歴史
日々のこと(日記):91
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2018年01月25日
 高祖母(もしくはその以前)の代の子孫に当る…なのかなあという、遠い親戚の方とお話しできました。現在87歳の御爺さん、祖父母や叔父の(私の父親の生まれ育った)家の100mくらいのお宅の方。
 なんせ…当時、当時と言っても50年くらい前を知っている親戚がほぼ亡くなっていて、父親の兄の嫁(叔母さん)に当る方が80代なので記憶も曖昧なんですよね。2015年に叔母に訊きに行ったのですが、そんな感じだったので、僕が訊くよりも叔母の娘に当る従姉に、叔母に根堀葉堀訊いてもらおうとしましたが、同じような感じでした。
 
 ただ、高祖母に当る人が宮城県から福島に嫁に行き、その後、宮城の家がなんらかの理由で途絶えてしまうために、結婚した(只野家)として宮城に戻って来た、ということだった。
 高祖母の苗字は『遊佐』だったのだけど、その代(高祖父母だと4世代だけど、3-6くらいで曖昧だね)から只野となったということだった。なので電話で話しをしたのは87歳の遊佐さん。
 新説に…こんなね、初めてで一体どこの誰なのかも電話ではわからないだろうけど、『私にわかることはお話ししますよ』と言ってくれた。もうかなり高齢の方でしたが、明晰な感じでした。

 父親の長男はもう亡くなっているのですが、遊佐さんは叔父の一つ年上で、若いころに叔父と一緒に仕事をしたそうなんです。父親とは10歳以上年齢も離れていたので、遊んだなどの記憶はなかったようなのです。叔父の家は稲作農家をしていた(僕が子どもの頃ね)。遊佐さんの話しでは、叔父と一緒に自分の田畑の農耕の馬を育てていたそうなんです。この話しはその内従姉にも教えてあげよう、彼女の父親の話しだしね。
 遊佐という名前は宮城県大崎市(鳴子温泉ね)に非常に多いんです。どうも元々は山形県遊佐町(ゆざまちという)らしいのですが、現在の遊佐町には遊佐さんはゼロだということです。
 まったく歴史の知識がないので、『〇〇氏に仕えた△△氏』などの文章がチンプンカンプンなんで…、ただ、遊佐町の方から落ち延びてきた一族だということを遊佐さんからも聞きました。
 電話で話した遊佐さんが、高祖母の遠縁だったとしたら…違っても遊佐さんはだいたいそういう経路みたいなので、きっとそうなのかと思いました。

 では、高祖父の只野というのは…テガカリというかは範囲が広すぎて…ナゾです。高祖母は福島に嫁に行き、後に高祖父と一緒に宮城(だから遊佐さんの分家)に戻って来た。福島って広すぎ。
 多田野、但野、只野というのは、だいたいおおもとを辿ると一緒らしい。
 一つは現在の郡山市西部に明治の頃に多田野村という村があった。どうもその地域がタダノの発祥なんじゃないかと言われている。
 二つ目、何時代か忘れましたが、仙台藩・・・っていうから江戸時代かな。只野という名前が残っているとか。
 三つめ。現在の相馬…福島第一がある地域ですよね。そこには只野さんがたくさんいるらしい。

 父親の生家の栗駒市の立地からして、『福島に嫁に行った』としたら、郡山市よりも相馬市辺りなのだろうか?もうこの辺りのことは知る人は誰もいない。

 でもね、遊佐さんと話しができてとてもよかったなあ。

 おころで、先祖と祖先って、似たような言葉ですよね。
 〇〇家の先祖、私の先祖というように、『先祖』という言葉を使う。
 そして、人類の祖先、日本人の祖先というふうに『祖先』という言葉を使うようなんです。

 知らないことを知るのって楽しいですね。

 僕の日記は、本当に日記なので、メモ書きみたいなものなんで、いつ何をしたか?忘れないようにするためのもの。
 ブログなどのように『いいね』をもらうためのじゃないだよね。
 だから、読んだ人が何書いてんだかってわかんなくても問題ないのです。


