ホーム日々のこと(日記)子どもの頃のこと
子どもの頃のこと
日々のこと(日記):75
2018年01月25日
 高祖母(もしくはその以前)の代の子孫に当る…なのかなあという、遠い親戚の方とお話しできました。現在87歳の御爺さん、祖父母や叔父の(私の父親の生まれ育った)家の100mくらいのお宅の方。
 なんせ…当時、当時と言っても50年くらい前を知っている親戚がほぼ亡くなっていて、父親の兄の嫁(叔母さん)に当る方が80代なので記憶も曖昧なんですよね。2015年に叔母に訊きに行ったのですが、そんな感じだったので、僕が訊くよりも叔母の娘に当る従姉に、叔母に根堀葉堀訊いてもらおうとしましたが、同じような感じでした。
 
 ただ、高祖母に当る人が宮城県から福島に嫁に行き、その後、宮城の家がなんらかの理由で途絶えてしまうために、結婚した(只野家)として宮城に戻って来た、ということだった。
 高祖母の苗字は『遊佐』だったのだけど、その代(高祖父母だと4世代だけど、3-6くらいで曖昧だね)から只野となったということだった。なので電話で話しをしたのは87歳の遊佐さん。
 新説に…こんなね、初めてで一体どこの誰なのかも電話ではわからないだろうけど、『私にわかることはお話ししますよ』と言ってくれた。もうかなり高齢の方でしたが、明晰な感じでした。

 父親の長男はもう亡くなっているのですが、遊佐さんは叔父の一つ年上で、若いころに叔父と一緒に仕事をしたそうなんです。父親とは10歳以上年齢も離れていたので、遊んだなどの記憶はなかったようなのです。叔父の家は稲作農家をしていた(僕が子どもの頃ね)。遊佐さんの話しでは、叔父と一緒に自分の田畑の農耕の馬を育てていたそうなんです。この話しはその内従姉にも教えてあげよう、彼女の父親の話しだしね。
 遊佐という名前は宮城県大崎市(鳴子温泉ね)に非常に多いんです。どうも元々は山形県遊佐町(ゆざまちという)らしいのですが、現在の遊佐町には遊佐さんはゼロだということです。
 まったく歴史の知識がないので、『〇〇氏に仕えた△△氏』などの文章がチンプンカンプンなんで…、ただ、遊佐町の方から落ち延びてきた一族だということを遊佐さんからも聞きました。
 電話で話した遊佐さんが、高祖母の遠縁だったとしたら…違っても遊佐さんはだいたいそういう経路みたいなので、きっとそうなのかと思いました。

 では、高祖父の只野というのは…テガカリというかは範囲が広すぎて…ナゾです。高祖母は福島に嫁に行き、後に高祖父と一緒に宮城(だから遊佐さんの分家)に戻って来た。福島って広すぎ。
 多田野、但野、只野というのは、だいたいおおもとを辿ると一緒らしい。
 一つは現在の郡山市西部に明治の頃に多田野村という村があった。どうもその地域がタダノの発祥なんじゃないかと言われている。
 二つ目、何時代か忘れましたが、仙台藩・・・っていうから江戸時代かな。只野という名前が残っているとか。
 三つめ。現在の相馬…福島第一がある地域ですよね。そこには只野さんがたくさんいるらしい。

 父親の生家の栗駒市の立地からして、『福島に嫁に行った』としたら、郡山市よりも相馬市辺りなのだろうか?もうこの辺りのことは知る人は誰もいない。

 でもね、遊佐さんと話しができてとてもよかったなあ。

 おころで、先祖と祖先って、似たような言葉ですよね。
 〇〇家の先祖、私の先祖というように、『先祖』という言葉を使う。
 そして、人類の祖先、日本人の祖先というふうに『祖先』という言葉を使うようなんです。

 知らないことを知るのって楽しいですね。

 僕の日記は、本当に日記なので、メモ書きみたいなものなんで、いつ何をしたか?忘れないようにするためのもの。
 ブログなどのように『いいね』をもらうためのじゃないだよね。
 だから、読んだ人が何書いてんだかってわかんなくても問題ないのです。


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2017年10月26日
 家族の学びってアチコチ(あちこちって広い意味でではなくてね?笑)で言うけど、それは人間として生まれた以上、必ず付きまとうわけだから、だからこそ『あえてSの学び』は自分でやろうと思わないとできないでしょ。
 お金もらってしまうと、ほとんどの場合は誰もがやってしまうんだから、そこで自分で決めていかないと流されるでしょ。

 って思うんだけどね。

 そもそも『勉強(学校のではなくてね)しましょう』って思っているのだと、難しいのだろうなって思う。20年くらい前からそういう人を見てて思うんだよね。保障されているところでは命懸けになれないよね。僕は、子どもの頃からゲーム(テレビゲーム的な)はやらないからわからないんだけど、ゲームのなかで『死んだり、復活したり』『クリア(?)』というのと、学びとか思っている人のやっていることは重なって見えてしまう。
 Sで命懸けで調和の方向にって思っている人が、Kのことを出来ていたり、出来てなかったりだけど。そういう人の言うことはなんか聞ける気がする。でもKだけできていますという人のことは、正直『ふーん』という感じかなあ。

 Sだけでいい、って言っているわけじゃないんだよ。
 界隈では、すぐに短絡的に『AじゃなかったらB』『正義じゃなかったら悪』みたいに考える人がいるけど、要は両方やったほうがいいんじゃないの?って思うこと。

 Kが…って声が多く聞こえれば、どうしても『Sで学ぶのが大切だろう』って言ってしまうね。

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2017年09月09日
 中村雅俊が地球劇場に出演した、歌う中村雅俊は久しぶりに見たなあ。ふれあい、心の色、恋人も濡れる街角、俺たちの旅(谷村新司とのコラボ)などを披露するのはもちろんですが、『想い出のクリフサイド・ホテル』も歌った。驚いたなあ。本人も好きな歌だそうだ。

