日々のこと(日記)

20年前の映像~必要最小限

2019年01月28日

 20年、ちょうど20年前の1999年の非公開の映像を見て…WKBさんはほとんど変わっていない。『こういうところに出ると、ボクの自我が増幅して…』と、うるさいなあ。
 その他の人も、20年前の姿が映像になってた。ボクも30歳だ。A君はメガネをかけているか、かけていないかの違いだけで、ヤバそうなのは変わらない。白井さんの姿も、西沢さんも20年前のものだった。卓朗さんは髪を指でクルクルとしてた。今は還暦を超えている人が40代だ。
あの頃はあんなにたくさんの人がいたのにね(今もほとんど生存しているでしょうけど)。

 それで、現在のお話しです。ほんの数日前のことなので。
 👨『〇〇さんは楽しんでいますが、それって〇〇さんのエクサピーコはとても悲しんでいるんですよ』と、言われたらしいです。

 そのことを伝えた人は、みなさんが想像している人とは違いますけど、なかなか鋭いというか痛い指摘ですよね。
 だから『楽しい』というのは、本質が喜んでいるのだったら素晴らしいけど、顕在意識のエゴが楽しいと感じてしまうことを、『魂が喜ぶことだから、人生は楽しまないと』となど表現してしまうコトって…なんですよね。

 時空の要請、時空が望むことを自分の顕在意識も楽しいと感じられる自分になろう。そうなった時の顕在意識はエゴではなくて、エヴァに…場合によってはもう少し違った状態になっているんだろうな。
 自然の仕組みは必要最小限だから。
 『(人に)夢を見てもらいたいんだ、夢を与えたいんだ』と、でもその“夢”って表現されているのが、欲の場合もあるよね。何を楽しいと感じられる自分か?ということに直結だ。だからと言って、修行僧のように禁欲生活(笑)のようなのは違うし、必要最小限でいいんだよね、というのを嬉しくて楽しいって感じてしまう自分ってことですね。

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