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2018年01月18日
 那須野が原博物館http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/に午前中行ってきました。
 こちらは、息子と何度も何度も足を運んでいたのですが、ちゃんと縄文時代の展示物を見るのは初めてでした。

 昨日、ある方から『そういう展示物と交流してみたら?』と言われまして、思い立ったら吉日ですね。

 縄文土器についてはおよそ30点ありました。
ホントに知識として、弥生時代の土器はシンプルで硬いんだよなあ、くらいのものでした。

 今日見て来た縄文土器は意匠があるというか、土器なので、基本的に煮炊きする調理道具なわけですよね。
 で、こんな装飾が機能上必要なのか?と思うような作品がありました。
イメージとして、髙さが40-50センチの壺(鍋)の上部が、50年近く前のロボットアニメのマジンガーZの頭部(笑)のような、王冠のようなカタチでした。もしこれが尖っていたらデーモン小暮のようなのですが、四つある突起部分が平らだったので、マジンガーという表現がぴったりと思いました。
他にも、上部の反りというか窪み(持ったリするのにいい感じ)があるものなど…

 なんか立体物を創作するイメージが浮かびました。
 家に戻り、木を削り始めましたが、木材で作るのは大変そうだな、と思い、素材を違うものに変更してやってみたいと思いました。

 一説によりますと、縄文時代の一日の平均仕事時間(採集や漁猟など)は4時間だったと言います。
土器造りは主に女性だったようなのですが、男性は、五斧や矢じりなどを作ったりしていたそうなんです。
 そういう中で…縄文時代は1万年以上あったと言われますが、真地球の歴史の資料から考えると(あくまでも日本の縄文時代という意味で)3000年くらいかと思うんですが、それでも、長い時間がありますよね。
 だから、直観で土器や土偶、石や鉱物(翡翠や琥珀とかも)を使ったアートを…アートと言っても日常生活で使うすべてが調和がとれているアートという意味で、クリエーションしていたんじゃないかなと思いました。
 現在の焼き物作品を見ても、ああキレイだなあなど思うんですが、縄文土器などを見るとダイナミックなエネルギーを感じてしまいます。

 現在の私たちの日常の中で、
 FALFとしてジュポスやピシュ、エノレコンなどを使っていけたら…使うというのは表現が違うかも知れませんが、関わて交流していくことは大切なのかと思います。
 昨日、電話で話した方も、『縄文土器と交流してみなよ』と言ってくれた方なんですが、エノレコンを何セット使ってますか?という話しになって、僕は大中小を2セットと、中と小を2セットなんですけど、彼は大中小を5セットだと…食品だけではなくて、衣類や購入して家に持ってきたすべてをエノレコンに協力していただいて調整するのを考えたら、だんだん増えて5セットになってしまったと。

 うーん、我が家には5セットを置く場所がないなあ(笑)

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2018年01月17日
 平原綾香の『Auld Lang Syne〜蛍の光』(アルバム名はWinterSongbook)を借りました。 
 流石に、日本語歌詞の3番4番は歌っていなかった。
 昨日は三月の陽気だったそうなのですが、今日は寒いね、雨が降りそうです。朝一度6時前に目が覚めて、デニーズにでも本を読みに行きたいところですが、寒いのとまだ暗いので断念。
 まだまだ、日の出が6時51分、年末とほとんど変わらない。
 
 昨日の高根沢歴史民俗資料館で、あちこちの博物館にあるような竪穴式住居の再現モデル(ここのは1/2サイズ)があって、きっと昔の人も冬は籠って囲炉裏で暖をとっていたんだろうな。囲炉裏などの直火があるといいけれど、きっと煤がすごいんだろうな。昔と違ってパソコンなどにも支障をきたすとか。
 江戸時代も日常で煤汚れ(顔やカラダの)がすごいらしくて、みんな銭湯に毎日行ったとか。あの頃は男湯・女湯の区分けはないとか。欧米人から色々と言われて廃止された…(幕府に言われても銭湯のコスト面から改善されない)みたい。
 なので、縄文時代(他の時代も)煤だらけだったんだろうなあ。