 新曲も歌ったんだけど、それだったら『雨のハイウェイ』も歌ってくれたらよかったなあ(ライブ映像で少し流れたけど)。

 1951年生まれの66歳だそうだ。世代によって中村の歌のイメージって違うと思うけど、僕は80年代の切ない歌詞とメロディが彼の持ち味かなって思っています。

 30年くらい前に野外ライブに行ったことを想い出した。銀行員の人とね。

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2017年03月18日
 30年ほど前の少年ジャンプで連載していたキャプテン翼。実際のワールドカップやJリーグはまったく興味がないのだけど、キャプテン翼は、しっかりとストーリーがあったから面白かった。
 ストーリーなんだよね、重要なのは。試合のシーンはナレーションでも構わないんだよね。

 そんななかで、どこのチームとの試合だったかわすれたけど、確か岬太郎と大空翼のゴールデンコンビ(笑)の描写だったはずなんだけど、岬君と翼君のそれぞれが、お互いが死角になって見えてない状態で、二人がそれぞれボールにキックをした、同時にだ。そしてボールは予想外の回転がついて、相手チームのゴールに突き刺さった。キーパーは若林源三か若島津健だったような気がするな。
 そう、30年ほど前に雑色(ぞうしき)駅前のリベルテで働いていた時に、当時仲の良かったキヨミちゃん(今はどこでどんなオバサンになっているんだかわからない。船橋出身だ)と、同じお客さんに対して、失敗をした。とても忙しくて、二人ともその人のことを、お互いが『只野君が対応しているはず』『キヨミちゃんが行ってるよね』と思っていたんだよね。でも、二人ともその人をすっかり放ってしまっていた。
 そしてね、同時に…忙しい最中だったんだけど、謝りに行った。これは打ち合わせや申し合わせはなしだった。結果その後、その方はほぼ毎日くるような常連さんになった。

 まさに、翼&岬のゴールデンコンビのようだった。昨日、まったく別の場所と場所で、Sさんと同じような体験をした。僕も、頼まれていた人に幸子さんの絵本を送って…書くと複雑だんだけどなかなかとり揃わないでいて、一週間以上時間が過ぎてしまった。また、Sさんはその方から資料を依頼されていたんだけど、それは送ったんだけど、住所の聞き違いで郵便物が戻ってきてしまっていたという。Sさんからの連絡をもらう数時間前に、まったく知らずに僕はその方に絵本を送付していますが、その中に、その資料を同封していた。

 ちょっとね、わかりにくいかも知れないけど、翼君と岬君のような、そんな体験だった。
 あの頃は、まったく考えもしなかったんだけど、こういうのって時空が、フゲーエキンが伝えてくれているんだよね。そんな時空の仕組みに感謝。体験させてくれてありがとう、でした。

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2017年03月13日
 13日にまあ、東京に行ったんですが、ほぼ始発で出かけて終電で(宇都宮起点なので遅くまで可能)戻り、

 午前中は、久しぶりに母親に会って。これは他愛無い話しですね。母親にちょっと書き物を頼んでいました。もともと、何かを書くとかしない人だし、いい年だからね。それこそ『もうさ、いつ死んでも可笑しくないんだから、そうなる前、死ななくてもアルツハイマーとかなるとわかんなくなるだろうから、少し昔のことを書いといてよ』とね(笑)。
 今の世代だったら、ブログとかそういうので意外と書くことには慣れているでしょ?半面、会話が出来ない、電話が出来ないって人もいるわけですけどね。
 そして、母親の場合は、…きっと纏まった文章を書こうなんて思っていたら、どのくらいの期間かかるのかわかんないだろうから、まず書いてもらって、それを僕が一度ワード入力をして、その紙に書き足したり、訂正をするほうがいいと思ったので、そのやり取りの最初の段階ということなんです。

 新聞折り込みの裏に書いてあるものを二枚受け取りました。その新聞折り込みの裏ってのが、母親らしいです(笑)、ちゃんとした便箋なりに、なんて言ってたら、いったいいつになるのかなんてわかりませんからね。
 生まれた日~中学生くらいの事が書かれていました。『途中でアレもと思い出したこととかもあるから…』って言ってたので、それは明日くらいに郵便で送って、それに書き込んでもらおうと思っています。

 途中で…最後まで完成したら、また違う(なんだよ、これ!って怒ってしまうかも知れませんが・笑)、自分の場合は幼少の頃から母親と父親に愛されていたんだなというのが、文字にしてもらうと実感がやはり違います。
 何十年も前から、以前の職場などでも色んな悩みを持った方たちが来られていたり、そういう場じゃなくても、色んな体験をしている人っているじゃないですか。
 そういう中で、『子どもの頃に酷い体験(特に両親からの扱い)をしたから…』という方って多いんですが、僕の場合はそれが実感を持ってはわからないんです。
 想像は出来ますよ。もちろん、『それは大変だったよね』と思うことがたくさんたくさんあるんです。ただ、…ほとんどの人は大人でしょ?まして日本は少子高齢化しているから(笑)、若い人は少なくて、年とった人が多くなっています。
大人=20歳以上=子どもたちから思うとオジサン・オバサン、そして仮に20歳までは未成年で、親に育てられたとしても、20歳以上はオジサンとオバサンなわけですよね。
 30歳という人だったら、少なくても、オジサン・オバサンになってから10年。子どもだった期間が20年としても、その半分は大人として過ごしてきているんだから、『小さい頃に、三歳や五歳の時に親からこうされた、ああされた』って、『だから自分はこうなんだ、ああなんだ』という気持ちがまったくわからないわけなんですよね。

