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子どもの頃のこと
日々のこと(日記):75
2019年08月14日
 結局夜は雨が降らなかった。朝から曇っている。雑草たちを叩く水の音がする。雨が降って来たのかも知れない。

 父親が亡くなったのは、1989年(平成元年)なのですが、予算とまったく合わないような豪華絢爛な霊柩車が来ました。金ぴかで…その霊柩車に石原裕次郎と美空ひばりのご遺体も運んだんだよ、と葬儀中に聴いた。相応の車両が出払っていたから…エコノミー予約だったけど、ビジネスクラスになったようなものです(笑)。
 だから、ずっと二人ともその頃に亡くなったんだと思っていました。でも裕次郎さんは1987年没だったんですね。ひばりさんは父親の一週間くらい前だったんですけど。
 そういう意味で、ゆかりはないのですが、身近に感じます。

 お盆だから、と家内がお花を買った。

 誰もがそうですけど、時期に関係なく感謝は出来ますからね。でもお盆という季節というか風習があるのは意味があるんだと思います。

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2019年07月05日
 当たり前のことなのですが、同じ体験をしても、みな感じ方が違うんです。とても興味深いことです。
 ユニークな反応の方や、予想外の(これは自分の予想外というだけ)反応をする人もいる。

 昨日は、とてもステキな体験をされた方が多かったみたい。そんなかなで…『私、あの人にすごくウザくしちゃった』という(笑)、フォローしておいて、とメールがあった。
 その相手の方に電話すると、ウザいどころか、『とてもありがたかった、またよろしくお願いしますと伝えておいて下さい』。こんなふうに、自分がしていることと、人が観じていることって違うんだよね。

 自然の中に時々いる…という方も、何が自然なのか?
 どういうふうに感じるのかは、その人次第。かと言って、『体験して学んだらいいじゃないですか~』というのも、度が過ぎると、破滅の方向に向かっちゃいますからね。どういうこと?
 極端な話しですが、『原子爆弾を落されると、どうなるか…というのを体験しよう』なんてことを繰り返していたら、大変ですよねってことです。
 自然に対して、時空に迷惑をかけることを自然を体験する、ということとは違うと思います。


 子どもの頃、母方の祖母がよくこんにゃくを作っていた。こんにゃくやトマトの農家だったからだ。味噌や醤油も家で作っていたみたい。普段の食事もソバやうどんを粉から作っていた。こんにゃくもそうだけど、売っている商品のような滑らかさはなくて、なんかボソボソしている。大人になってから、アレが美味しかったなあと思い出す。
 こんにゃくなんて、どこでも売ってない。ザラザラしているみたいなんだ、これを焼肉のタレのような味付けで焼いて食べる。滅茶苦茶美味しい!こんにゃくって、おでんや煮物ってなっちゃいますよね、決してメインにはなれない(笑)存在なんですけど、これが美味しかった。
 田舎では、お味噌汁の中に虫(甲虫)が入っている。驚いて『虫が入ってる!』と言うと、祖父が『虫も食べないような味噌なんか食べられるか』と、ワイルドなことを言う(笑)。でも美味しい。あ、虫は食べないですからね、煮干しのように残します。

 こんな祖父母でしたけど、群馬県の昭和村というトコロなんです。でもルーツは滋賀県の和南町からの落ち武者…だったらしい。一族というか城の人たちが昭和村に流れ着いてからも、江戸幕府などと微妙な距離感を保ち、農業などで生活をしていたけど、武士としての矜持を抱いていた…らしい。
 今は、母親の兄夫婦が残っているけど、昔のことはわからないみたい。叔父さんはそういうことに興味のない人みたいだからなあ。

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2019年07月03日
 お風呂に入りながら、思い出した。
 就学前の四歳頃のこと、父親と一緒に銭湯に行って、その頃は内風呂なんてないから銭湯が普通だったね。
 一度だけなのですが、銭湯でウ〇チをしたくなった。お父さんはウ〇チとかが苦手(笑)。道に落ちている犬のウ〇チも苦手。だから、夜道路を歩くときは真ん中を歩くようにと言われていた。車が来た場合はライトでわかるけど、道の端を歩いていて、暗い中でまさかの遭遇を防ぐためのことだ(笑)。
 当然、あの頃のお父さんたちは赤ちゃんのオムツも換えるなんてことはない。それが普通だ。お父さんは銭湯で困り果てただろう。身体を洗う場所にどぶのように排水が流れて行く溝がありますよね、そこにしちゃいなさいということになった。人生で一度だけですね、銭湯でしたのは(笑)。なんかしょうもない話しですが、思い出した。