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2018年01月16日
 中学校のスクールカウンセラーとの面談の日でした。
 その後、名まえがわからないんですが、苦いレタス・・・なのかなあ?それを含めたサラダバーが食べたくなって、ヴェッキオ・トラムへ。手作りパスタのお店なので、注文しますよ。今日は牡蠣とチンゲン菜のぺペロンチーノ。野菜の近所の農家さんたち(高根沢町の)だろうけど、冬にあるのかな、あの苦いレタスのような…緑のと紫のとね。違う品種なんだろうか?これと一緒にジャガイモだけのポテトサラダをね。レタスにはオリーブオイルと塩で。
 サラダバーだから、何度も盛れるんですよね。今日のはそのレタスとコールスローサラダ、ポテトサラダ。きゅうり、大根(紫の)ラディッシュ。以降はオリーブオイルのグリルで、玉ねぎ、長ネギ、紫の大根、春菊、サツマイモ。なんかさ、サツマイモってトウモロコシみたいな味なんですね。

 ふと、この辺りに縄文の遺跡というか、そんな発掘現場じゃわかんないけど、展示しているトコロはないだろうか?と思った。
 お店の駐車場もあるんですが、50メートルくらいのところにテニスコートと町の施設の駐車場があるので、だいたいいつもそちらに停めています。
 その施設だったら縄文の展示しているトコロのことをわかるかな?と足を踏み入れました。

 そしたら、その施設が展示しているトコロだったんです。


https://www.town.takanezawa.tochigi.jp/life/learning/shisetsu/rekimin.html
高根沢町歴史民俗資料館

 小さいところで、ほとんど人もいないんですが、縄文、弥生、古墳、平安、安土桃山時代ころまでありました。年代は完全に確定できませんが・ずいぶん昔からこの辺りには人が住んでいたんですね。

 本に出ているような火焔土器とまではいきませんが、なかなかの土器がありました。あんなカタチ…昔もトレンドとかあったのかなあ。
 縄文時代は平和で、食料を得るのもそんなに大変じゃなかったみたいなので、当時の人たちは好きなこと見つけてやってたのかな?まるで〇〇研究会みたいだね。
 これはさ、戦争や争いが多い時代には出来ないことだよね。言葉はあれど文字のない時代だったから、文献が残ってない。
 それと、大きな出来事がなかっただろうから記録がないんだよね。大きな出来事って…日本史でも世界史でも戦争のことだよね。
 『歴史からは学ばない』というのは、争いの振動波は同調しないようにってことだね。
 平和だと後世に記録が残らないんだろうなあ。

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2018年01月13日
 今年は文明開化150年ということで、ニュースなどで言っていますね。
 ふと、思い出したのは『少額一年生の時に、小学校が100周年だった』ということ。1975年に100周年ということだから、1875年(明治8年)に出来た小学校ってことだよね。

http://rokugou-es.ota-school.ed.jp/
 現在の六郷小学校の児童数を見たら、驚きました。なんと…矢板小学校よりも少ないんじゃないか!比較の意味がありませんが、確か僕たちで6クラス(40×6として240人、それが6学年)だったはず。一応…東京なんだよね。文脈とは関係ないけど、少子高齢化は都内と言えどそうなんだね。一部の値域は人口が増えているんだけどさ。
 小学校のHPを見たら、多摩川の河原(六郷土手)が映っていて、毎日のように遊んだなあ、知る人ぞ知る(笑)、タイムマシンを作るためにみんなでガラクタ集めをしたのは土手にあった粗大ごみ捨て場だったなあ。

 昨日は久しぶりに野の香に行き、ランチ(この店はランチしかないんだけど)を頂きました。後から来たご夫婦は、奥さんのほうが『いつ来ても(お客さんが)いっぱいで入れないけど、毎日諦めずに来てた甲斐があった』なんて話しています。
 そこでも、縄文時代関連の本を読みふける。家にいるとなかなか本を読む気にならないからね。朝のファミレスも使いやすいんだけど、ほら、今は朝寒いからね。
 日の出が6時52分(1分くらい早くなったかな)日の入りが16時45分。今朝8時くらいまでの予想気温はマイナス7度。寒いでしょ。大体ね、太陽の光がない時間が多いと…気が滅入りますよね。光の匡出身としては(笑)セブンもポール星人により地球氷河化作戦には困ったろうし、あれ以降活動時間に限界が出来てしまったし。

