならいいんじゃないの』と。
この場合の『いいよ』というのは、世界中の人たちが『昴』を歌ったり、歌手の人がコンサートやCDなどで使ったりしていいってこと。ある国では昴の歌詞もちょっと違うように意訳されている、それもいいんじゃないのと、懐が深い発言だね。
それと同じように、僕らの仕事も基本的なルールがあって、そのルールに則ってやっているのですが、僕個人にはそれは変更することができない(他の色んな人たちの絡みもあるのでね)のですが、僕自身が、その権利の一部、権利と表現するのかどうかも微妙ですが、それを、『相手がいい感じに対応していいんじゃないの』と思うことがあります。その一部というのは、あまり詳しくは書けない(ほら、他の人の絡みもあるからね)けど、僕の損得(尊徳?)の部分で、仮に僕が損をすることでも、『このくらいだったら、僕は大丈夫だよ』と思えること。それで相手がいい感じになるのだったら、いいんじゃないのと思えることもあります。
でも、大きな枠組みのなかで、僕がそうしてしまうと、それが困る(自分もそうしないとならないのかなって、そうしない自分に罪悪感を持ってしまうのだろうか)人たちもいる。谷村新司の場合だったら、昴の権利の放棄(他の楽曲の権利はあるでしょう、きっと)ということとしたら、他の音楽家も『(谷村がそうしてるから)自分の著作権利も放棄しないとカッコ悪い、カッコ悪く思われるんじゃないだろうか』、なんて思っている人がいるかどうか知らないけど、そんな例えなわけです。
どうしても、今の世の中はお金(マネー)で循環しているから、お金がないとなかなか生活が出来ない。それでもやっている人たちはいるけど、ほとんどはそうならないよね。
谷村新司の、昴の権利を放棄しているという生き方は、その部分はムニーなんじゃないかなあって思った。
ムニーについては、よくわからないけど、手探りで、…いやいや、マネーのエネルギーも必要なんだけど(笑)、一部でもムニーの方向へ、そもそもムニーのことが解んないから、ムニーと思っていても、違ったりして、それも含めて、ムニーだと思う方向に少しずつ転換していくことって大切なんじゃないかなって思いました。理解してから取り掛かろうではなくて、思い立ったら吉日です。久々にこのフレーズが頭に浮かんだなあ(笑)
多分、この日記は読んでない人だろうけど、昨日、10数年ぶりに連絡くれた方が『経済的に立ち行かない。手元にあるものをお金に置き換えたい』という連絡を頂きました。しかるべき方にその事を相談して、出来ることをしようと思いました。出来ることってそんなないんですよ。まずはコミュニケーションかなあと思いました。
なぜか…いつも思う事なんだけど、何かの技術を得たいとか、そういうふうに考える人って多いなってこと。でもその場合は『その技術(なりなんなり)』と、そのことを打ち出していく技術が必要で、それを同時並行していかないと出来ないよね。すでにある調和のとれたものを打ち出していくことが出来ないのに、その両方を同時に習得できる人ってあまりいないんじゃないかなあ。僕の場合は『打ち出すこと』に焦点を絞って、もし余力がったら何かプラスアルファでできたらいいなっと思っています。
さっきの連絡頂いた方も、その両方を恐らく同時にやろうとして、立ち行かなくなってしまったんじゃないかなあ。
ガンダムで言うと、自分でもっと性能のいいモビルスーツを開発して、操縦技術も磨いて…ということ。僕だったら開発はしなくても、すでにある装備を使って、どうそれを活かしたら有効に動けるか、ということをするかなあ。仮に、性能のよいモビルスーツを開発したとしても、それを操縦してくれるパイロットがいなけりゃ、宝の持ち腐れになってしまう。今、足りてないのはパイロットなんだよ…って話しが脱線しました。
ともかく、その見極め。臨機応変に対処できるセンスがあるといいのかなあ。
先週の地球劇場は、ゲストなしの谷村新司単独の、そんなの初めてじゃないかという企画で、『J(ジャパニーズ)スタンダード』10曲でした。
冒頭から『昴』、『案山子(さだまさし)』『いい日旅立ち(山口百恵)』、アリスナンバーから『今はもうだれも』『冬の稲妻』『遠くで汽笛を聞きながら』、『少年時代(井上陽水)』『レイニーブルー(徳永秀明)』、『群青』、『最後のI Love You』。