 アイス。トウモロコシの形をしたモナカのアイスをお父さんは好きだったなあ。小学生になってからは食べてない。不思議な、独特の味だった。あの頃思い出すと、もしかしたらアンコがアイスクリームの中に練りこまれていたのかもしれない。
 小さい頃以来、あのトウモロコシのアイスは見た事がない。

 小さいころ、転ぶと膝をすりむいて、よくツバをかけてくれた。血が出たときはそうするものだと思ってた。学校の保健室ではしないんですよね(笑)。
 優しかったなあ。でも亡くなる前の数年に病気になって、その頃僕は10代後半なので、思いやりがなかった。もっと優しく接していたらよかったな。
 厳しかったけど、優しかった。叱られることはあったけど、怒られることはなかった。大人の人は感情をコントロールできる、子どもは癇癪持ちの人もいるって思ってたくらいだからね。
お父さんが子どもの頃のこととか、もっと聞いておけばよかったな。

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2019年02月13日
古い道具と昔のくらし事典、天皇125代の歴史

 生まれた頃から、水は蛇口を捻れば出るし、ガスは普通にある。電気もね。
 なので、想像するしかできない。一応、こういう本で画像として脳に記録できたらいいよね。
 水も、水ガメに汲んでおいて、火もかまどっていうのが昔の台所。ご飯炊くのも大変だよね、寒い地方なんかだったら、台所ないでも水ガメの水が氷ったら・・・割れちゃうよね。凍らない程度に暖かくしておかないとならないとか、生活に対しても学びがいっぱいだね。

 子どもの頃、いとこの家は、湧き水を引いてきていて、水槽にためていた。そのいとこが『あのダムの水は東京に、富士男君の家のほうに行くんだよ(僕たちは使わない)』って言ってた。子どもの頃はよくわからなかった。だって、地元の人たちも水を使うでしょう?って。でも、農村部は大体は井戸を掘っている。だからダムの水はそういう意味では使わない。東京や首都圏へのものだということ。

 だから、そういう水道もろもろが設備される前は、都内でも井戸で汲んだ水、水路を通って来た水を使っていたよね~、当然。

 そう言えば、タバコも吸わないから…今は全体的に喫煙率が下がっていますよね、なので、ライターで火をつけたのも何年も前だ。
 息子のスバルなんて、マッチも知らないかも。ライターを使ったこともない。
 東京のタワーマンションに住む子どもの家庭教師をしているヒトが、理科の実験のことを教えるのに…『煙って何?』という疑問が生徒から出て来るとか。実際の煙どころか、直火を見た事がないらしい。直火っていうのは、たき火とか囲炉裏の火とかはもちろんのこと、マンションのキッチンもIHだから、ガスの火さえも見た事がない。家族に喫煙者がいないから、タバコの火さえも…テレビやネットのなかの話しらしい。恐ろしいね。
 ライフラインがなくなったら…どうするんだよ。水、火、ガスなど…電気があると有り難いですよね。

 縄文の人たちは井戸は使わなかった(技術はあっただろうけど)
 川のそば・・・大きい川は災害の危険もあるからか、小川のそばに住んだそうだよ。弥生の人たちは稲作生活が中心だろうから、水を引き込んだりと場所や地形が限られたよね。

 とはいえ、ボクは工事的なことは無理なので、そういう技術などを誰かよろしくね、と思うことしか出来ない。
 一次産業的なことが重要になるような気がするね。机の上だとか、モニターの中でのことよりもね。

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2019年02月12日
(前略)IFUEがセミナーなどでいつも言いますのは、『自分自身がFALFになるしかないんですよ』ということです。
人間は、本来FALFで生まれているのですから。
 実体化するのはFALFです。
 体験して学びます。EXA PIACOがプログラムして、低次元側に実体化して、FALF化するわけです。
 そして、そのボディをお借りして体験して学ぶEXA PIACOが、頭蓋骨の少し外側に同調して浮いています。
 体験して学ぶということは、自分がプログラムして、顕在意識さんにお任せして体験するということです。
 でも、損だの得だのつらいだの、「それはヤダーヤダーッ」と言って、忍耐して学ぶことをせずに、自我と欲でどんどん違う方向に避けて行ってしまうかどうかの問題は、顕在意識の本人任せです。
 本人が選択するわけですから。(後略)