 そういえば、最近攻めているね。攻めてるたって誰かを批難しているということではなくて(笑)、言いたいことを言っているというか、日記にはそんなでもないけど、メールのお知らせなんかではね。こんなの書いたら引かれてしまうだろうなあと思うこともあるけど、好き勝手…別に好き勝手じゃないんですが、思うことを書いているなあ。

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2018年01月03日
 年末から、縄文時代などのネット上にあるものを読んでいました。目的は日本人のルーツなんですけど。
 書かれている内容の真偽はなんともなんですが、縄文時代の文化ってすごく調和とれていたような気がするんです。もののけ姫の世界観なのかなあ。自然とともに生きているっていうか、自然を支配しようという考え方ではなくて、そのサイクルの中に人間も存在している。もちろん、そうした生活をしろと言われても、出来そうにありません。
 そもそも、人間(この場合日本人)はどこから来たんだろうか?人によって顔だちが違う…違って当たり前なんだけど、どういう経緯があって日本人って種族が成り立って行ったのか?
 宇宙からの情報とは別に、世間的には研究者たちはどんな見解があるのかが気になった。

 一般的には…
 本土日本人
 縄文人の子孫(これは…アイヌとかを含むので???だらけだね)
 琉球方面の縄文人

 小学生の頃君ってヤツは沖縄から一家で引っ越ししてきてて、彼は明らかに違ってた。濃いというか…沖縄だね(笑)。子どもの頃から色んな顔の子たちがいた。ああ、系統がっていう意味ね。
 それが普通というか、そんなもんだよねって受け止めていたんです。
 小学校や中学校で、縄文、弥生、飛鳥桃山、戦国時代、鎌倉、江戸…のように習って、縄文の次で少し技術が進んで稲作などが本格的になったのが弥生時代っていうふうに習ったね。それで、聖徳太子とかが出てきて…なんて流れ。遣隋使、遣唐使、なんてのもあったよね。

 そして、本土日本人というのは、その弥生時代頃に大陸(中国とか)から渡来した人と融合したという内容だった。その度合いが高いか低い地域か、で…だから西日本と東日本、果ては東北や北海道で混血の度合いが違うよねっていう内容だった。

 あ、あくまで宇宙からの情報とは違う。食い違ってて当たり前って受け止めてくださいね。

 同じ日本人でも、顔の濃い人(笑)とつるん(頭皮は関係なく)としている印象の人がいます。

 自分は?間違いなく前者です。年末に従姉に確認できる範囲でして。って頼んであるんだけど。
 今の段階でわかっているのは、父方は宮城県北部。それ以前の祖先の経緯が謎なんだけど、二年前に祖父曾祖父の写真を初めて見たら(本人には会った事がない。生まれる前に亡くなってたのでね)そういう系統の顔をしてた。祖母曾祖母の写真は年老いた頃のだったので、ちょっとわかんない。ただ4-5代前は苗字が違っていたということなので、その辺りを確認したいと思っている。
 そして、母方は群馬県。これは、戦国時代の頃に滋賀のほうからの落ち武者で群馬県に落ち着いた一族だったようだ。なので、本土日本人の混血度の可能性はあるね。江戸時代前から群馬県内での結婚などあるだろうから、西日本的なのとは違うと思うんだけどね。祖父祖母曾祖母は会ってたけど、こちらも曾祖父の写真を見たのは二年前。

 ほら、なんだか自分のルーツを考えたくなって来たでしょう?
 お父さんとお母さんの出身は?その両親は?何をしていた人なんだろうって。

 どういう経緯が祖先にあっても、その一人ひとりがいなかったら自分の存在はないわけだし、有り難いことです。

 今年は文明開化150年。一世代が30年だったとして、5代前は江戸時代で、って思うと、そんなに大昔ではないよね。明治の頃は40歳が寿命だったとかだからもう少し世代が重なっているのかな。

