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日々のこと(日記)
体育の授業やスポーツについて~監視し合うような社会?
2020年10月09日
 『日本で自粛警察が多いのは、体育の授業の在り方のせいだ』というのがあった。
 おおざっぱに、1 明治時代に富国強兵のための軍事訓練の一環としてあった。例えば懸垂は銃を持ち続けられるため 2 記事の主は高校時代アメリカで過ごして、あちらにもスポーツの授業はあったけど、発想が自由で、サッカーでボール二つ使ってみようか、などをみんな楽しむ。
 などね。

 ボクも嫌いだった。軍のような授業…学校指定の体操着。これってさ、制服や修学旅行などの強制的なこともそうだけど、それで成り立っている商売の人たちがいるんだよね。学校指定の登録みたいのがあると、どうみても営業努力してなさそうな洋品店が潰れない、とかさ。不思議でしょ?家にいる時や授業外でも指定ジャージを着ている人って…なんだか恥ずかしいかなあ。

 うちの側には高校があって、スポーツに力入れている。家に隣接しているのが剣道場で…五月蠅いんですよね。剣道の練習なんだから、竹刀の打ち合う音は仕方ないと思うけど、奇声や掛け声、拍手。数時間疲れてしまいますよ。
 剣道に限らず…他の部も似たようなもんなんだろうなあ。
 過去の日記にも書いているけど、そもそも主にボールを使った競技というのは…多くの人がエキサイトするのはね、成り立ちが危険。例えば野球は、昔黒人を支配するために、持ちかけられたスポーツ。他のボール競技もある程度似たようなもんだと思うんですよ。でもそういうスポーツの人気が高い。
 試合中継の実況や、応援の音声などが聴こえてくると、気が狂いそうになりま

 子どものころ、両親がボクに野球やボーイスカウトに参加させたがっていた。断固としてイヤなのだ。なんとなくそういう空気を感じていたのだと思います。
 息子の昴が三年生の時に、野球チームに入りたいと言う。家内が説明を聞きにいった。そもそも、昴の性格から争うなどのことはやらないだろう、とどうせ飽きるというか、『行きたくない』と泣き出すに決まっている。
 説明では、まず最初にユニホームやグローブなどを揃える、と。えー、続けられるかどうかもわからないのに無理だろう。
 子どもの頃は、野球でもなんでも子どもが勝手に学校などでやって、監督の先生がいる。でもね、今、特に地方は親がコーチやお世話役として全面的にかかわらないとならない。その当時の我が家の状況では無理。無理じゃなくても、そんなのやりたくないよね。
 これも地域のスポーツ用品店の陰謀(笑)だよね。

 運動会や球技大会などについても、やりたい人だけがやればいいんだよね、ホントは。
 今はソーシャルディスタンスなど言って、密にならないようにと配慮されている。
 昴は、五年生の時に運動会の時に風邪でお休み。六年生の時は行かない。中学の三年間ではまったく参加しない。当然修学旅行も行きたくないと。
 まあ、軍事訓練みたいなものなので、それでヨシだよね。
 僕らの時代は、拒否することが難しかった。

 そして、なんか通ってみたい高校は、一応制服はあるんですが、制服を買っても買わなくてもよくって。私服で行っても、制服っぽい服装で行ってもいいと。なんて自由なんだ。でもさ、当たり前のことなんですよね。

 だんだんと変わってきている。がんじがらめのルールがあるものはイヤだな。
 ボクは、フルーツバスケットのようなゲームも、野球なども、ボードゲームも、当然テレビゲームも嫌い。日々のことだけでいっぱいなのに、そんな余計なルールに縛られるゲームとかさ、疲れちゃうよね。
 やりたい人が勝手にやっている分には構わないのですけどね。ただ、中継や大会などはね(オリンピックなどを含んで)やって欲しくないですよね。やりたい人たちが人知れずこっそりやってくれていたらいいのにね。

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