歴史
日々のこと(日記):86
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2018年01月03日
 年末から、縄文時代などのネット上にあるものを読んでいました。目的は日本人のルーツなんですけど。
 書かれている内容の真偽はなんともなんですが、縄文時代の文化ってすごく調和とれていたような気がするんです。もののけ姫の世界観なのかなあ。自然とともに生きているっていうか、自然を支配しようという考え方ではなくて、そのサイクルの中に人間も存在している。もちろん、そうした生活をしろと言われても、出来そうにありません。
 そもそも、人間(この場合日本人)はどこから来たんだろうか?人によって顔だちが違う…違って当たり前なんだけど、どういう経緯があって日本人って種族が成り立って行ったのか?
 宇宙からの情報とは別に、世間的には研究者たちはどんな見解があるのかが気になった。

 一般的には…
 本土日本人
 縄文人の子孫(これは…アイヌとかを含むので???だらけだね)
 琉球方面の縄文人

 小学生の頃君ってヤツは沖縄から一家で引っ越ししてきてて、彼は明らかに違ってた。濃いというか…沖縄だね(笑)。子どもの頃から色んな顔の子たちがいた。ああ、系統がっていう意味ね。
 それが普通というか、そんなもんだよねって受け止めていたんです。
 小学校や中学校で、縄文、弥生、飛鳥桃山、戦国時代、鎌倉、江戸…のように習って、縄文の次で少し技術が進んで稲作などが本格的になったのが弥生時代っていうふうに習ったね。それで、聖徳太子とかが出てきて…なんて流れ。遣隋使、遣唐使、なんてのもあったよね。

 そして、本土日本人というのは、その弥生時代頃に大陸(中国とか)から渡来した人と融合したという内容だった。その度合いが高いか低い地域か、で…だから西日本と東日本、果ては東北や北海道で混血の度合いが違うよねっていう内容だった。

 あ、あくまで宇宙からの情報とは違う。食い違ってて当たり前って受け止めてくださいね。

 同じ日本人でも、顔の濃い人(笑)とつるん(頭皮は関係なく)としている印象の人がいます。

 自分は?間違いなく前者です。年末に従姉に確認できる範囲でして。って頼んであるんだけど。
 今の段階でわかっているのは、父方は宮城県北部。それ以前の祖先の経緯が謎なんだけど、二年前に祖父曾祖父の写真を初めて見たら(本人には会った事がない。生まれる前に亡くなってたのでね)そういう系統の顔をしてた。祖母曾祖母の写真は年老いた頃のだったので、ちょっとわかんない。ただ4-5代前は苗字が違っていたということなので、その辺りを確認したいと思っている。
 そして、母方は群馬県。これは、戦国時代の頃に滋賀のほうからの落ち武者で群馬県に落ち着いた一族だったようだ。なので、本土日本人の混血度の可能性はあるね。江戸時代前から群馬県内での結婚などあるだろうから、西日本的なのとは違うと思うんだけどね。祖父祖母曾祖母は会ってたけど、こちらも曾祖父の写真を見たのは二年前。

 ほら、なんだか自分のルーツを考えたくなって来たでしょう?
 お父さんとお母さんの出身は?その両親は?何をしていた人なんだろうって。

 どういう経緯が祖先にあっても、その一人ひとりがいなかったら自分の存在はないわけだし、有り難いことです。

 今年は文明開化150年。一世代が30年だったとして、5代前は江戸時代で、って思うと、そんなに大昔ではないよね。明治の頃は40歳が寿命だったとかだからもう少し世代が重なっているのかな。

 縄文が。。。なんて見ていると、現代と江戸時代のリンクする(問題点など)なんかもとても多かったり、まあ何が良くってって解んないけどね。

 足立さんの情報では、縄文時代と弥生時代は同時だった。そして何度も地球であった。縄文はプレアデスの文化、弥生はカシオペアの文化なんだって。
日本人の祖先は①おうし座のアトラス星以外のプレアデス星団の人々と現在のイスラエル、ヨルダン、イラク、シリア、サウジアラビア、エジプト周辺の当時の地球人との混血人種
  と、
②カシオペア座系の人々と現在の南米のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル近辺の当時の地球人達との混血人種