 縄文が。。。なんて見ていると、現代と江戸時代のリンクする(問題点など)なんかもとても多かったり、まあ何が良くってって解んないけどね。

 足立さんの情報では、縄文時代と弥生時代は同時だった。そして何度も地球であった。縄文はプレアデスの文化、弥生はカシオペアの文化なんだって。
日本人の祖先は①おうし座のアトラス星以外のプレアデス星団の人々と現在のイスラエル、ヨルダン、イラク、シリア、サウジアラビア、エジプト周辺の当時の地球人との混血人種
  と、
②カシオペア座系の人々と現在の南米のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル近辺の当時の地球人達との混血人種

 5000年くらい前に、①中近東からプレアデス系の人が20万人、中南米からカシオペア系の人が20万+10万人。(当時の地球人との混血種)
 でも、3000年前頃(だから紀元前1000年頃か)に一旦壊滅して、残った人たちもいるだろうから、そこからやり直している…その子孫が現在の日本人だってさ。
 この事を基本にして、どういう経緯があったのかなという推理推測は考古学者の方たちが考えていることが一致することもあるのかもね。間違っていることのほうが多いだろうけど。

 そしてね、3日の今日、テレビで弥生時代から法隆寺くらいまでの特集番組が放送されていた。
 縄文の生活は自然のサイクルのなかというか、ある意味行き当たりばったりかもしれないけど、争いがほとんどないって。で、弥生時代のようにお米を作って保管して…だから豪族とか階級が出来て、モノを持つと奪われる危険などもでるから争いになってしまう。
 なるほど、自然のキャパのなかで賄える人口ってかぎられてるんだろうな。『より安全に、自分、自分たちだけは安全に』というのがエスカレートすると無理が出てしまうね。

 フジテレビのアナウンサーだった山口ミエ子さんがフランスに住んでいて、宅急便などが届かないこと、地下鉄が来ない(そもそも時刻表がない)、日本は便利過ぎて…それは日本人の真面目な気質もあるけど、たくさんの人の労働力で賄われている便利さ。もうそういう便利さを手放さないとこれからの超高齢化社会は成り立たない、って書いてあった。
 うーん、縄文のことを読んで行ったら、こんな話しもでていた。

 縄文時代の暮らしは無理だけど、江戸時代くらいの暢気さになれたらいいよね。

 あれ?なんの話しだったけね。色んな部分を端折っているからわからないね。

 
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2017年12月24日
 度々ね。自身のルーツ問題なんですが、父親も父方の叔父さん叔母さんたちも亡くなっている人も多いし、かなり高齢になっているし。二年前に(そうスバルと遭遇した事故の時ね)宮城の叔母さんのところに行き、色々と訊こうとしたんだけど、叔母さんも高齢だし、興味なさそうだし、ほとんど収穫なしで帰ってきたんです。
 
 で、今は長野にいる従姉妹のお姉さんに、『そうだ、叔母さんに訊いてもらおう』と閃いた。早速電話すると、年末年始に宮城に行くそうなのだった。
 従姉は、専門学校時代にうち(大田区だった)から学校に通っていた。まあなんていうか親戚の家に下宿という感じだったのだろうか。僕の10歳も上だった。三年生の時に専門学校なので、世代が違うかな。それもね、もう40年くらいの前のこと。彼女も自分のルーツなどには興味ない感じなんだけど、叔母さんに訊いてみてくれるそうだ。僕の希望は、そもそも祖父も会ったことない(父と母が結婚した頃には死んでいたから)くらいなんだけど、できたら、その本家の人と会ったりしたいと伝えた。

 うちはさ、都内で核家族で育ったから、仏壇なんて家になかったし、子どもの頃に先祖とか、そういうのってピンと来ない生活だったんだよね。

 本当は、ちゃんと両親がそういうこと(ルーツなど)を、子どもたちに伝えられるというのが理想なんだと思うんだけど。

 今日の電話では、従姉が小さい頃には馬や牛(豚がいたのは知っているので)を飼ってて…って言っていた。馬や牛。どうなんだろう、農業に使っていたのか、畜産的なことなのか。よくわからないね。でも来年訊いたことを教えてもらおう。