少年時代は、井上陽水のねちっこい歌い方ではなくて、こっちのほうがいいなあと思う感じで、レイニーブルーは過去に徳永秀明本人とのコラボはあったけど、単独ボーカルもいいなあって思った。群青は8分を超える歌なので、テレビではフルコーラスはほぼなかったそうですが、地球劇場ならではです。最後のI Love You は、91年のアルバム曲でシングルにはまったくなってないのだけど、人気ありますね。作曲三木たかし・作詞秋元康・歌唱谷村新司という珍しい歌ですが、ライブでは30分を超えるラブソングパートでもよく聴く歌です。一緒に暮らしていた二人が、彼女が結婚することになって(どうなんだろう、やはりお金持ちの相手なんだろうか、わかりませんが)、その最後の二人で部屋を引き払うときのドラマ、二つのコーヒーカップが並ばない距離、I Love You 抱きしめたら君のことを引きとめてしまう もうこれ以上 僕のせいで不幸せにできない♪ 三木たかしってポップスから演歌の世界で結構有名な作曲家です。この切ないメロディに、今だとAKBのってつく秋元康の歌詞(川の流れのようにも秋元康なんだよね)、91年のアルバム『君を忘れない』は、それまでのロンドン、パリ、ウィーンのヨーロッパ三部作の後で、まさかの…10曲中9曲が本人以外の作家の作品で構成されたアルバムで、これはこれで驚いたんだけどね。
自分で詞と曲が同時に降りて来る、詞だけ、曲だけも作れて、歌える。でも他の人の作品もできる。この人は天才だなと思った。『君を忘れない』では、タイトル曲の『君を忘れない』がシングルで、作詞は谷村新司・作曲は鈴木キサブロー。この人も幾多のヒット曲を作っている人だよね。
爽やかで、切ない。心地よい余韻のある歌だなあって思う。アルバム唯一の作詞作曲の『昭和』は、91年なので、平成2年くらいかな、これは工藤夕貴が歌ってるね。彼女はアルバム中に三曲ほど谷村楽曲を使っている。当時のプロデューサーから『夕貴には大人すぎるんじゃないの』と言われたそうなんだけど。大人の魅力がかわる女の子(当時・笑)だったんですね。
そう、あーだこーだと描いているけど、読み取って欲しいところは、ムニーのことだからね。
日記一覧です。https://harmonylife.ocnk.net/diary クリッかクして下さい。
この場合の『いいよ』というのは、世界中の人たちが『昴』を歌ったり、歌手の人がコンサートやCDなどで使ったりしていいってこと。ある国では昴の歌詞もちょっと違うように意訳されている、それもいいんじゃないのと、懐が深い発言だね。
それと同じように、僕らの仕事も基本的なルールがあって、そのルールに則ってやっているのですが、僕個人にはそれは変更することができない(他の色んな人たちの絡みもあるのでね)のですが、僕自身が、その権利の一部、権利と表現するのかどうかも微妙ですが、それを、『相手がいい感じに対応していいんじゃないの』と思うことがあります。その一部というのは、あまり詳しくは書けない(ほら、他の人の絡みもあるからね)けど、僕の損得(尊徳?)の部分で、仮に僕が損をすることでも、『このくらいだったら、僕は大丈夫だよ』と思えること。それで相手がいい感じになるのだったら、いいんじゃないのと思えることもあります。
でも、大きな枠組みのなかで、僕がそうしてしまうと、それが困る(自分もそうしないとならないのかなって、そうしない自分に罪悪感を持ってしまうのだろうか)人たちもいる。谷村新司の場合だったら、昴の権利の放棄(他の楽曲の権利はあるでしょう、きっと)ということとしたら、他の音楽家も『(谷村がそうしてるから)自分の著作権利も放棄しないとカッコ悪い、カッコ悪く思われるんじゃないだろうか』、なんて思っている人がいるかどうか知らないけど、そんな例えなわけです。
どうしても、今の世の中はお金(マネー)で循環しているから、お金がないとなかなか生活が出来ない。それでもやっている人たちはいるけど、ほとんどはそうならないよね。
谷村新司の、昴の権利を放棄しているという生き方は、その部分はムニーなんじゃないかなあって思った。
ムニーについては、よくわからないけど、手探りで、…いやいや、マネーのエネルギーも必要なんだけど(笑)、一部でもムニーの方向へ、そもそもムニーのことが解んないから、ムニーと思っていても、違ったりして、それも含めて、ムニーだと思う方向に少しずつ転換していくことって大切なんじゃないかなって思いました。理解してから取り掛かろうではなくて、思い立ったら吉日です。久々にこのフレーズが頭に浮かんだなあ(笑)