 心情はわかるけど、『20歳過ぎてから何年経ってるんだよ』と思ってしまうわけなんですよね。

 僕の場合は、10歳の時に交通事故(両足骨折)、高校は途中で辞める。18歳頃に父親の経営する会社が倒産。20歳の時に父親が死んで、30歳頃2さに自動車事故、36歳で結婚、子どもが生まれる。40歳頃に不動産詐欺に遭う。41歳の頃に『子どもの頃から発達障害だった』とわかる。42歳の時に子どもが難病(半年で治る)。以降奥さんが大変なことに…と、こう羅列しただけ、そう読むと結構大変なんだよなあって思うんですが、性格というか、面倒なことは忘れるのが幸いしているのか、恩師と言える人や、周囲の方たちが有り難い人なのか、なんとか毎日生きていますが、結構大変だよなあって思います。

 ただ、父親・母親からのことは、とても有り難い(もちろん当時は思わないよね・笑)ことだから、『親にああされた、こうされた』と、親に対して恨んだりしている人の気持ちがわかんないですよね。何度も書いているように、心情はわかるけど、『もうずっと前のことなんだし、前を向いて行こうよ!、それなのにアナタはどうしてそうしないの?』って思ってしまいます。
 その原因というか、自分の場合はこういうふうに両親に包まれて育っていた。ということなんだなと思いました。

 4月5日発売の谷村新司オールタイムベスト『スタンダード呼吸(いき)』(3枚組)にも収録されている、『忘れないで』、1990年のウィーンレコーディングの『プライス・オぶ・ラブ』に収録されていて、今までの再レコーディングされているし、今回で三回目のレコーディングかなあ。
 3枚組、45曲プラス2曲のうち、だいたい30曲くらいが新しいレコーディング(本当の新曲は一曲)、当たり前の知っている歌が…多分、昴やいい日旅たちなんかはもう7-8回目のレコーディングだね。飽きちゃうね(笑)
 今回のアルバムには日本のスタンダードとして、旅人よ、落陽、無縁坂、少年時代、レイン―ブルーなどを歌っている。あれだね、BSの『地球劇場』の収録は、基本的にレコーディングを兼ねている(そのクオリティで番組を作る)からね。レイニーブルーなんかは、徳永英明とのヂュエットもあったけど、断然、谷村ソロのレイニーブルーのほうがカッコよかった。そういう意味で、少年時代も井上陽水のよりいいなあって思ったよ。

 ほらね、そこのアナタ、『また余計な話しで長くなってるよ』と思っていますよね!
 ちゃんと、『忘れないで』の歌詞を掲載しますよ。ジャスラックの問題もあるから、二番の歌詞はなくてしておきます。ともかくね、はやく4月5日にならないかなって思っています。

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2017年02月03日
 今日は節分ですね。一年の、季節の分岐点なんですよね。
 動物は与えられた環境で生きているのに、人間は親にこうされたとか、育った環境がどうとか、ずっと抱き続けるのかな。面倒だね(笑)。
 そういうのを続けても、まったく建築的じゃないのになあって思っても、どうも捨てきれないらしい。捨てきれないのはいいにしても、その相手(親なら親)に対して負の感情を持ち続けてもいいけどさ、他の人たちに対しては、そういう気持ちをリセットして接してもらいたいものだよなあって思うのは僕だけ?

 僕は、どうしたら楽しく(大変なことがあっても、楽しくという意味)過ごせるかを模索してしまうんだけど、そうじゃない人もいる。
 そういえばさ、小学二年の時に、いつもブツブツ言ってた子がいた。山崎君だ(全国の山崎君は千差万別だけど)。その彼の言動を見てて、とても不思議に思った。彼がブツブツ言ってることに対して、答えてしまう。そう、答えるのはそういう性格だから。しかし、その会話に対しての答えは返ってこない。
 不思議に思った。よくよく考えると、初めて見た変な人だったのかも知れない。そんな山崎君も中学の時はそれなりに頭が良くなった(成績がね)。50歳の目前にした今はどうしているのかなんて全く知らない。それでもどこかの企業で働いて結婚もして、子どもなんかもいるんだろうか。

 にしても、親からこうされたとか、そういう気持ちを持ち続ける人たちは一定数いる。これは変わらないんだろうな。
 うちの親はどうだったんだろう?
 中学の頃なんかは、同級の友達から『にゃんこ(というニックネームだった)のお父さんって厳しいよな』と言われていたから、それなりに厳しかったと思う。でも優しかったし、恨むとかね…考えないよなあ。一生懸命生きていたと思うし、そういうのって子どもの時ってわかんないけど、有り難かったなというのは思うけど、恨んだりって…考えないよなあ。
 きっとこういう自分には、そういう体験をして忘れられない人の、捨てられない気持ちはわかんないんだろうなあ。想像は出来ても、『それはもう、大人になって何十年なんだから、昔のことを言っててもしょうがないじゃん』って思ってしまう。合理的なんだよね。
 合理的に考えられない、感情が残っているのが人間だね。

 また、僕としては、『こういう辛い体験をしている人なんだから、人の気持ちもわかるだろう』と思ってしまうのも、勝手な思い込み。

 それにしても、今日は節分。豆まきをしたり、恵方巻を食べたり。
 コンビニの人は、恵方巻のノルマがあるとか。太巻きは普通に買おうよ、なんでも季節商売に結び付けないで行こう。

 ともかく節分はエネルギーの分岐点だね。夕方豆まきを家でしました。もう11歳なので、『鬼はお外』とは言いません(笑)。何に対しても『お』を付けることはいいことだと思っています。
 子どもに『金くれー』なんて言われたくありません。でも『お金くれー』なら、いいかなと思います。私達大人も、ちゃんと『お』を付けましょうね。