 今日はクリスマスイブでしょう。馬を飼ってたのは(父親の実家が)、ただね、子どもの頃からキリストが馬屋で生まれた…干し草を布いている場所のイメージってとてもリアルだったんだよね。あ、キリストと宮城の家はまったく関係ない話しだからね。
 
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2016年12月17日
 ネットで見たニュース、ポストセブンの記事らしいんだけど、『音楽の才能の92%は遺伝』という内容だ。バッハの一族は二世紀半の間に60人の音楽家を輩出した。日本のバッハと言われる(本当か?)服部家というのがある…この服部さんは意外と馴染み深いんです。
 服部良一は3500曲くらいの歌謡曲に携わって、二代目の服部克彦 は、ザ・ベストテンのテーマをはじめ、はやり日本の音楽会に大きな影響を残した(まだ存命される方)人です。あの昴の編曲をされた方。パンパカ、パパパパ、パーンというイントロ、他にあんなフレーズは見かけませんよね。
 三代目は、51才の服部隆之 。真田丸の音楽などで活躍しているそうなのです。僕にとっては真田丸よりも今のガンダムの音楽を作っている人です。(今のガンダムってのは、日曜日の夕方に放送しているのではなくて、当然ジ・オリジンのほうです。これは完結までに10年くらいかかるだろうなあ。ってこれはTさん夫婦に向けての書き込みです・笑)。そして、娘の子がかなりすごいバイオリニストらしいです。親子四代の音楽一家。
 他に、宇多田ヒカル、森昌子と森進一の息子などが記事には紹介されていました。

 才能や能力も、姿カタチと同じように遺伝する…かな、ってお話しです。
 Kに、『ご両親や家族に感謝とお礼とお詫びの発振してるう?』って訊かれ、そもそも、それは先月さりげなく某氏に釘をやんわりと刺されているので(笑)。
 それもあってか、母親に電話をしてみようかと、金曜日の夜の運転中に電話をしたよ。
 電話をすると、『何かあったのか?』と、勢い強く言ってくるから…そうじゃないよ、ちょっとコミュニケーションしようと思ってね。他愛無い話しでいいさあって、なんちゅう電話ですよね。

 母親の近況を聞き、まあ今までも聞いていたけど、二三年前から、友達(80近いご夫婦だろう)がうつ病だか統合失調症になって、母親に電話が多く来たり、あれこれとしているそうなのだ。
 ただね、そんなことをしていると自分のほうがオカシクなる可能性が高いから心配だ。それも充分伝えているんだけどね。

 かいつまんで書くと誤解を生むかも知れないけど、まあいいか。
 『お母さんはココロを鬼にできるから大丈夫だよ』と。なので、かなり厳しいことを相手に言っているらしい。そして(家族ってわけでもないのに)、うつ病やら統合失調症の勉強をしたらしいのだ。

 元々、…直観ではなくて…霊感のようなものは強い人だ。若いころ(だから僕が子どもの頃とか)から、親戚などが亡くなった時に、連絡が来る前に、虫の知らせが来たとか…。
 僕の父親(なので母の夫)を40代で亡くしている。で、なんとか当時まだ中学生だった息子(弟のことです)を育てたり、なかなかの苦労人だったりする。


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 普通だったら、めげたりしてしまうような状況を何度も体験しているにも関わらず、気丈なんだね。バカというか楽天家。学もなにもないけどそういう人だ。

 ?何か、この数年僕が体験していることに似ているなあ。って思った。

 しかしまあ、精神の病気というかそういう症状の人は、なまじ関わると危険というか、自分…母親も同調してしまってはねえっていう危険があるから、あまり首突っ込むなよなあっていう心配は一応息子の僕としてはあります。
 そういう現象は、多くの場合は不調和なエクサピーコさんに同調している状態だと思うのでね。

 なので、およそ20年前の僕の(愛さんがメインだけど)目の前で起こったり、見たりした内容を伝えた。母親も『へえ』って驚いていたけど、『息子も何やってんだか』とも思ったろうなあ。
 とにかく危険だから、気を付けてくれと伝えて、でもそんな母親なので、よほど深入りしなければマイナーな影響はあまり受けないんじゃないかなって意外と安心していたりします。