波動の法則 実践体験報告85ページより
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 小学二年生だったときに、下の弟が生まれた。土曜日で午後は学校ないよね。そう、昔は土曜日も学校とかさ、あったんですよ。
 で、6-8人の同級生で病院に生まれた赤ちゃんを見に行った。『うち赤ちゃんが生まれるんだ』と言ったら、みんな見たいって。のどかな時代でした。

http://harmonylife.ocnk.net/product/1131
波動の法則 実践体験報告

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2019年01月06日
 矢板図書館で鉄道の特集をしていた。
 本は途中まで、DVDは初めて見ました。

 もちろん、イメージ画像として、雪の線路に高倉健が制服を着ているのは知っていたけど、2002年の映画なんですね。
 短い、たった二日間のことを描いている、回想シーンはあるけど、物語のイマの時間としては二日間だ。よかった。
 鉄道のことはそんな興味ないし、移動にはとても助かっているというスタンスなので鉄道に乗ることを目的にしたり、写真を撮るとか、そういうのが好きな人たちがいるってことは知っているけど、こういう仕事に命がけで取り組んだ人たちがいるんだなあ。
 
 それでも、雪の中を廃線間近の過疎地域、当然だけどパンタグラフからの送電なんてない。だからディーゼルだよね。一車両。

 広末涼子は可愛いけど、ああいう薄幸の役柄が似合う感じだね。世間渡りが苦手な定年間際の男を高倉健が演じる。 

 派手さはないけど、じんわりと伝わってくる映画でした。日本映画っていいね。というか海外のだと英語だったりするので、字幕を追わないとならないので大変だ。


 駅の名前には、今は使われていない古い地名が、読み方、音が中心というか、漢字は当て字のことが多いから、面白いね。
 駅名よりも、ディープな世界(笑)は、バス停の名前みたいだね。バス停の名前は25万種くらいあるみたい。そういう意味で駅は作るのが大変だからね。
 それでも、廃線になったトコロなんて、面白いかも知れないね。

 僕が子どもの頃に育った地域の最寄り駅も載っていた。京浜急行の『雑色』。知らないと読めないよね。 『ぞうしき』って読みます。
 
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2019年01月05日

三好達治


太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。



 子供の頃に、国語の時間にこんな詩を習ったよおねえ、なんだったっけ?

 と、家内に訊いてみると…習ってないという。9年の時間で国語の授業も変わるものなのか。
 
 なので、検索してみることにした。インターネットって便利ですね。90年代までは、それこそ図書館に行って、図書館の人に訊かなければなりません。『太郎を眠らせ、とかそんな詩ってなんでしたっけ?』と、この人は学がないんだなあ、と思われるかも知れないことを覚悟して、恥を忍んで…ですよ(笑)。
 今はネットで、誰にも恥ずかし目を感じずに調べられる。便利でいいんですが、人間同士の交流がないよね。

 ヤフー検索で、『太郎を』と入力すると、眠らせ…などの単語が出てきます。『ググる』という言葉がありますが、グーグルを使うことってほとんどないんです。なんとなくヤフーを使ってしまう。ネーミングがちょっとなんですkどね。


 そういう、コレコレ。
 とても短い詩ですよね。でも雪国の静けさというか、茅葺屋根に雪が積もっている様子が浮かびます。

 検索して出てきた中に、この詩の主語はなんだろうか?など考察しているトコロがあったりします。
 
 主語?
 そんなの国語の授業で考えたことあったかなあ?
 太郎と次郎は幼い兄弟で、寝かしつけているのはお母さんだと思っていた。
 でも、太郎の屋根と次郎の屋根。って書いてあるね。同じ家だよね、きっと。同じ家でももしかしたら部屋が別で、屋根の山が別々だとか…。
 文章では、太郎の屋根と次郎の屋根って書いてあるけど、それは詩の表現として、同じ部屋だよ。
 そして、詩には登場しないけど(笑)、お父さんもいるし、一時間後くらいには(笑)お父さんとお母さんも同じ部屋で眠るだろう。
 明治の頃の雪国に暮らしたわけじゃないので、実生活は想像だけど、寒いから、囲炉裏のある部屋で眠りたい。もしくはその隣の部屋くらいで。
 