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2017年01月07日
 なんだかね、ニュースでさ、ユーチューバーの人が動画を撮りたいということで、宅配業者の人にチェーンソーを向けたとか。バカすぎるよね。
 きっと何十年も前も、面白いことをする人はいたけど、『それは悪いことだよね。怒られても仕方ないよ。でもやってみたい』とリスクを持ってやってたと思う。それが、ネットとかブログとかユーチューブとかでやりやすくなった社会だからかな。
 昔だったら、いたずら写真を撮るのにも、現像してプリントして。それだけでコストはかかるし、あまりにもやばい写真だったらプリント屋で問題になる(自分で現像などする人もいたろうけど)よね。
 僕も、20歳前に成り行き上、夜中線路を歩いことがあります。見知らぬ土地で、同年代の人に道を尋ねたら、『俺らもそっち方面に行くんで、着いてきて』と言われて、私鉄の二駅くらいだったけど、駅構内の線路を歩くときには、『あ、ここは頭を低くして、見つからないように』と言われて、しょーもないよなって思いながら、そんな日もありました。
 今だったら、スマホで録画してネットにアップするなんてことが簡単にできてしまう。彼らは日常のことだったのかも知れないけど、僕は、これはマズイだろうって思ってやりましたね。

 いくら、ネットで受けそうとかアクセスを増やしたいなんて思っても、もう少し考えるべきだよね。(チェーンソーのことや、バイトテロなど)
 しかも、40歳くらいの人だったとか。なので、子ども(20歳未満)ではなくて、大人になってから20年も過ぎている人だ。

 簡単にできてしまうというのは、危ないね。クレジットカードを使うのも、電子レンジを多用するのも、同じようなものかなって思います。
 簡単で便利だと、それを大体ロクでもないことに使ってしまう、そんな世の中なのですね。15年くらい前に思ったのは、ネットを見るのは誰でもできるようにして、ネットで発振するのは、許可制というか、調和がとれているかどうかが、基準にしないとダメだろうって思っていた時期があります。僕がHPを作る前ですけどね。そしたら、『誰でも発信ができるから、広がるんだよ』と言われてしまった。そうなんだけどね。
 
 それを含めて、そこから学ぶ…不調和になって、バカだなあと、人を見て、自分は気を付けるのがいいのかな。そういう役割をしてくれたのかも知れません。

 そのことで、友達と話していて、90年代に某さんが…チャクラの一部を能力開発として開いてしまって、でも自我が強い状態だったから、酷いことをしてしまった。そうした現象を、『ああなってはねえ』というのを教えてくれていたみたいですよ。ってことだったらしい。ハートの、ハートを開くことがとても大切ってことだよね。

 今の小学生たちの憧れの職業の一つがユーチューバーらしいけど、別に動画配信なんてしなくても、楽しいことはあるよ。やりたいことは見つかると思うよ。

 ハートがあったら、きっといいユーチューバーになれるかも。でも奇抜なことをしないとアクセスは増えないから、ユーチューバーとして大成するってのはきっとないよね。
 今できることから。本来の方向へ。

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2016年12月31日
 基本的に、目上、年上、上司などの立場の上だと思う人に対しては、手厳しいかと思います。
 だって、僕より偉い人だったら、目下の人間のことを考えられなかったら、目上の資格なんてないね!って考えるからかなあ。昔からそう。
 そして大人(20歳以上のオジサン・オバサン)は、感情で怒ったりなんてしない。というのは、子どもの頃に思っていたもの。父親から年中怒られたけど、父親は感情的になって怒ることはなかった。あくまでも、怒る=叱るだった。
 同年代の子どもは感情的になって暴れたりするバカもいると思っていたけど、大人(20代以上の人)は、感情で振り回されないものだと思っていた。

 しかし、現実は違った…小学校の時の隣のクラスの先生は生徒のことを呼び捨てにしていて、驚いた。大人の人なのに、きちんと、敬称をつけて人(ましては目下の人間を)を呼べない大人なんているということ。しかもそういう人が教師をしている。目上の人には手厳しい。しかし、自分より年下の人間が無礼だったりしても、バカだなあっては思うけど、それは年齢が下のために仕方ないね、って思える。年上には許されない(笑)。

 それは、敬ってないとかそういう感覚ではない。年が上だったら、それこそ、実るほど頭を垂れる稲穂かな。なのだ。目上だったり、権限があったりで威張っているなんて、恥ずかしい限りだ。そういうふうに、誰かに教わったわけではないけど、そういう考えが中学生くらいの時には成立していた。

 きっとこれからも変わらない。年下の人は、これから色んな体験をして学んで行ったらいい。自分より年上の人には時間がない。学んでいる時間がない。僕も、その領域だね。四捨五入したら50歳だ。

 これからの人たちが、決心実行しやすい環境を、少しでも作ってあげるくらいの心意気が欲しい。親分風を吹かせる前に、年配だったり権限のある人こそ、手本になるような行動をとってくれるといいなって思う。

 ウルトラマンタロウの防衛チームであるZATのような雰囲気がいいね。朝比奈隊長(名古屋章)の采配、新垣副隊長(東野英心)の現場でのリーダーシップ。和気あいあいとしたチームの雰囲気。就職した職場がZATみたいだったら、きっと楽しいかな。
 
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2016年12月04日
 音声信号は、手軽で便利な情報伝達手段だなと30年くらい前に思いました。高校生の頃に喫茶店でバイトをしていて、お客さんからの注文を運び手と作り手で情報のやり取りをするのに、目で確認する方法は後からでも確認する利点はありますが、音声での伝達をメインにしていたお店でした。
 なぜ便利かというのは、目で確認する方法だと、他のことをしている手を止めて、紙にかかれた(今でしたらモニターなども)文字を見ないとならないじゃないですか、こうしている今も、みなさんはパソコンなどの画面に書かれている文字を目で確認して、言葉の情報を脳で判断していますよね。
 でも、これがラジオのように僕が話しているのだったら、家事や仕事をしながらでも音声信号として耳から入って、音声の言葉を脳で認識することができるんです。

 なので、そのリベルテっていう名前のお店でしたが、オーダーを通すときのルールが結構細かかったんです。例えば、『ブレンドひとつ、モカ(ストレートコーヒー)一つ、アイスコーヒーが二つ、チーズケーキが三つと言った場合には、
1 数字が最優先 2 種類で言うと、コーヒーが最初、でもその中でも、ブレンド、ストレートコーヒー、アレンジコーヒー(カフェオーレやウィンナーコーヒーなど)、その後に紅茶関連、オレンジジュースなどと続きます。 3 飲み物で暖かいものと冷たいものだったら、暖かいものが優先…などのルールがありました。そして最後にそれぞれの注意事項を言うことになります。例えば、4つのアイスコーヒーの内、一つがガムシロップを1/3とか、生クリームを乗せないとか、そういうのを伝えます。

