2018年12月25日
なんてね。浜田省吾の楽曲のタイトル。
https://www.uta-net.com/movie/287453/
でも、この歳になると、子どもの頃に育った地域って懐かしい。ちょっと調べてみました。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、雑色村、八幡塚村、町屋村、高畑村、古川村が合併し、六郷村が発足。
1912年(明治45年) - 多摩川を挟んで両岸に蛇行していた神奈川県橘樹郡との境が多摩川上に設定され、大字古川の一部を橘樹郡御幸村に、大字雑色の一部を同郡川崎町に移管。
1928年(昭和3年)4月1日 - 六郷村が町制施行して六郷町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。六郷町の区域は蒲田区となる。
1947年(昭和22年)3月15日 - 蒲田区が大森区と合併し、大田区を設置。
と、大田区六郷の成り立ちですね。
住んでいたのは、仲六郷と南六郷。父親は宮城県、母親は群馬県出身だけど、東京のこの地で結婚して暮らし始めたんだよねえ。
僕は68年生まれなので、1976年に小学一年生になりました。その年が六郷小学校の創立100周年だった。
六郷小学校は、明治9年(1876年)2月1日に、元になる小学校が誕生した。
多摩川のことは、六郷川とも言うし、その橋は六郷橋ってね。
神社、六郷神社の境内っていうのかな。ドングリを拾って食べた(渋い味だから吐きだした・笑)ことなど、色々と懐かしい。
あの頃、高層住宅は三棟くらいだったけど、今は何十とあるんだろうな。
懐かしいけど、行ってみたいと思わない。だって見知らぬ風景になっているだろうから、なんだか寂しいね。だから、そのまま昔のままの思い出の光景を記憶に残していたいからね。
そういう意味で、江戸時代とか昔に行かれるものならば、見てみたい。
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