 現在のように、部屋全体が暖かかったり、家族それぞれの部屋があるようなのって、プライバシーとか重視する人にとっては都合がいいのだろうけど、なんかこの詩に出て来る生活(これも想像だけどね!)って、人間としていいよね。でも寒そうで出来ない。

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2018年12月06日
 図書館で栃木県内の別の図書館から取り寄せてくれた『DNAで語る日本人起源論』、そして昨日買った二冊。『日本の大和言葉を美しく話す』『ONE PIECE 91巻』。
 図書館で借りた本は、眠くなる…今の科学での研究と検証なわけなので、参考くらいに読んでおけばいいのかも。大和言葉の本は、本来の日本語を知りたい!という思いが、もちろんたどり着くのはなかなか難しいにしても、外来語的な漢語…例えば ひかり【光】は大和言葉だけど、光線っていったら意味は通じるけど熟語だよね。
 もともと学がないから、熟語とか知らないので困ってしまうんですが、文字としての漢字が日本に入ってくる前はどういう言葉(話し言葉)を使っていたのかな。というのはとても興味があるんですよね。

 ボクの戸籍上の名前は【富士男 としお】なんですが、父親が、富士山の【富士】に【男】をつけて、一般的には【ふじお】って読むし、ほとんどの方から初見では『ただのふじおさん』と呼ばれます(笑)。もう、それは仕方ないと思っているのでいいのですが、【富士男】と書いて【としお】と読みます。
 そんなふうなので、山の富士山には親近感があるのですが、あの山は元々、【ふじさん】て呼ばれてたのか?【山=さん】と読むのは、音読みだと思います。元々の大和言葉では【山=やま】でしょう、きっとね。
 だから、地名というか、『あの山のことを“ふじ”って呼ぼう』ということになっていたとしても、『ふじさん』にはならないと思うんですよね。富嶽とか、不尽、不二、芙蓉峰…など、漢字もあったり、読み方も?うーんわかんない。でも『富』という漢字を使った(当て字かな)…その前には、かりに音で【ふじ】という言葉だったのかなあ。
 話しはズレますけど、92年頃にYOYOの愛さんから【翔太】という名まえをつけてもらっています。だから僕のことを【翔太君】と呼ぶ方もたくさんいます。そして…40年近く前ですが、従姉妹の一人は僕のことを【としょ君】と、呼んでいたので、【としょ】の【しょ】と、【しょうた】の【じょ】が同じなので、微妙につながった音の感じの名前同士なんです。

 もう一冊はワンピースですね。今進行形ですが、ワノ国編です。ん?この三冊ともね、【和】繋がりですよね。ワン国では不法入国しているルフィ達なので、モンキー・D・ルフィではなくて、【ルフィ太郎】という名まえを名乗っていますね。

 
 ここまで、まったくタイトルに関係のない本の話し(本の話しだったんですよ)を書いてしまいましたが、ツワモノって…先ほど一時間くらい前に電話くれた方の話しですが。僕もほぼ毎日どれかのDVDを聞き流しているんですが、その方は…車の中でDVDがかけれられるそうなんですが、設定が解除できなくて、毎回エンジンをかけると、足立さんの声が流れるようになってしまった。ということなんです。
 いいです。戻さなくていいですよ(笑)。でもね、ご主人やお子さんたちが同乗するときにはビックリするだろうなあ。
 運転に気を付けて、楽しみながら車の運転をしてくださいね。

 今日の矢板は雨が降っています。気温も7-9度。どうしても外出しないとならない理由はないので、おとなしく家にいます。ちょっと片付けなどをしたり、図書館に返すまでに読んでおきます。
 
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2018年11月29日
 今日は今年一番の嬉しいことがありました。嬉しいことはたくさんあるんですけどね。
 ココス…矢板にはガストとココスしかファミレスがないので、絵を描いたり、打ち合わせなどでココスを利用しています。店内が明るいし、ドリンクバーの花ビラ入りの紅茶が美味しいんだよね。肉を鉄板で焼いているお客さんがそばにいると臭いのが欠点だけど、これは運次第だからね。
 『アボカドのサラダの小さいのとドリンクバーね』と注文して、まずはスカッと炭酸水を飲みたいと思い、ディスペンサーでグラスに注いでいると、ウェイトレスさんが『アボカドサラダがなくなたったんですよ』と。何日か前にココスのメニューがかわったらしく、でもメニューのサラダのページをパッと見同じようで、まさか変更されているとは思わなかった。
 4種類のサラダの中でどうしようか考えて、シーザーサラダのベーコン抜きにしてもらった。