 5000年くらい前に、①中近東からプレアデス系の人が20万人、中南米からカシオペア系の人が20万+10万人。(当時の地球人との混血種)
 でも、3000年前頃(だから紀元前1000年頃か)に一旦壊滅して、残った人たちもいるだろうから、そこからやり直している…その子孫が現在の日本人だってさ。
 この事を基本にして、どういう経緯があったのかなという推理推測は考古学者の方たちが考えていることが一致することもあるのかもね。間違っていることのほうが多いだろうけど。

 そしてね、3日の今日、テレビで弥生時代から法隆寺くらいまでの特集番組が放送されていた。
 縄文の生活は自然のサイクルのなかというか、ある意味行き当たりばったりかもしれないけど、争いがほとんどないって。で、弥生時代のようにお米を作って保管して…だから豪族とか階級が出来て、モノを持つと奪われる危険などもでるから争いになってしまう。
 なるほど、自然のキャパのなかで賄える人口ってかぎられてるんだろうな。『より安全に、自分、自分たちだけは安全に』というのがエスカレートすると無理が出てしまうね。

 フジテレビのアナウンサーだった山口ミエ子さんがフランスに住んでいて、宅急便などが届かないこと、地下鉄が来ない(そもそも時刻表がない)、日本は便利過ぎて…それは日本人の真面目な気質もあるけど、たくさんの人の労働力で賄われている便利さ。もうそういう便利さを手放さないとこれからの超高齢化社会は成り立たない、って書いてあった。
 うーん、縄文のことを読んで行ったら、こんな話しもでていた。

 縄文時代の暮らしは無理だけど、江戸時代くらいの暢気さになれたらいいよね。

 あれ?なんの話しだったけね。色んな部分を端折っているからわからないね。

 
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2017年12月24日
 度々ね。自身のルーツ問題なんですが、父親も父方の叔父さん叔母さんたちも亡くなっている人も多いし、かなり高齢になっているし。二年前に(そうスバルと遭遇した事故の時ね)宮城の叔母さんのところに行き、色々と訊こうとしたんだけど、叔母さんも高齢だし、興味なさそうだし、ほとんど収穫なしで帰ってきたんです。
 
 で、今は長野にいる従姉妹のお姉さんに、『そうだ、叔母さんに訊いてもらおう』と閃いた。早速電話すると、年末年始に宮城に行くそうなのだった。
 従姉は、専門学校時代にうち(大田区だった)から学校に通っていた。まあなんていうか親戚の家に下宿という感じだったのだろうか。僕の10歳も上だった。三年生の時に専門学校なので、世代が違うかな。それもね、もう40年くらいの前のこと。彼女も自分のルーツなどには興味ない感じなんだけど、叔母さんに訊いてみてくれるそうだ。僕の希望は、そもそも祖父も会ったことない(父と母が結婚した頃には死んでいたから)くらいなんだけど、できたら、その本家の人と会ったりしたいと伝えた。

 うちはさ、都内で核家族で育ったから、仏壇なんて家になかったし、子どもの頃に先祖とか、そういうのってピンと来ない生活だったんだよね。

 本当は、ちゃんと両親がそういうこと(ルーツなど)を、子どもたちに伝えられるというのが理想なんだと思うんだけど。

 今日の電話では、従姉が小さい頃には馬や牛(豚がいたのは知っているので)を飼ってて…って言っていた。馬や牛。どうなんだろう、農業に使っていたのか、畜産的なことなのか。よくわからないね。でも来年訊いたことを教えてもらおう。

 今日はクリスマスイブでしょう。馬を飼ってたのは(父親の実家が)、ただね、子どもの頃からキリストが馬屋で生まれた…干し草を布いている場所のイメージってとてもリアルだったんだよね。あ、キリストと宮城の家はまったく関係ない話しだからね。
 
