日々のこと(日記)

達者

2018年11月29日

 今日は今年一番の嬉しいことがありました。嬉しいことはたくさんあるんですけどね。
 ココス…矢板にはガストとココスしかファミレスがないので、絵を描いたり、打ち合わせなどでココスを利用しています。店内が明るいし、ドリンクバーの花ビラ入りの紅茶が美味しいんだよね。肉を鉄板で焼いているお客さんがそばにいると臭いのが欠点だけど、これは運次第だからね。
 『アボカドのサラダの小さいのとドリンクバーね』と注文して、まずはスカッと炭酸水を飲みたいと思い、ディスペンサーでグラスに注いでいると、ウェイトレスさんが『アボカドサラダがなくなたったんですよ』と。何日か前にココスのメニューがかわったらしく、でもメニューのサラダのページをパッと見同じようで、まさか変更されているとは思わなかった。
 4種類のサラダの中でどうしようか考えて、シーザーサラダのベーコン抜きにしてもらった。

 このことは表題ともちろん関係なく、時空のしくみは顕在意識で考えてもわからない。アボカドサラダをラインナップから外すのと同じくらいわからない。アボカド美味しいのにね。コストがかかったからなのかな。輸入ものだから季節によって変動したり、あまりにも傷んでいたら食材としてロスしないとならないからね。
 そんなことが、11月末、だからあと一か月ほどで今年も終わる時に起こった。

 サッと読んだ感じなので、細かい描写はわからないけど、『元気』と『達者』。他にも二つ単語が並んでいたけど、うろ覚えなのでね。
 元気は、どちらかというとフィジカルなほうに重点置いた言葉。そして、達者はメンタルのほうなのかな。と受け取った。『口達者』『芸達者』などと言いますよね。そういう意味でもボクは達者なのかな。
 だからというのもありますが、大抵『元気ですね~ 』と見られたり受け取られる。元気じゃなくても達者なんだよね。

 今日さ、もう日付過ぎているから昨日かな、母親から電話があって『お祖父ちゃんの妹、叔母さん(といっても90近く)からリンゴもらったから、少し送るね』ということだった。
 それで、母親はもう70代後半なんですが、いい年ですよね。
 何やらストレスがどのくらいあるかという検査をしたらしく、一体何を測ったんだかわかりませんが、『ストレスを溜め込まない性格』のようでした。そこから、お祖母さん、祖母の話しになって、祖母は若いころ…だから母親たちが子どもの頃だよね。カラダがとても弱かったんだけど、医者から『カエルを食べるといい』と言われたそうです。で、お婆ちゃん時代、なので僕らが生まれていた頃なので、多分50-60代頃ですが、当時30代の母親よりも祖母のほうが歩いたりするのが早くて、とても元気になっていた記憶があります。
 で、、母親が『お婆ちゃんはストレスを溜めない人だったんだよ。それがお母さんに遺伝されているね』と言う。

 三年前に、従姉のお姉さんに会った時、『(私達の)おばあちゃんはものすごくイイヒトだったよ。それで叔母さん(ボクの母親のこと)はおばあちゃんに似ているよ。顔も声もそっくり。』と言う。そういう風に母親や祖母を考えたことはなかったけど、そうなのかも知れない。
 祖母は群馬の田舎生まれ・育ち・死んでいった。家というか、嫁に来た家は…戦国時代くらいに滋賀県から落ち延びて来た落ち武者。滋賀のあるお城にいた人たちが群馬の昭和村で暮らし始めた。というのが記録らしく。まあその地で数百年も結婚を繰り返して(結婚を繰り返したというのは、離婚・再婚を繰り返したということではない・笑)、だから滋賀からのDNAはものすごく薄くはなっているだろうから、でもその地で畑や田んぼを耕して、糧にしてきた家族や周囲の人たちなんだろうな。
 母親からも、ボクが子どもの頃はこんにゃくや桑(蚕のエサ)、トマトを主に作っていたけど、母親の子どもの頃は、田んぼに井戸を作って汲み上げていたとか、手伝ったよ。なんて言っていました。家は茅葺屋根の大きな家で、二階というか屋根裏は蚕を飼う場所だったとか。
 なので、ストレスを溜めない性格というか生き方みたいのは、滋賀からのというよりも、きっと群馬の土着(笑)の傾向なのかも知れない。

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 そして、今日、家内と息子と、なんか他愛のない会話のなかで、
 ボクは子どもの頃から『大人の人(20歳を超えているオジサンやオバサン)は、些細なことで怒ったりしない。同年代の子どものなかで癇癪を起すコなどもいるけど、大人になったらそんな人はいないでしょう』と思っていた。と話してた。
 すると息子が『大人の人はわがままな人が多いよ』『(パパが思ってたのは)理想的すぎる』と。
 それに続けて、『パパは子どもだからね』と

 だって、生まれてから20年も経って大人(オジサンとオバサン)になる。20年以上生きている人がワガママだったり、すぐに怒ったりしちゃうのは変でしょう?って思っていた。あまりそういう気難しい大人が身の周りに少なかったからなのかなあ。
 スバルの人生で会っている大人たちってそんなに多くないよね、ワガママに見えてしまうって誰?それともネットやニュースの中で見聞きする人たちや社会のことなんだろうか。
 君の先生たちは素晴らしい人が多い(割合でね)と思うよ。そういう出会いって確率的になかなかないよ。と思うんだけどね。
 

 ボクは、子どもの頃は『大人は凄い(はず?)』と思っていて、父親に、大人は何でも知っていると思って『宇宙はこういうふうに出来たのかな?お父さん教えて?』もちろん、『お父さんは解らないなあ』と応えられたし。
 小学三年生の時に、友だちとタイムマシンを作って、『このままじゃ地球は大変になるから、みんなで昔に行って、昔の人たちに話しに行こう』としていました。
 ちょうど、三年生の担任の小原先生はその年に大学を卒業した新任のキレイな先生でした。学校の先生は大学を卒業しているのだから、原子力エンジンくらい作れるよ(当時、原子力エンジンが一番凄いと思っていたから)と。
 小原先生は、『先生の勉強してきたことでは原子力エンジンは作れないなあ』と、そりゃあそうです。小原先生も素敵な人でしたよ。もう40年も前のことだけどね。
 
 でも、そのくらいのことを大人だったら出来るはず。と思っていた子どもでした。ホント無茶苦茶ですね。

 まあ、ともかく、息子がそんなふうに冷静に人を大人たちを観察しているんだ。ということに驚きました。ボクは子どもなので(笑)。ともかく、達者です。

 そして、家内が『我が家はみんな繊細だから、図太い神経なのはパパだけ』と。ボクは図太いじゃないんだよ。仕方ない、ルーツがそう、ポジティブな方向で学ぶ文化なんだよ。勘違いしちゃダメなのは、忍耐をポジティブな方法論で学ぶ。であって、忍耐を学ばなくていいということではない。むしろ、『忍耐を学ぶのにネガティブな方法論でもいいよ、学ぶんならどっちの方法でもいいよ』といだからうのが時空の仕組みなのかも知れない。
 ココで言っているルーツは、群馬とか滋賀とかの話しじゃなくてね。もっと遠いトコロのことだからね。かと言って、家内と息子がネガティブから学ぶ文化がルーツとは思えない。僕が、今回の人生でもそういう家や大人になってから(だから20歳のオジサンになってからも)そいう環境に身を置いていたというのがあるんじゃないかな。でも、どちらの方法でもいい。元気じゃないけど達者ならばね。

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