 このことは表題ともちろん関係なく、時空のしくみは顕在意識で考えてもわからない。アボカドサラダをラインナップから外すのと同じくらいわからない。アボカド美味しいのにね。コストがかかったからなのかな。輸入ものだから季節によって変動したり、あまりにも傷んでいたら食材としてロスしないとならないからね。
 そんなことが、11月末、だからあと一か月ほどで今年も終わる時に起こった。

 サッと読んだ感じなので、細かい描写はわからないけど、『元気』と『達者』。他にも二つ単語が並んでいたけど、うろ覚えなのでね。
 元気は、どちらかというとフィジカルなほうに重点置いた言葉。そして、達者はメンタルのほうなのかな。と受け取った。『口達者』『芸達者』などと言いますよね。そういう意味でもボクは達者なのかな。
 だからというのもありますが、大抵『元気ですね~ 』と見られたり受け取られる。元気じゃなくても達者なんだよね。

 今日さ、もう日付過ぎているから昨日かな、母親から電話があって『お祖父ちゃんの妹、叔母さん(といっても90近く)からリンゴもらったから、少し送るね』ということだった。
 それで、母親はもう70代後半なんですが、いい年ですよね。
 何やらストレスがどのくらいあるかという検査をしたらしく、一体何を測ったんだかわかりませんが、『ストレスを溜め込まない性格』のようでした。そこから、お祖母さん、祖母の話しになって、祖母は若いころ…だから母親たちが子どもの頃だよね。カラダがとても弱かったんだけど、医者から『カエルを食べるといい』と言われたそうです。で、お婆ちゃん時代、なので僕らが生まれていた頃なので、多分50-60代頃ですが、当時30代の母親よりも祖母のほうが歩いたりするのが早くて、とても元気になっていた記憶があります。
 で、、母親が『お婆ちゃんはストレスを溜めない人だったんだよ。それがお母さんに遺伝されているね』と言う。

 三年前に、従姉のお姉さんに会った時、『(私達の)おばあちゃんはものすごくイイヒトだったよ。それで叔母さん(ボクの母親のこと)はおばあちゃんに似ているよ。顔も声もそっくり。』と言う。そういう風に母親や祖母を考えたことはなかったけど、そうなのかも知れない。
 祖母は群馬の田舎生まれ・育ち・死んでいった。家というか、嫁に来た家は…戦国時代くらいに滋賀県から落ち延びて来た落ち武者。滋賀のあるお城にいた人たちが群馬の昭和村で暮らし始めた。というのが記録らしく。まあその地で数百年も結婚を繰り返して(結婚を繰り返したというのは、離婚・再婚を繰り返したということではない・笑)、だから滋賀からのDNAはものすごく薄くはなっているだろうから、でもその地で畑や田んぼを耕して、糧にしてきた家族や周囲の人たちなんだろうな。
 母親からも、ボクが子どもの頃はこんにゃくや桑(蚕のエサ)、トマトを主に作っていたけど、母親の子どもの頃は、田んぼに井戸を作って汲み上げていたとか、手伝ったよ。なんて言っていました。家は茅葺屋根の大きな家で、二階というか屋根裏は蚕を飼う場所だったとか。
 なので、ストレスを溜めない性格というか生き方みたいのは、滋賀からのというよりも、きっと群馬の土着(笑)の傾向なのかも知れない。

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 そして、今日、家内と息子と、なんか他愛のない会話のなかで、
 ボクは子どもの頃から『大人の人(20歳を超えているオジサンやオバサン)は、些細なことで怒ったりしない。同年代の子どものなかで癇癪を起すコなどもいるけど、大人になったらそんな人はいないでしょう』と思っていた。と話してた。
 すると息子が『大人の人はわがままな人が多いよ』『(パパが思ってたのは)理想的すぎる』と。
 それに続けて、『パパは子どもだからね』と

 だって、生まれてから20年も経って大人(オジサンとオバサン)になる。20年以上生きている人がワガママだったり、すぐに怒ったりしちゃうのは変でしょう?って思っていた。あまりそういう気難しい大人が身の周りに少なかったからなのかなあ。
 スバルの人生で会っている大人たちってそんなに多くないよね、ワガママに見えてしまうって誰?それともネットやニュースの中で見聞きする人たちや社会のことなんだろうか。
 君の先生たちは素晴らしい人が多い(割合でね)と思うよ。そういう出会いって確率的になかなかないよ。と思うんだけどね。
 