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2016年12月17日
 ネットで見たニュース、ポストセブンの記事らしいんだけど、『音楽の才能の92%は遺伝』という内容だ。バッハの一族は二世紀半の間に60人の音楽家を輩出した。日本のバッハと言われる(本当か?)服部家というのがある…この服部さんは意外と馴染み深いんです。
 服部良一は3500曲くらいの歌謡曲に携わって、二代目の服部克彦 は、ザ・ベストテンのテーマをはじめ、はやり日本の音楽会に大きな影響を残した(まだ存命される方)人です。あの昴の編曲をされた方。パンパカ、パパパパ、パーンというイントロ、他にあんなフレーズは見かけませんよね。
 三代目は、51才の服部隆之 。真田丸の音楽などで活躍しているそうなのです。僕にとっては真田丸よりも今のガンダムの音楽を作っている人です。(今のガンダムってのは、日曜日の夕方に放送しているのではなくて、当然ジ・オリジンのほうです。これは完結までに10年くらいかかるだろうなあ。ってこれはTさん夫婦に向けての書き込みです・笑)。そして、娘の子がかなりすごいバイオリニストらしいです。親子四代の音楽一家。
 他に、宇多田ヒカル、森昌子と森進一の息子などが記事には紹介されていました。

 才能や能力も、姿カタチと同じように遺伝する…かな、ってお話しです。
 Kに、『ご両親や家族に感謝とお礼とお詫びの発振してるう?』って訊かれ、そもそも、それは先月さりげなく某氏に釘をやんわりと刺されているので(笑)。
 それもあってか、母親に電話をしてみようかと、金曜日の夜の運転中に電話をしたよ。
 電話をすると、『何かあったのか?』と、勢い強く言ってくるから…そうじゃないよ、ちょっとコミュニケーションしようと思ってね。他愛無い話しでいいさあって、なんちゅう電話ですよね。

 母親の近況を聞き、まあ今までも聞いていたけど、二三年前から、友達(80近いご夫婦だろう)がうつ病だか統合失調症になって、母親に電話が多く来たり、あれこれとしているそうなのだ。
 ただね、そんなことをしていると自分のほうがオカシクなる可能性が高いから心配だ。それも充分伝えているんだけどね。

 かいつまんで書くと誤解を生むかも知れないけど、まあいいか。
 『お母さんはココロを鬼にできるから大丈夫だよ』と。なので、かなり厳しいことを相手に言っているらしい。そして(家族ってわけでもないのに)、うつ病やら統合失調症の勉強をしたらしいのだ。

 元々、…直観ではなくて…霊感のようなものは強い人だ。若いころ(だから僕が子どもの頃とか)から、親戚などが亡くなった時に、連絡が来る前に、虫の知らせが来たとか…。
 僕の父親(なので母の夫)を40代で亡くしている。で、なんとか当時まだ中学生だった息子(弟のことです)を育てたり、なかなかの苦労人だったりする。


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 普通だったら、めげたりしてしまうような状況を何度も体験しているにも関わらず、気丈なんだね。バカというか楽天家。学もなにもないけどそういう人だ。

 ?何か、この数年僕が体験していることに似ているなあ。って思った。

 しかしまあ、精神の病気というかそういう症状の人は、なまじ関わると危険というか、自分…母親も同調してしまってはねえっていう危険があるから、あまり首突っ込むなよなあっていう心配は一応息子の僕としてはあります。
 そういう現象は、多くの場合は不調和なエクサピーコさんに同調している状態だと思うのでね。

 なので、およそ20年前の僕の(愛さんがメインだけど)目の前で起こったり、見たりした内容を伝えた。母親も『へえ』って驚いていたけど、『息子も何やってんだか』とも思ったろうなあ。
 とにかく危険だから、気を付けてくれと伝えて、でもそんな母親なので、よほど深入りしなければマイナーな影響はあまり受けないんじゃないかなって意外と安心していたりします。

 僕は、顔だちや外見は父親に似ていると思うんですが、その内面的な(大雑把、楽天的など)ものは母親に近いのだなって思いました。父親はどちらかと言うと緻密で優しくて(母もそれは同じだけど・笑)超生真面目な人だった。
 僕もすごく真面目なんだよ!って言うと、大抵の人は…まあいいです。