 なので、先の注文の場合 『(数字は英語で言う)3ケーキ(チーズケーキ)2アイスド(アイスドコーヒー・冷やされたコーヒーの意)1ブレンド、1モカ』と伝えます。
 こんな感じで、10人くらいのグループのオーダーでしたら、誰もが口頭と耳でのやりとりで把握できました。もちろん、10人グループの前後にも色んなオーダーがありますが、作り手側は『さっきまでアイスドが3個で、うち一つがガムシロップがハーフだったけど、今のオーダーで生クリーム抜きのアイスドが追加された』など、メモを見るのではなくて、頭の中で把握されています。
 恐らく今の飲食店は端末でのやりとりが多くなっているでしょうから、そういう人間の基本的な能力を使わなくて、マニュアル化されているんでしょうけど、短期記憶のない人は働けなかったなあと思います。


 なので、その頃(16か17歳)に、音声での伝達っていうのは非常に使い勝手がいいなと思っていました。細かい取り決めがあったから、個人の勝手な解釈がほとんどなかったから出来たんだと思います。

 うちの家の中で、家族がテレビを見ていて、画面の前にモノが置いてある、僕が置いたりするんですが(笑)。でも画面の1/20~1/30の面積で、その部分が見えなくても何の問題もないだろうと思うことだけど、それを嫌います。
 キレイな場面の映像で、その画面をすべて見たいなあと思うこともあるだろうけど、情報番組やニュースなど、さほどどうしても映像を見ないとっていう内容じゃないのでも気になるみたいなんです。
 そういうのだったら、僕はほとんど音声がメインで、ドラマなんかでも画面の隅のほうが見えても見えなくても、どうでもいいかなって、ドラマのセリフのやり取りはわかるし、隅っこのほうが見えなくてもいいじゃないって思うんだけど、映像というか目で見て確認することを主にしている人には、気になるのかも知れないですね。

 同じように、同じ日本語、単語を使っていても、それぞれの人によって解釈やニュアンスが違うと、意図が伝わらずに、言葉(音声でも文字でも)があまり役に立ちませんよね。1996年のウルトラマンティガのなかで、地球に住む生物だけど、人間側(主にホリイ隊員が)がコミュニケーションを図るのですが、クリッターと呼ばれる雲の上の上空に住む生物は、共食いをするロジックがある生物で、ホリイ隊員が『僕もあなたも地球に住む友達だよ』という意志で語りかけるも、彼らにしてみたら、友達=食べ物なわけなんですよね。これはホリイ隊員もコミュニケーションをあきらめるしかありませんでした。
 アムロレイ(先日の夢に登場した、ファーストガンダムのパイロット)が言う、ニュータイプの定義として、『誤解なく理解し合える』という、でも、ますます混乱している今の地球では、それは難しそうですよね。

 また、音声での伝達は、真空空間だと音波は伝わらない(振動する媒体がないから)けど、空気中や水中(水の中では生きられないけど)では、先のように目で確認しなくても、ある範囲には情報が伝わるから、いいなあって思います。
20年くらい前に愛さんがクリスタルボウルを始めて、今は多いけど、当時はクリスタルボウルを演奏する人は日本ではほぼいませんでした。
 ただ、その人の振動波が増幅されるものなので、やっていい人とやっちゃダメな人がいるわけですよね。それは今も変わらないんだろうけど。そういう意味で、音声は空気を媒体として増幅する、解りやすい例はジャイアンの歌やしずかちゃんのバイオリン。これはドラえもんのなかでかなりの攻撃力を持っているものとして描かれていますね。ただ、現在のジャイアンの声優さんはちゃんと歌えますよね(笑)。ジャイアンのあの歌は演技ですね。なぜって…前に子どもにドラえもんのCDを借りて、その人の歌も入っていたので知っているだけで、基本的にアニメのこととかは詳しくないんです。

 手軽に情報や振動波を伝えられるということは、それは注意しないとならないってことでもあります。


 相手を思う気持ちが欠如していると、…同じ言葉を使って話しているはずなのに、わかんなくなることもたくさんありますね。

 きっと、理解の度合いは違うのだろうけど、どういう方向に生きていこうとしてるのか、が大切なんだろうな。

 でもさ、メールとか文字でのやりとりよりも、音声のダイレクト(電話などでもその場で返事がわかるでしょ、返事も言えるし)なコミュニケーションのほうがいいなあ。


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2016年11月30日
 20年来の友人と話していて、その人には大体いつもジョーダンで軽くかましたりしているんですが…『相変わらず言うわね』ということで、ずっと前に流行った動物占いを思い出しました。
 愛情あふれるトラなんですが、そのなかに『笑いながらきついことを言える』というのがあったなあと思って、動物占いを見てみました。


こんな感じです~


<トラの総合的な性格>

●争いごとが大嫌い
●自由、平等、博愛主義
●誠心誠意
●バランス感覚バツグン!
●悠然とした態度
●即断即決はしない
●決めると徹底的にやる
●あまり大きな話はせず
●全体像がつかめないとダメ
●自分の生活圏を大切にする
●カラフルなおしゃれ
●器用貧乏
●気づかない計算高さ
●面倒見かよく、親分肌
●笑いながらきつい一言が言える
●相手の「言い分」が気になる
●思い込みは強い

