歴史
日々のこと(日記):103
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2016年12月02日
 常に、満足…持て余すほどあると、うんざりして、有難みが感じられない。
 いつもちょっと不足しているくらいのほうがきっと幸せなんだろうなと思う。
 あれもこれもと出されると、色々選べるような状況は意外と不幸せだね。
 
 いつも少なくて、だからこそ『あること』に感謝できる気がする。もっともっとと、戦後から駆け抜けてきた時代(ってわからないんですが・笑)は、モノのない時代に生きた人たちが、とにかく物質的に豊かになろうと頑張っていた。その土台の上に今の日本の社会があるでしょ。
 でも文化は後退している。ものがなかったころのほうが、きっと有難みを感じて、感謝の気持ちが自然に生まれていたんだろうなあ。
 ちょっと何かしてもらったりすると、嬉しいはずなのに、感動のない毎日を送っている人が多いんじゃないかな。

 我が家も…生活に必要なんだけど、あるものが常に溢れている。その状況は結構辛いのだけど、なくならない。なぜなくならないか?なくなる前に買ってくる人がいるからだ。『アレもあるよ、コレもあるよ』と出されると、うんざりしてしまう。

 大抵の場合、『必要だ』と思うモノは、ほぼなくてもいい。それよりか調和がとれているかどうかを基準にしていきたいな。

 まるで、戦中生まれの人と一緒にいるようだ。溢れていることが幸せって感じるんだろうな。

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2016年10月08日
 2018年で明治維新から150年らしい。
 平成何年が西暦何年なのか…わかりにくいし、いっそ書類は間違えないように西暦にしてほしいうと思う僕なので、昭和何年・平成何年と言われると変換に数秒かかってしまいます。書類とかは間違わないように、西暦表記がいいなって思うなあ。

 そして明治維新からもうすぐ150年だそうなのです。1868年が明治維新、明治元年だったのか。僕は1968年生まれだから、明治維新から100年ってことだったんだ。小学校入学した年(一年生のとき)が、その小学校のちょうど100周年だった。つまり1874年創立だった。大田区立六郷小学校という学校です。

 ついでに、ググると、江戸時代は1603年~なので、265年続いたんですね。1600年というと大体400年くらい前だから随分昔だなって思うけど、今から150年前も江戸時代だったわけですよね。大岡越前とか遠山の金さん、水戸黄門など時代劇の世界ですよね。

 10月から朝ドラが新しいのが始まって、9月まで放送していたとと姉ちゃんは戦争はさんで昭和で、その前の朝がきたは幕末から明治の話しだったよね。あれは150年前くらいのことなんだ。

 江戸時代もテクノロジーの発達は265年の間にあっただろうけど、あの頃は新次郎も最初ちょんまげだったし、両替屋から炭鉱、銀行と家業が変わっていった。
 バックトゥザフューチャーは、1985年が現代で、両親の出会いの30年前が1955年。マーティjrを救いに行った未来が2015年。パートⅢは1885年の西部開拓時代。時代考証は若干数年ずれるようですが、大体あんな感じらしいよね。
 1955年は、昭和30年だから戦後10年。アメリカはあんな感じだったんだね。そして1985年の西部開拓時代は日本では明治時代ですね。
 日本でも、アメリカでも、つい130-150年前はあんな感じだったとはね。

 きっと、江戸時代の期間のなかでタイムトラベルしてもあんまり時代の差がないと思うんですが、その後の変化が大きくて、タイムトラベルしたら浦島太郎状態になりそうです。
 この100年、150年の変化は大きいなあ。

 あの建物が出来てから今年で23年、僕が25歳だった時だね。23年が6回過ぎるとおよそ150年くらいだ。マーティの両親が出会ったのが1955年、前の年にゴジラが公開されたわけでしょ、意外と年月が経つのはあっという間なのかも知れない。

 阿蘇火山がまた爆発したととニュースがあった。春に熊本は地震があったし、何だか大変だなあ。7日未明の夢を思い出した。7日の日記だね。僕には予知能力なんてありませんから(笑)、たまたまです。ワールドトリガーの迅さんのようにサイドエフェクトで未来視があったらいいよね。彼の能力は目の前の人、知っている人の少し先の未来が観える。自分のはわからないというものです。そうだ、今朝方の夢もろくでもなかったなあ。書くのは辞めておこう、まさかね、その通りになると良くないからね。

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2012年07月17日
 夜中にね、考えていると眠れなくなってしまったので、書き纏めようと思いました。
 先週の金曜日に授業参観があり、その後でPTAの会がありました。そこで校長先生が体育館で風通しの悪いなか、10分くらい話していたことです。

 要約すると『体力測定をして、全体的に昔より運動能力が下がっている。特に投げる力が落ちている。この辺りもこれから力を入れていきたい』ということ。他に靴を揃える話しをしていて、そちらはなるほどねえと思ったのですが、体力測定の話しは唖然としました。

 ほとんどの陸上競技は、軍事訓練と同じなのです。高跳びは鉄条網などを飛び越えるため、砲丸投げは手りゅう弾を投げるための訓練。他も大体そんなところです。戦時中が舞台のドラマなどで、小学校で『ススメ ススメ ヘイタイ ススメ』などの文章を教育していたり、竹槍でB29爆撃機を落とすための訓練(あまりそちらは詳しくないけど、B29は『ボーイング29型爆撃機(戦闘機には主に体戦闘機用のものと爆撃機がある)』ということですよね。0戦は0式戦闘機の略)…どう考えても無理(無茶ではなくて無理だ)なことです。
 陸上競技は竹槍VS爆撃機と同じレベルのこと…精神論というか、教育の思考というのがです。

 オリンピックなどで、そういう競技があったり、他の競技でも各国の代表選手が戦争をする代わりの代理戦争をしているわけですよね。

 別にいいじゃない。ボールを投げる力が昔の子供より弱くなっても。手りゅう弾を投げる力が昔の子供より弱くなった。戦争をこれからしようという場合は、それは問題だと思うのですが、戦争をしたいの?したくないですよね。
 一部の競技を除いてオリンピックなどもどうかと思います。スケートとかきれいだなあと思うものもあるけど、順位を付ける意味は分からない。

 竹槍で爆撃機を落とそうというレベルの話しを校長先生がしていること。それに気が付いてないから、人前で恥かしくもなく話せてしまうわけなんですよね。
 体育系の人はともかく、学校の長である人がそんな考えというのはどうかなと思う。でもそれが現実ということですね。
 もうすぐ戦後67年なんですけどね。もう少し文化が進化するような、そんな話しを聞いてみたい。

 なんだかなあと思うと、眠れなくなってしまうでしょ。

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