 僕は、顔だちや外見は父親に似ていると思うんですが、その内面的な(大雑把、楽天的など)ものは母親に近いのだなって思いました。父親はどちらかと言うと緻密で優しくて(母もそれは同じだけど・笑)超生真面目な人だった。
 僕もすごく真面目なんだよ!って言うと、大抵の人は…まあいいです。

 霊感…まあ感受性が強いと捉えていいと思うんですが、当時はそういう言葉でしたね。それが強くてもいいけど、同調しにくい、楽天的な性格などじゃないと、感受性が強い人は大変だろうなっても思いました。

 この辺りも遺伝なんだろうな。
 
『怒れるのなんか、もう慣れてますから~』なんて言ってますが、
本当は、ちょっとでもイヤで、何か言われるんじゃないかって心がビクビクしています。
って。『またまたウソでしょう』と反応されますが、

ガラスのハートなんですから(笑)

ちゃんと知っている人は知ってるけど、それはどうでもいいし
苦手だけど、役割だったら怒られ役も仕方ないかなあって思います。
外にね、適任者がいなかったら、ダチョウ倶楽部のお約束のようなものです。

それでも、一般的な多くの人よりは耐久能力というかがあるのかもしれません。その瞬間はイヤだけど、すぐに気持ちを切り替えます。すぐに忘れるとも言う。
そうじゃないとやってられないことだらけなのでね。

その辺りも遺伝ということで。授かってしまったものだったら、そのちょっと危険な状態の空間でも影響が少ないことや、楽天的な性格も受け入れるしかないね。ありがたいことです。




 
2016年12月02日
 常に、満足…持て余すほどあると、うんざりして、有難みが感じられない。
 いつもちょっと不足しているくらいのほうがきっと幸せなんだろうなと思う。
 あれもこれもと出されると、色々選べるような状況は意外と不幸せだね。
 
 いつも少なくて、だからこそ『あること』に感謝できる気がする。もっともっとと、戦後から駆け抜けてきた時代(ってわからないんですが・笑)は、モノのない時代に生きた人たちが、とにかく物質的に豊かになろうと頑張っていた。その土台の上に今の日本の社会があるでしょ。
 でも文化は後退している。ものがなかったころのほうが、きっと有難みを感じて、感謝の気持ちが自然に生まれていたんだろうなあ。
 ちょっと何かしてもらったりすると、嬉しいはずなのに、感動のない毎日を送っている人が多いんじゃないかな。

 我が家も…生活に必要なんだけど、あるものが常に溢れている。その状況は結構辛いのだけど、なくならない。なぜなくならないか?なくなる前に買ってくる人がいるからだ。『アレもあるよ、コレもあるよ』と出されると、うんざりしてしまう。

 大抵の場合、『必要だ』と思うモノは、ほぼなくてもいい。それよりか調和がとれているかどうかを基準にしていきたいな。

 まるで、戦中生まれの人と一緒にいるようだ。溢れていることが幸せって感じるんだろうな。

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2016年10月08日
 2018年で明治維新から150年らしい。
 平成何年が西暦何年なのか…わかりにくいし、いっそ書類は間違えないように西暦にしてほしいうと思う僕なので、昭和何年・平成何年と言われると変換に数秒かかってしまいます。書類とかは間違わないように、西暦表記がいいなって思うなあ。

 そして明治維新からもうすぐ150年だそうなのです。1868年が明治維新、明治元年だったのか。僕は1968年生まれだから、明治維新から100年ってことだったんだ。小学校入学した年(一年生のとき)が、その小学校のちょうど100周年だった。つまり1874年創立だった。大田区立六郷小学校という学校です。

 ついでに、ググると、江戸時代は1603年~なので、265年続いたんですね。1600年というと大体400年くらい前だから随分昔だなって思うけど、今から150年前も江戸時代だったわけですよね。大岡越前とか遠山の金さん、水戸黄門など時代劇の世界ですよね。

 10月から朝ドラが新しいのが始まって、9月まで放送していたとと姉ちゃんは戦争はさんで昭和で、その前の朝がきたは幕末から明治の話しだったよね。あれは150年前くらいのことなんだ。