 動物占いは、昔からある何かの占いなんでしょうけど、こうして読んでみるとほぼココロあたりがあります。一般的にどうとでも受け取れることはともかく、『全体像がつかめないとダメ』なんて、結論から話しを聞かないとならないし、ドラマや映画などはラストシーンから観て、安心して全体を鑑賞できるようにしておきたいなんて思いますから、部分部分を話されるのは苦手なんですよね、『まずは僕が訊いたことから答えて、それで順序通り説明してくれよ~』なんて、今日も話していました。カラフルでオシャレってのは、服装とかは気にしません。でも色調を合せるとか(あくまで服じゃない)はすごく考えるし、計算もしますよ、ただしどんぶりです(笑)。争い事は、じゃんけんもイヤだな。格闘技のテレビなんて、子どもの頃に父親から『子どもが観るもんじゃない』と教えられて以来、基本的に見ないですね。
 
 その、笑いながらきつい一言を言うってことにも、『あなたの声だからいい』そうなのです。自分の声ってちゃんとは聞こえてないんですよね。自分の声だと思っている音は、空気の振動の『自分の声』と骨伝道…頭蓋骨を伝わる音(?)、ガンダムで言うところの接触回線のような振動とが合わさって聞こえているように聞こえるものだから、録音された自分の声(空気の振動のね)を聴くと、誰の声だよ?って思うんです。
 ずっと前に足立幸子さんの講演を録音したテープ(この表現がいいでしょ、昭和な感じで。でも平成なんだけど)を聴いていて、『あ、この質問している人、僕がしたような質問だね』と一緒に聴いていた人に投げかけると、『何言ってるんですか、これはアナタの声ですよ』と言われてしまった。そのくらい、自分の声は聞こえてないんですよね。
 だから、どういう声でキツイ一言を言っているのかわかりません。

 そういう意味で、キャラクターも相まってか、大抵の人は許してくれたり、(言われちゃっても)仕方ないね、って受け取ってくれるのですが、時々怒ってしまう人もいますね。それでもまあ、いいやって思ってしまうところが、きっとトラなんでしょうね。

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2016年10月26日
 朝6時くらいに起きて、おしっこして散歩(おしっこと散歩は別々にです・笑)していると、18年前の記憶がよみがえりました。夜は暗くてわかりませんでしたが、ここは諏訪湖なんですよね。
 18年前のもう寒い時期だったので、11月か12月頃に来ていました。友人AとS君と三人で、東京から荷物を運ぶ、そんなことで立ち寄りました。その倉庫は諏訪湖近くだけど、諏訪湖より東側、東京寄りにありました。だから諏訪湖より東側のインターで降りています。そして帰りの道、どうして東京方面に向かわないんだろう?と思いながら、K君に運転はまかせっきりなのでしたが、疑問は解けました。諏訪湖より西のインターから高速に乗って、諏訪湖のパーキングに立ち寄ったのです。そこでそばかラーメンを食べて、缶コーヒーを三人で飲んだ、そんな記憶がよみがえりました。
 自分一人の記憶だと、あいまいなので、A君に電話して話したのですが、A君はもうすっかり忘れています(痴呆症ではないと思うんですが)。でも、間違いなく、当時帰り道は遠回りしたというのははっきりしています。
 そのことを思い出すために、昨日から高速に乗って、このパーキングで一晩明かしたんだなと思いました。諏訪湖に来た(パーキングだけど)はその時と今回だけです。

 だから何?ってことですが、なんか自分にとっては大切なことな気がします。
 もう、後は東京に向かうだけなので、とりあえず八王子を目指します。

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2016年10月11日
 MIXIのニュースで、『お店で客として行ってて、店員に顔を覚えられたくない』という内容があった。裏で自分のことを何て呼ばれているのか?気になるそうだ。確かにお店の種類によってはあるのかな。

 僕が高校生の時にバイトしていた喫茶店で、思い出した。時々来店する20代前半の男性がいて、彼のことを『スジャータ』と呼んでいた。いつもカッコつけていて(カッコ悪くも良くもない)席で足を高く振り上げて組んで、座る。そしてコーヒー専門店で『レギュラーコーヒーありますか?』って、いやいや、インスタントコーヒーは出さないよと思いつつ、『いろいろ種類ありますが、何がいいですか?』となります。

 そして、出来上がって持っていくと、『スジャータは要らないよ』と言うのです。その…口調が当時の田原俊彦風で、これはね、悪口とかではなくって、普通に接していても目立ってしまいます。仕方ないですよね。
 今でこそ、スジャータというかポーションのミルク(植物性だね)を出すコーヒー専門店はあるだろうけど、1リットル千円近くするフレッシュだよ。基本的に冷やしておかないとならないものだからね。
 それ以降、彼はスジャータとなったわけですが、そういうのって在るよ。

 その後、働いたお店には、時々芸能人がやってくる。蒲田という都内でも端っこのほうなんですけどね。今だったらツイッターでどうの、とか問題になるかも知れないけど、周知している先輩から『只野、あの席にいるサングラスのさ…〇〇の▼▲(もう呼び捨て!)だよ』なんて教えてもらったり、でもそれで写真を撮るとか、そんなこともなくて、『へえ』って見てたりして、別にね、そういう人が女の人と来店していても、家族でも友達でも、カップルでも来るお店だから、どうと言うことでもない。
 昔から芸能人のゴシップはあっただろうけど、今は気にし過ぎというか、クレームとか炎上とか、面倒なことが多すぎるよね。関係ないけど、10代の時によく行ってたパブ(時効だね・笑)では、有名じゃないけど歌手の人も来ていて、そんな芸能人なんて自分の好きな人なら別だけど、興味ないでしょ、それでその人と一緒にカラオケ(順番に歌うではなくて、ハーモるなど)したりさ。途中…いろんな意味でヤバい人だと思うこともあったので…まあ、人それぞれだね。その人も何年か前に亡くなったとネットで知ったな。
 某ショップで働いていた時は、今でもよくテレビで見る女性芸能人がやってきてて、普通はしないけど、彼女にはついつい、指をさして笑ってしまった(笑)。あちらも、まさかね指を指されると思ってなかったんでしょうね、その僕の姿を見て笑ってました。おおらかな時代でしたね。余談です。