 霊感…まあ感受性が強いと捉えていいと思うんですが、当時はそういう言葉でしたね。それが強くてもいいけど、同調しにくい、楽天的な性格などじゃないと、感受性が強い人は大変だろうなっても思いました。

 この辺りも遺伝なんだろうな。
 
『怒れるのなんか、もう慣れてますから~』なんて言ってますが、
本当は、ちょっとでもイヤで、何か言われるんじゃないかって心がビクビクしています。
って。『またまたウソでしょう』と反応されますが、

ガラスのハートなんですから(笑)

ちゃんと知っている人は知ってるけど、それはどうでもいいし
苦手だけど、役割だったら怒られ役も仕方ないかなあって思います。
外にね、適任者がいなかったら、ダチョウ倶楽部のお約束のようなものです。

それでも、一般的な多くの人よりは耐久能力というかがあるのかもしれません。その瞬間はイヤだけど、すぐに気持ちを切り替えます。すぐに忘れるとも言う。
そうじゃないとやってられないことだらけなのでね。

その辺りも遺伝ということで。授かってしまったものだったら、そのちょっと危険な状態の空間でも影響が少ないことや、楽天的な性格も受け入れるしかないね。ありがたいことです。




 
2016年12月02日
 常に、満足…持て余すほどあると、うんざりして、有難みが感じられない。
 いつもちょっと不足しているくらいのほうがきっと幸せなんだろうなと思う。
 あれもこれもと出されると、色々選べるような状況は意外と不幸せだね。
 
 いつも少なくて、だからこそ『あること』に感謝できる気がする。もっともっとと、戦後から駆け抜けてきた時代(ってわからないんですが・笑)は、モノのない時代に生きた人たちが、とにかく物質的に豊かになろうと頑張っていた。その土台の上に今の日本の社会があるでしょ。
 でも文化は後退している。ものがなかったころのほうが、きっと有難みを感じて、感謝の気持ちが自然に生まれていたんだろうなあ。
 ちょっと何かしてもらったりすると、嬉しいはずなのに、感動のない毎日を送っている人が多いんじゃないかな。

 我が家も…生活に必要なんだけど、あるものが常に溢れている。その状況は結構辛いのだけど、なくならない。なぜなくならないか?なくなる前に買ってくる人がいるからだ。『アレもあるよ、コレもあるよ』と出されると、うんざりしてしまう。

 大抵の場合、『必要だ』と思うモノは、ほぼなくてもいい。それよりか調和がとれているかどうかを基準にしていきたいな。

 まるで、戦中生まれの人と一緒にいるようだ。溢れていることが幸せって感じるんだろうな。

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2016年10月08日
 2018年で明治維新から150年らしい。
 平成何年が西暦何年なのか…わかりにくいし、いっそ書類は間違えないように西暦にしてほしいうと思う僕なので、昭和何年・平成何年と言われると変換に数秒かかってしまいます。書類とかは間違わないように、西暦表記がいいなって思うなあ。

 そして明治維新からもうすぐ150年だそうなのです。1868年が明治維新、明治元年だったのか。僕は1968年生まれだから、明治維新から100年ってことだったんだ。小学校入学した年(一年生のとき)が、その小学校のちょうど100周年だった。つまり1874年創立だった。大田区立六郷小学校という学校です。

 ついでに、ググると、江戸時代は1603年~なので、265年続いたんですね。1600年というと大体400年くらい前だから随分昔だなって思うけど、今から150年前も江戸時代だったわけですよね。大岡越前とか遠山の金さん、水戸黄門など時代劇の世界ですよね。

 10月から朝ドラが新しいのが始まって、9月まで放送していたとと姉ちゃんは戦争はさんで昭和で、その前の朝がきたは幕末から明治の話しだったよね。あれは150年前くらいのことなんだ。

