2018年11月06日
友人のひとりと話していると、自分の甘さが露呈される。どのように生きるか、そしてどのように死ぬのか。ほぼ同世代なんだけどね。何のために生まれるのかはさておき、死んだあとのことを、残された人達のことを考えているみたいだった。死んだ後は、ボディは光と水と空気と土に戻っていく、そしてエクサピーコとしての学びが継続されるわけだけど、残った家族が困らないように…それは資産などを残すとかそういう話しじゃなくて、お葬式やら何やらに、神経を使わせないようにってこと。
子どもたちや残された家族も、それぞれのエクサピーコのテーマで最善を尽くして毎日を過ごしているので、お金を残してラクをさせよよう、なんてのは意味ないっていうか、むしろ学びの機会を奪ってしまうことになるよね。だからと言って、自分が自我と欲を満たすためにお金を使っておきましょう、という話しではもちろんない。
別の人との話しでしたが、社長などをしてお金をこの人生で得ている人は、その本人が頑張ったことではなくて、そのお金をより自然の仕組みに適う方向に使うための学びをするために時空に委ねられたってこと。ちょっと言い方は違ったかも知れないけど、大雑把にはそういうこと。会社の社長なんかじゃなくても、そういうことになっていたら、ちゃんと考えたほうがいい。考えたほうがというのは、損得で考えるんじゃなくて、ちゃんと直観を使って情報を得ようねって話しです。
今日明日は、それなりにやる予定があるけど、今度本屋さんでエンディングノートに関する本を探してみよう。いきなりね、死んじゃうと…死ななくても若年性痴ほう症になったりしたら(友人曰く・笑)周囲があたふたしてしまう。そのためにも書き留めたほうがいい。パスワードとかが必要なパソコンに入力するとかじゃなくて、紙などに、わかりやすく書いておくほうがいいって。パスワードとか数字などの羅列は面倒だからね。
自分では、意外にも最善を尽くしているつもりなんだけど、ホントまだまだだね。
流星
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