 『人からなんて思われているのか?』気にしすぎだろうなって思います。

 今のところに引っ越して来た直後に、3-40メートル近くの住人のおばあさん(もう少し若いのかもしれないが)いて、よく歩いていた。何度も見かけるから近所の人なのかなって思って、『おはようございます』と声を掛けても、まったく無視。
 歩きながら横の髪を耳にかきあげるしぐさをしながらいつも歩いている。うちの中で『なんですかオバサン』となった。何って…武田鉄矢の金八先生、金八先生はそんなにそれをしませんが、物まねの人がその仕草で『なんですかあ!』とやっているからだ。そういうことってあるでしょう。
 近所のパン屋は、来たお客さんのことを勝手に推測して、あの人はきっと10年後ああなって、どうこう…、オイオイ、そこまで勝手にストーリー作るなよって思うくらい(笑)。昔から人物ウォッチングが好きなんだとか。

 要は、見られて恥ずかしくない行動をしていたらいいんだよね。あまり気にしないけどさ。
 僕は、昔から知られてしまう。僕が知らない人も僕のことを知っている中学の頃もマンモス校なので、同じ学年でも知らない人だらけ。でも、何組の只野だよね(もしくは当時のあだ名のにゃんこ)って言われたり、『あのお店でバイトしている子だよね』というふうに、なので、そういうもんだと思っています。僕のことを知っているからと言って、ストーカーされているとか、考えるわけがない。

 シャアだって、プロガバンダの意味もあるけど、戦場で赤いモビルスーツなんて、目立ってしまい、デメリットだらけでしょ。ともかく過剰に自分を隠そうとする人の心理というのは、ナゾなんです。

 時々、製品によっては生年月日を確認させていただく場合があるのですが、『個人情報はちょっと…』など言う人がたまーにいますが、うちはできるだけクレジット決済はしないほうがいいよ。と言ってるし、最初はネットからの注文でも、メールや電話などで注文くれる人もたくさんいるんです。
 クレジット決済を多用しているってことは、『いつどこで誰が何を買ったか』を晒しているわけでしょ。なので、『そうしないほうがいいよ』って伝えているわけです。

 それと比べたら、生年月日の確認なんて、ものすごく小さいことなんですよね。

 20年前に働いていた会社は、来館する予約(来るだけの予約です)の時に、来る人全員の

 名前・電話番号・住所・生年月日を訊いていました。その頃も時々、躊躇される人もいました。『どうしてそんなことまで訊くんですか?』と。でも反対に考えたら、『どこの誰かもええない人を迎え入れないと私達はいけないのですか?』と言うことになります。

 ハートを開いているかどうか?という度合いのことなんでしょうね。
 今だと、『ああそうか、ハートの問題なんだな』とわかりましたが、当時はわかりませんでした。

 そうした中に、これは来館予約ということではなくて、結構金額の大きいお買い物のお申込みがあって、当然のごとく『先にお振込みいただいて、予約確定で入荷次第のおとどけです』と連絡をした方で、たった一人だけ(数百人のなかの一人)、『そちらの会社に振り込んで、もし製品が届かないなんてことはないでしょうね』と言う方がいました。
 その時は『どうして?こういう考えの方がその製品を申し込まれるのだろう?』と思いました。

 確かに、今の社会は変な事件は多くなるし、人間同士で信頼し合ってないから、そういうことを慎重に(個人情報なども)ならざろう得ないのでしょうけど、困ったものです。

 無縁社会。人との交流がなさすぎて、なんでもカンでも会話をしないで、ネット(メールやラインなど)の交流、『友達』なのに、どこに住んでいるのか、住所を知らないとかもあります。それは、会社内だけの付き合いとか、取引先関係の人とか、そういうのだったら、どこに住んでいるのか?なんて関係ないし、知らなくても問題ないのだろうけど、MIXIのニュースにあったように、お店で話しかけられるのがイヤとか、なんだか行き過ぎているなって思います。
 でも、それが今の風潮なら仕方ないのだろうか。

 細かいことはともかくとして、自分の生年月日を言うのなんかより、クレジットカードで買い物(ネット・実店舗問わず)するほうが、個人情報をさらしているという危険度が大きいって知ったほうがいいよね。
 僕がクレジットを使わないほうがいいよ、っていうのは、他にも理由はあるけど、『個人情報が云々~』と言う人だったら、それこそクレジットは辞めたほうがいいに決まっている。優先順序が変だね。

 ちょっとね、日記に書いちゃっていいのかな?と思うことも含まれているけど、

 気にし過ぎない、知っておいて損はないよ。ということだから、まあいいか。何かクレームを言いたがる人は、何につけても言うんだし。

 ああ、クレジットを使う・使わないというのも個人の自由だし、何をどう考えてもきっといいのかな。ただ、僕はできる範囲で使わないほうがいいなって思います。それしか選択肢がない場合などはいいんじゃないのって思うし、ひとつの考え方ということですね。
 いろんな人がいるってことですよね。

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2016年05月30日
 今日発覚したんだけど、先日数人でご飯を食べている時に、
 その中にいるAさんとBさんが意見の違いで口論(よりよくしていくための会話だけどちょっとエキサイト)したということを、そのなかにAさんもBさんもいるなかで言ってしまった。
 風通しがいいだろうと思ってのことだったんだけど、さっき知ったのだけど、その時にAさん表情が曇ったのだとか。うーん、周囲を見てない僕だなあ、空気とかまったく読みはしない。

 ここで、考察。
 占星術では、僕が生まれた時の水星の位置がふたご座なんです。ふたご座の守護星が水星なので、基本的にはよいのですが、簡単に言うと水星もふたご座もコミュニケーションを意味しています。
 問題なのは、水星が逆行している時間帯だったっていうこと、生まれた時の話しです。
 どういうことかというと、よくアレコレと話すんですが、要らぬ誤解を与えてしまったり、言わなけりゃいいということも言ってしまう。そんな人生、そんな毎日を送っています。ご迷惑おかけした方たちすいません。
 残念ながら、気を付けてはいますが、基本的ない部分は治らない(これがおかしいかどうかも?)んだろうなって思っています。

