日々のこと(日記)

名前

2018年08月09日

昨日から読んでいた本、日本人の名前の歴史。
いろんな解釈改憲があるだろうけど、古くは時の天皇陛下から賜った(賜ったなんて、日記には書かないけどね)姓や名前、武士の時代のもの、明治維新以後の戸籍を作るときに、地域の和尚さんから名付けてもらったものまで。
どんな経緯にしても、祖先が命懸けで切り開いてきた、武士なんなだったら領地とか。そんなに大げさじゃなくても、開墾した地域、そこに住んでいた人だから、、、って
そんな名字、苗字があるわけですよね。
日本人の苗字には、風景が浮かぶ名称が多いね。山、川、林、池
、海とかさ、地形なんかが入っているよね。

本には、時代による名前のトレンドなんかまた書かれてたり、明治の戸籍制度は、徴兵するための目的だったみたい。あと、税金を取りたい 笑 。
当時の列強、ヨーロッパでも戸籍は徴兵のためで、日本もそれに並ぼうとしてたとか。

うちの、只野は、父や祖父の出身は宮城県ですが、もう少し前の曾祖父あたりは福島県だったとか。そんで、宮城の曾祖母にあたる人が福島県の只野へお嫁に行き、ほどなくして宮城の家が途絶えしまう、、、この辺りのことは知る人がもう死んでいるので、わからない。
で、福島県で只野となって、宮城に一緒に戻ったらしい。
福島県のどの辺りだったのか?これもまったくわからない。
只野は、ただので、漢字が違うけど、但野やさんや多田さんと大元は一緒なのかな。
今は、市町村名としてはないけど、郡山市の西部地域が、多田野地区で、もしかしてそこに先祖が暮らしていたのかな?って思っています。その当時の多分、明治の頃だろうけど、曾祖母の苗字は遊佐だったみたいなので、これもまたいつの頃なのかわかりませんが、山形県に遊佐町ってあって、でもそこには現在は遊佐って名前の人はいないんだって。だから、いつの時代かに、宮城県に来たんだよね。

そして母方は、群馬の昭和村。こちらも和南城っていう苗字で、滋賀の和南という町があって、昔、そこのお城にいた人達が落ち延びてきて、和南城って名前になった。こちらも戦国時代あたりかな。そこから数百年、群馬で結婚が繰り返されてだから、近畿の血筋は薄いよね、 でも入っている。

今、生きている私たち誰もが、必ず両親がいて、両親にも両親がいる。どう思っていても、必ず先祖はいるよね。
どこに住んでいても、日本でも、世界中で。

自分が、自分がっていうか、エクサピーコが学べたりするのも、そのおかげです。
その学びができるよう、最小限の我欲で充分だね。

余談みたくなりますが、苗字じゃなく、名前の方も、両親などの願いが込められている。
大切に、名付けてくれてありがとう。
ボクは二つ名前があるけとね。両方とも好きかな。

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