 江戸時代もテクノロジーの発達は265年の間にあっただろうけど、あの頃は新次郎も最初ちょんまげだったし、両替屋から炭鉱、銀行と家業が変わっていった。
 バックトゥザフューチャーは、1985年が現代で、両親の出会いの30年前が1955年。マーティjrを救いに行った未来が2015年。パートⅢは1885年の西部開拓時代。時代考証は若干数年ずれるようですが、大体あんな感じらしいよね。
 1955年は、昭和30年だから戦後10年。アメリカはあんな感じだったんだね。そして1985年の西部開拓時代は日本では明治時代ですね。
 日本でも、アメリカでも、つい130-150年前はあんな感じだったとはね。

 きっと、江戸時代の期間のなかでタイムトラベルしてもあんまり時代の差がないと思うんですが、その後の変化が大きくて、タイムトラベルしたら浦島太郎状態になりそうです。
 この100年、150年の変化は大きいなあ。

 あの建物が出来てから今年で23年、僕が25歳だった時だね。23年が6回過ぎるとおよそ150年くらいだ。マーティの両親が出会ったのが1955年、前の年にゴジラが公開されたわけでしょ、意外と年月が経つのはあっという間なのかも知れない。

 阿蘇火山がまた爆発したととニュースがあった。春に熊本は地震があったし、何だか大変だなあ。7日未明の夢を思い出した。7日の日記だね。僕には予知能力なんてありませんから(笑)、たまたまです。ワールドトリガーの迅さんのようにサイドエフェクトで未来視があったらいいよね。彼の能力は目の前の人、知っている人の少し先の未来が観える。自分のはわからないというものです。そうだ、今朝方の夢もろくでもなかったなあ。書くのは辞めておこう、まさかね、その通りになると良くないからね。

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2012年07月17日
 夜中にね、考えていると眠れなくなってしまったので、書き纏めようと思いました。
 先週の金曜日に授業参観があり、その後でPTAの会がありました。そこで校長先生が体育館で風通しの悪いなか、10分くらい話していたことです。

 要約すると『体力測定をして、全体的に昔より運動能力が下がっている。特に投げる力が落ちている。この辺りもこれから力を入れていきたい』ということ。他に靴を揃える話しをしていて、そちらはなるほどねえと思ったのですが、体力測定の話しは唖然としました。

 ほとんどの陸上競技は、軍事訓練と同じなのです。高跳びは鉄条網などを飛び越えるため、砲丸投げは手りゅう弾を投げるための訓練。他も大体そんなところです。戦時中が舞台のドラマなどで、小学校で『ススメ ススメ ヘイタイ ススメ』などの文章を教育していたり、竹槍でB29爆撃機を落とすための訓練(あまりそちらは詳しくないけど、B29は『ボーイング29型爆撃機(戦闘機には主に体戦闘機用のものと爆撃機がある)』ということですよね。0戦は0式戦闘機の略)…どう考えても無理(無茶ではなくて無理だ)なことです。
 陸上競技は竹槍VS爆撃機と同じレベルのこと…精神論というか、教育の思考というのがです。

 オリンピックなどで、そういう競技があったり、他の競技でも各国の代表選手が戦争をする代わりの代理戦争をしているわけですよね。

 別にいいじゃない。ボールを投げる力が昔の子供より弱くなっても。手りゅう弾を投げる力が昔の子供より弱くなった。戦争をこれからしようという場合は、それは問題だと思うのですが、戦争をしたいの?したくないですよね。
 一部の競技を除いてオリンピックなどもどうかと思います。スケートとかきれいだなあと思うものもあるけど、順位を付ける意味は分からない。

 竹槍で爆撃機を落とそうというレベルの話しを校長先生がしていること。それに気が付いてないから、人前で恥かしくもなく話せてしまうわけなんですよね。
 体育系の人はともかく、学校の長である人がそんな考えというのはどうかなと思う。でもそれが現実ということですね。
 もうすぐ戦後67年なんですけどね。もう少し文化が進化するような、そんな話しを聞いてみたい。

 なんだかなあと思うと、眠れなくなってしまうでしょ。

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