 江戸時代もテクノロジーの発達は265年の間にあっただろうけど、あの頃は新次郎も最初ちょんまげだったし、両替屋から炭鉱、銀行と家業が変わっていった。
 バックトゥザフューチャーは、1985年が現代で、両親の出会いの30年前が1955年。マーティjrを救いに行った未来が2015年。パートⅢは1885年の西部開拓時代。時代考証は若干数年ずれるようですが、大体あんな感じらしいよね。
 1955年は、昭和30年だから戦後10年。アメリカはあんな感じだったんだね。そして1985年の西部開拓時代は日本では明治時代ですね。
 日本でも、アメリカでも、つい130-150年前はあんな感じだったとはね。

 きっと、江戸時代の期間のなかでタイムトラベルしてもあんまり時代の差がないと思うんですが、その後の変化が大きくて、タイムトラベルしたら浦島太郎状態になりそうです。
 この100年、150年の変化は大きいなあ。

 あの建物が出来てから今年で23年、僕が25歳だった時だね。23年が6回過ぎるとおよそ150年くらいだ。マーティの両親が出会ったのが1955年、前の年にゴジラが公開されたわけでしょ、意外と年月が経つのはあっという間なのかも知れない。

 阿蘇火山がまた爆発したととニュースがあった。春に熊本は地震があったし、何だか大変だなあ。7日未明の夢を思い出した。7日の日記だね。僕には予知能力なんてありませんから(笑)、たまたまです。ワールドトリガーの迅さんのようにサイドエフェクトで未来視があったらいいよね。彼の能力は目の前の人、知っている人の少し先の未来が観える。自分のはわからないというものです。そうだ、今朝方の夢もろくでもなかったなあ。書くのは辞めておこう、まさかね、その通りになると良くないからね。

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2012年07月17日
 夜中にね、考えていると眠れなくなってしまったので、書き纏めようと思いました。
 先週の金曜日に授業参観があり、その後でPTAの会がありました。そこで校長先生が体育館で風通しの悪いなか、10分くらい話していたことです。

 要約すると『体力測定をして、全体的に昔より運動能力が下がっている。特に投げる力が落ちている。この辺りもこれから力を入れていきたい』ということ。他に靴を揃える話しをしていて、そちらはなるほどねえと思ったのですが、体力測定の話しは唖然としました。

 ほとんどの陸上競技は、軍事訓練と同じなのです。高跳びは鉄条網などを飛び越えるため、砲丸投げは手りゅう弾を投げるための訓練。他も大体そんなところです。戦時中が舞台のドラマなどで、小学校で『ススメ ススメ ヘイタイ ススメ』などの文章を教育していたり、竹槍でB29爆撃機を落とすための訓練(あまりそちらは詳しくないけど、B29は『ボーイング29型爆撃機(戦闘機には主に体戦闘機用のものと爆撃機がある)』ということですよね。0戦は0式戦闘機の略)…どう考えても無理(無茶ではなくて無理だ)なことです。
 陸上競技は竹槍VS爆撃機と同じレベルのこと…精神論というか、教育の思考というのがです。

 オリンピックなどで、そういう競技があったり、他の競技でも各国の代表選手が戦争をする代わりの代理戦争をしているわけですよね。

 別にいいじゃない。ボールを投げる力が昔の子供より弱くなっても。手りゅう弾を投げる力が昔の子供より弱くなった。戦争をこれからしようという場合は、それは問題だと思うのですが、戦争をしたいの?したくないですよね。
 一部の競技を除いてオリンピックなどもどうかと思います。スケートとかきれいだなあと思うものもあるけど、順位を付ける意味は分からない。

 竹槍で爆撃機を落とそうというレベルの話しを校長先生がしていること。それに気が付いてないから、人前で恥かしくもなく話せてしまうわけなんですよね。
 体育系の人はともかく、学校の長である人がそんな考えというのはどうかなと思う。でもそれが現実ということですね。
 もうすぐ戦後67年なんですけどね。もう少し文化が進化するような、そんな話しを聞いてみたい。

 なんだかなあと思うと、眠れなくなってしまうでしょ。

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