多分、この日記は読んでない人だろうけど、昨日、10数年ぶりに連絡くれた方が『経済的に立ち行かない。手元にあるものをお金に置き換えたい』という連絡を頂きました。しかるべき方にその事を相談して、出来ることをしようと思いました。出来ることってそんなないんですよ。まずはコミュニケーションかなあと思いました。
なぜか…いつも思う事なんだけど、何かの技術を得たいとか、そういうふうに考える人って多いなってこと。でもその場合は『その技術(なりなんなり)』と、そのことを打ち出していく技術が必要で、それを同時並行していかないと出来ないよね。すでにある調和のとれたものを打ち出していくことが出来ないのに、その両方を同時に習得できる人ってあまりいないんじゃないかなあ。僕の場合は『打ち出すこと』に焦点を絞って、もし余力がったら何かプラスアルファでできたらいいなっと思っています。
さっきの連絡頂いた方も、その両方を恐らく同時にやろうとして、立ち行かなくなってしまったんじゃないかなあ。
ガンダムで言うと、自分でもっと性能のいいモビルスーツを開発して、操縦技術も磨いて…ということ。僕だったら開発はしなくても、すでにある装備を使って、どうそれを活かしたら有効に動けるか、ということをするかなあ。仮に、性能のよいモビルスーツを開発したとしても、それを操縦してくれるパイロットがいなけりゃ、宝の持ち腐れになってしまう。今、足りてないのはパイロットなんだよ…って話しが脱線しました。
ともかく、その見極め。臨機応変に対処できるセンスがあるといいのかなあ。
先週の地球劇場は、ゲストなしの谷村新司単独の、そんなの初めてじゃないかという企画で、『J(ジャパニーズ)スタンダード』10曲でした。
冒頭から『昴』、『案山子(さだまさし)』『いい日旅立ち(山口百恵)』、アリスナンバーから『今はもうだれも』『冬の稲妻』『遠くで汽笛を聞きながら』、『少年時代(井上陽水)』『レイニーブルー(徳永秀明)』、『群青』、『最後のI Love You』。
少年時代は、井上陽水のねちっこい歌い方ではなくて、こっちのほうがいいなあと思う感じで、レイニーブルーは過去に徳永秀明本人とのコラボはあったけど、単独ボーカルもいいなあって思った。群青は8分を超える歌なので、テレビではフルコーラスはほぼなかったそうですが、地球劇場ならではです。最後のI Love You は、91年のアルバム曲でシングルにはまったくなってないのだけど、人気ありますね。作曲三木たかし・作詞秋元康・歌唱谷村新司という珍しい歌ですが、ライブでは30分を超えるラブソングパートでもよく聴く歌です。一緒に暮らしていた二人が、彼女が結婚することになって(どうなんだろう、やはりお金持ちの相手なんだろうか、わかりませんが)、その最後の二人で部屋を引き払うときのドラマ、二つのコーヒーカップが並ばない距離、I Love You 抱きしめたら君のことを引きとめてしまう もうこれ以上 僕のせいで不幸せにできない♪ 三木たかしってポップスから演歌の世界で結構有名な作曲家です。この切ないメロディに、今だとAKBのってつく秋元康の歌詞(川の流れのようにも秋元康なんだよね)、91年のアルバム『君を忘れない』は、それまでのロンドン、パリ、ウィーンのヨーロッパ三部作の後で、まさかの…10曲中9曲が本人以外の作家の作品で構成されたアルバムで、これはこれで驚いたんだけどね。
自分で詞と曲が同時に降りて来る、詞だけ、曲だけも作れて、歌える。でも他の人の作品もできる。この人は天才だなと思った。『君を忘れない』では、タイトル曲の『君を忘れない』がシングルで、作詞は谷村新司・作曲は鈴木キサブロー。この人も幾多のヒット曲を作っている人だよね。
爽やかで、切ない。心地よい余韻のある歌だなあって思う。アルバム唯一の作詞作曲の『昭和』は、91年なので、平成2年くらいかな、これは工藤夕貴が歌ってるね。彼女はアルバム中に三曲ほど谷村楽曲を使っている。当時のプロデューサーから『夕貴には大人すぎるんじゃないの』と言われたそうなんだけど。大人の魅力がかわる女の子(当時・笑)だったんですね。
そう、あーだこーだと描いているけど、読み取って欲しいところは、ムニーのことだからね。
日記一覧です。https://harmonylife.ocnk.net/diary クリッかクして下さい。