2022年04月26日
こないだ、ある方の名前が話題に出て…そうか久しぶりに電話でもしてみようかなって思いました。
昨年末にiPhoneを新しくしたんです。それでほとんどの連絡先はPCにも記録しているんですが、iPhoneのなかにだけしかなかった電話番号だったので、iPhone8の連絡先を見ようと思ったんです。
すると…電源が入ってなかったので充電して立ち上げようとすると、パスコードの入力が3の辺りのタッチパネルが反応しない。だから起動してくれないんです。困ったね。
なんかどこかにその人の電話番号書かれてないかなって、サイトを検索したりしましたが電話番号は出てこない。十回くらいパスコード入力を試したけどもダメ。
もう仕方ないねと、3を入力出来ない写真を撮って…と、やっている間に画面が消えてしまった(それがこの写真ね)。再度パスコードを入力したら奇跡的に3が反応して、無事に立ち上がったので、電話番号を書き留めました!
バッテリーを0%にならないようにしないと。
そもそも、スマホは電話とメールと外出先でサイトが見れて…でいいんです。ついでに写真が撮れて、天気が知れて、音楽が聴けて、たまに乗る電車の時刻表がわかればいい。なのでアプリとかまったくだし、モバイル決済やネットバンキングなんて使う予定もないからね。
みなさんもこういうふうにデータが消えたりトラブルもあると思うので、あまりスマホなどを頼りにしない生活のほうがいいですよ。と思います。
言葉の意味というか使い方のこと。昨日ね『(自然の仕組みを実践することを)やらない決心をしました』って…一応言われることはわからなくないけども、そういう場合は“決心”って言葉ではないんだけどね。その人の場合は以前も似たようなことを言ってたからなあ。
例えばこんな『私は人を騙す決心をしました』って言うことも、それは決心ではないよね。もっと深堀したのならば『何のために騙すのか?』ということだし、その人に気づいてもらうためのデビックとして騙すということならば、その意味では自然の仕組みに適っていると思うんですよね。
でも前者の場合は明らかに使用方法が違っている。違っているというか意識の深化度合なだけなんですけどね。昔からの言葉にあるでしょ、ウソも方便って。この場合の方便はデビックという意味ですよね。
あ、だからと言って騙していいって言ってるわけではないですからね。
『私には出来ない(自信がない)のですいません』というのと、『やらない決心をしました』というのは何だろう、まったく違ってしまうよね。騙すということで言えば『私には人を騙せる自信がないので 』と『騙す(ウソをつく)決心をしました』…変でしょ?ウソをつくなんてのは、自分にとって損得勘定で得をするからウソをつく場合が多いのに、それに対して『決心した』って表現は変ですよね。『その方のサポートになるのだったら、嘘も方便なので自分が悪く言われてしまうかも知れないけども、その覚悟を決めました』という意味での決心だったらアリかと思うんです。
決心とか忍耐とか、そういう言葉を使いたがってしまう…前も明らかに我慢しているだろうなって方が『私こんなに忍耐しています』なんて言うもんだから、オイオイオイということがありました(笑)。感謝ってのも同じですよネ。
日本語(他の国の言葉でも)で使われている言葉と本来の意味は同音異句というか本質はそんなに甘くないって思うんですよね。
同じ話しをしても、どのように受け取られるかは振動波と時空元、もっと身近な言葉を使えば素直さが違うんですよね。それも自分の出した振動波の一部。その方から学ばせていただく。なんだか有難いですね。ありがとうございます。
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