2018年11月10日
昨日から、借りて来た三冊の本を、写真集もあるのですが、だいたい読みました。ミヒャエル・モーザーは、オーストリアの片田舎(ウィーンじゃないので)で、初等教育だけを受けてて、この頃、1868年くらいに15歳。そんな彼か、故郷を離れて日本や東アジアに行く船に写真家の助手として乗り込む。希な人生でもあったと思いますが、その点ではなくて、初等教育だけしか受けてなかったのに、日記や両親や神父(学校の恩師)たちに手紙を書いていて、その内容が歴史的にも価値はあるだろうけど、とても信心深い…?人柄が現れている。
あの時代、日記や手紙の内容から、国をあげての事業の船でも航海は危険だし、不慮の事故や日射病やチフスなどで亡くなってしまう船員のことを書かれていた。ましてや船酔いが酷いようだった。数年日本に留まった理由に船で過ごすのが苦痛だったみたいだ。
ヨーロッパを出て、アフリカ大陸、インド、マレーシア、シンガポール、北京・上海を経由して、日本の長崎や神戸、大阪、横浜と旅したわけですが、オーストリアと中国の通好条約の交渉が長くなり、二か月くらい中国の領海を含んで留まって、蚊やぶよの存在、耐え難い暑さなど…中国の雰囲気もろもろがあまり好きじゃなかったみたいだった。
ボクは当然、中国や東南アジアには行った事なんですが、なんとなく中国とか大陸が苦手なんですよね。だからってわけじゃないけど、日本人の多くの人が好物のラーメンなんかも好きじゃないんだよね。
彼の手記を読んでいると、とても共感してしまう。
日本の町は、町だけじゃないんだろうけど、他のところと比べるととても清潔だったみたいだよ。
なんか…イメージだけど、中国とかそういうところは、暑くて(湿度が高い)、うるさくて、臭くて、汚い。そんなイメージがある。
ミヒャエルの文章表現で面白かったのは、日本人は今まで見た人たちと比べて裸に近い。指三本の幅の布を…ってフンドシだよね。アフリカや東南アジアの人たちよりも裸に近い恰好に見えたんだね。今はフンドシ姿の人っていないだろうけどね。
まあさ、初等教育だけでも、綴りや多少の間違いはあっても文章を書けたってことは大きいよね。
日本に残っても、当然言葉さえもわからない。でも、日本語、英語他の言語もものすごく早く覚えたんだって。あ、日本にいる間にね。
亡くなった後、今は孫が70才くらいで、昔のガラスネガが見つかったということだけど、写真としての記録もですが、文字を残せたってのは大きいね。
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