 何も言わないと、何思っているんだかまったくわからないからね。それよりはいいのかなあって思っています。

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2013年06月06日
 整理整頓が子供の頃からとっても苦手です。その上、目に見える場所にあれこれあるのが苦手(でも目に映ってしまう・笑)
 久しぶりに整理しています。毎日毎日もの(主に紙もの)がたまっていきます。これはなんとかしないです。できれば水際(玄関という意味です)で処理してしまうと、部屋に持ち込まずに済むので楽なはずなんですよね。

 紙ものって、中身を読まないとそれが必要なのか必要じゃないのかがわかりませんよね。ヘタして…それを封筒なんかに入れてしまうと、まったく何か書いてある紙かがわからなくなってしまいます。

 そしてきっと、最近多くなっているだろうと思うのが、パソコンのなかです。データだと紙が増えないのはいいことなのですが、要るもの要らないものすべて入ってしまっているなんて方多いんじゃないでしょうか。

 この整理する能力がもう少しあると嬉しいな。

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2011年10月27日
 子供の頃から『車道を通っては危ないからダメ』と親に言われていたから、自転車は歩道を走るものだと強く認識しています。子供の頃に育った地域は国道15号(第一京浜国道)なので、あんなところを自転車で走るのは自殺行為だと思います。最近の雰囲気は知りませんが、時々ロードモデルなどで車と同じ速度で走っている人を見かけましたけれど。

 仮に、車を運転していて、主婦や小学生・中学生たちが車道を自転車で走っていたら、とても迷惑というか車から見ても危険だと思います。歩道を自転車が、人や他の自転車に注意しながら走るという、当たり前のことのほうが現実的だと思います。

 今住んでいる栃木県、幼稚園児が家にいます。とても車道の歩道(これが度切れ途切れ)も自転車で走らせるのは無理な感じ。公園まで自転車で歩くか車に積んでいって、公園で自転車に乗せる…そんなことをしていると、自転車って何なんだ?と考えてしまいます。

 自転車の免許はいいアイディアかと思います。小学生は学校か何かの認定証みたいので、中学生以上は車と同じレベルの交通規則が適用されるような形で。自転車でも交通ルールは認識していたほうがいいと思います。

 もっと根本なことを言いますと、ルールが必要ない調和のとれた意識レベルの社会になることが大切だと思います。
 ルールがないと無茶苦茶をしてしまう人がいる段階だから、法律などが必要なんですよね。今はそういうのが必要な未熟な社会ということなんですね。

 とここまで一旦書いておいて…。

 何かの記事に『盲目の人の杖が自転車に何度も折られた』その上、『バカヤローと言われた』というのがありました。
 
 それは酷い。
 自転車は車道よりも歩道を走るのがいい(速い自転車以外ね)と思いますが、周囲に注意していかないとダメだと思います。怒鳴るなんて想定外の出来事ですね。
 
 僕は、目が見えない人の気持ちがわからない。想像力が乏しいから自転車と車の視点からしか考えられなかった。だから、盲目の人の気持ちを自転車がどこを通ったらいいか考えられなかったんだと思う。

 ときどき寝る前などに、何かを手に持って、それを感触だけで何だかを当てるというのをやっています。このエッジ、この感触、…そんな風に考えていくものです。
  これらも予め、違いを視覚で認識しているからわかることです。もし最初から目が見えなくて、手の感触だけでモノを判断していたら…感覚が鋭くてその場合は違いがわかってしまうのかも知れませんが、そこら辺が想像しにくいんです。

 昨日の子供のテレビで、実況の練習を福沢朗が子供たちにしていた。『…今のだと、もしラジオで映像を見てない人が聞いていたら、何だかわからない、様子をイメージできないね』というダメ出しをしていた。見たことの無い人に何かを伝えるように話すのは難しいということですね。
 
 心療内科の先生によると、『本当に重度のアスペルガーの人は、苦手なものをできるようにしようなんて考えることはないですよ。ご自身の場合は結構客観的に考えることをしますね』と言われたことがあります。たとえば肉が嫌いで不味くても、『これが世の中の人が美味しいと言っているなら、食べてみよう』という実験をしたりするあたりのことだと思います。

 それと同じように、耳が聞こえなかったら、目が見えなかったら…ということを考えることがあります。目を閉じてどこまでまっすぐ歩けるか(道でやってしまうところが危ない)とか、ちょっとは考えるんです。
 でも、自分がこれはいいよねって思うことは他の人も絶対にいいと思うに決まってると思えてしまうところが、アスペルガーなんですね。

 頭の機能の問題で、思いやりに欠けますが、(自分なりの視点の思いやりはあるんですが、人の視点に立った思いやりがないらしい)こういうふうに他の記事などから客観的に捉えられると考えることができます。でももし現場で自分が自転車に乗っていて、盲目の人(だと一見わからないとして)を危ない目に少し遭わせてしまって、怒られたりすると、自分のことだったりすると、考えられなくなってしまうことが多い。

 立場が違うと視点や考えることがまったく変わってしまいますね。

 でも、こういう法律?を考えた人は、ちゃんと歩道を毎日歩いたり、自転車を使ったり、自分が車を運転しているときに車道を走る自転車に対して危ないなあとか思わないんだろうか?
 どこかで、利権があって、信号や標識を増設すると自分の懐が肥えるという仕組みがまだあるんだろうなあ。

 思いやりない世界ということだな。結局はそこが大切ということになるのだろうか。
 目の見えない世界というのは、想像することが出来ても同じように感じることはできない。でも、少し考えるようにはできる。でもね、自分の嫌いなモノを好きだという人の気持ちは理解することが難しい。
 みんなが生きやすい、暮らしやすい社会はまだまだ遠い未来なんだろうな。

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