日々のこと(日記)

節分

2017年02月03日

 今日は節分ですね。一年の、季節の分岐点なんですよね。
 動物は与えられた環境で生きているのに、人間は親にこうされたとか、育った環境がどうとか、ずっと抱き続けるのかな。面倒だね(笑)。
 そういうのを続けても、まったく建築的じゃないのになあって思っても、どうも捨てきれないらしい。捨てきれないのはいいにしても、その相手(親なら親)に対して負の感情を持ち続けてもいいけどさ、他の人たちに対しては、そういう気持ちをリセットして接してもらいたいものだよなあって思うのは僕だけ?

 僕は、どうしたら楽しく(大変なことがあっても、楽しくという意味)過ごせるかを模索してしまうんだけど、そうじゃない人もいる。
 そういえばさ、小学二年の時に、いつもブツブツ言ってた子がいた。山崎君だ(全国の山崎君は千差万別だけど)。その彼の言動を見てて、とても不思議に思った。彼がブツブツ言ってることに対して、答えてしまう。そう、答えるのはそういう性格だから。しかし、その会話に対しての答えは返ってこない。
 不思議に思った。よくよく考えると、初めて見た変な人だったのかも知れない。そんな山崎君も中学の時はそれなりに頭が良くなった(成績がね)。50歳の目前にした今はどうしているのかなんて全く知らない。それでもどこかの企業で働いて結婚もして、子どもなんかもいるんだろうか。

 にしても、親からこうされたとか、そういう気持ちを持ち続ける人たちは一定数いる。これは変わらないんだろうな。
 うちの親はどうだったんだろう?
 中学の頃なんかは、同級の友達から『にゃんこ(というニックネームだった)のお父さんって厳しいよな』と言われていたから、それなりに厳しかったと思う。でも優しかったし、恨むとかね…考えないよなあ。一生懸命生きていたと思うし、そういうのって子どもの時ってわかんないけど、有り難かったなというのは思うけど、恨んだりって…考えないよなあ。
 きっとこういう自分には、そういう体験をして忘れられない人の、捨てられない気持ちはわかんないんだろうなあ。想像は出来ても、『それはもう、大人になって何十年なんだから、昔のことを言っててもしょうがないじゃん』って思ってしまう。合理的なんだよね。
 合理的に考えられない、感情が残っているのが人間だね。

 また、僕としては、『こういう辛い体験をしている人なんだから、人の気持ちもわかるだろう』と思ってしまうのも、勝手な思い込み。

 それにしても、今日は節分。豆まきをしたり、恵方巻を食べたり。
 コンビニの人は、恵方巻のノルマがあるとか。太巻きは普通に買おうよ、なんでも季節商売に結び付けないで行こう。

 ともかく節分はエネルギーの分岐点だね。夕方豆まきを家でしました。もう11歳なので、『鬼はお外』とは言いません(笑)。何に対しても『お』を付けることはいいことだと思っています。
 子どもに『金くれー』なんて言われたくありません。でも『お金くれー』なら、いいかなと思います。私達大人も、ちゃんと『お』を付けましょうね。

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