 ボクは、子どもの頃は『大人は凄い(はず?)』と思っていて、父親に、大人は何でも知っていると思って『宇宙はこういうふうに出来たのかな?お父さん教えて?』もちろん、『お父さんは解らないなあ』と応えられたし。
 小学三年生の時に、友だちとタイムマシンを作って、『このままじゃ地球は大変になるから、みんなで昔に行って、昔の人たちに話しに行こう』としていました。
 ちょうど、三年生の担任の小原先生はその年に大学を卒業した新任のキレイな先生でした。学校の先生は大学を卒業しているのだから、原子力エンジンくらい作れるよ(当時、原子力エンジンが一番凄いと思っていたから)と。
 小原先生は、『先生の勉強してきたことでは原子力エンジンは作れないなあ』と、そりゃあそうです。小原先生も素敵な人でしたよ。もう40年も前のことだけどね。
 
 でも、そのくらいのことを大人だったら出来るはず。と思っていた子どもでした。ホント無茶苦茶ですね。

 まあ、ともかく、息子がそんなふうに冷静に人を大人たちを観察しているんだ。ということに驚きました。ボクは子どもなので(笑)。ともかく、達者です。

 そして、家内が『我が家はみんな繊細だから、図太い神経なのはパパだけ』と。ボクは図太いじゃないんだよ。仕方ない、ルーツがそう、ポジティブな方向で学ぶ文化なんだよ。勘違いしちゃダメなのは、忍耐をポジティブな方法論で学ぶ。であって、忍耐を学ばなくていいということではない。むしろ、『忍耐を学ぶのにネガティブな方法論でもいいよ、学ぶんならどっちの方法でもいいよ』といだからうのが時空の仕組みなのかも知れない。
 ココで言っているルーツは、群馬とか滋賀とかの話しじゃなくてね。もっと遠いトコロのことだからね。かと言って、家内と息子がネガティブから学ぶ文化がルーツとは思えない。僕が、今回の人生でもそういう家や大人になってから(だから20歳のオジサンになってからも)そいう環境に身を置いていたというのがあるんじゃないかな。でも、どちらの方法でもいい。元気じゃないけど達者ならばね。

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2018年10月13日
 一種間くらい前に、友だちのお孫さんが生まれた。
 今日は、絵の下地の準備をしたのと、色画用紙に絵を描いていて…なんのテーマもなくただただ描いていたのですが、赤い画用紙とすみれ色の画用紙だったのですが、なんとなく描いていたのですが、幸子さんのギフトカード(もう在庫ないからね)に、すみえ色のベースにしていた『ハッピーバースディ』というのがあったのを想い出した。
 急きょ、その生まれた赤ちゃんの絵…その子のエクサピーコさんの周囲にたくさんのエクサピーコさんたちがいるよ
、という内容の絵です。

 このトコロ、会った事のない曾祖父母たちの名前がわかり、…もともと名まえや地名、ものの名称などに対して、『どうしてコレは〇〇というようになったんだろう?』と気になってしまう自分なのです。
 曾祖父たちの親は、江戸時代末期に生きていた人たち。彼らがその子ども達に、どういう願いを込めて名まえを付けたのか。ただ単に、何番目の兄弟だから〇郎のようなネーミングなのだろうか。そこは人それぞれですね。

 こういう…赤ちゃんが生まれる、最近はこういうことを言ったり書いたりしてもなんとかハラスメントになってしまうんだろうか…。5360年前以降を考えても、家族が愛しあって生活してきた。何百世代ものことです。家族になるエクサピーコは2-3回しか会ってない同士みたいなんですが、そのあまり親しくない同士で、『こういう学びを一緒にやりましょう』と約束して(顕在意識では別としてね)、子どもを作って、子孫を育ててきた。
 現在より人間の生活環境は過酷だったかと思いますが、その中で家族・集落で協力し合って生きて来た。集落の人口が減ると役割分担が厳しくなって、文化の継承(エクサピーコが学べる環境ってこと)が難しくなる。だから子どもを作る、愛し合うってことは死活問題だったんだろうな。
 今は、違う意味で、人間同士が傷つけあうカタチで過酷になって、自我を増幅する方向で競争しているから、そりゃ大変なんだろうけどね。自分だけがよければいいという個人主義が広がってきてしまっている。

 だからさ、名まえをつけるのも、そういう願いを込めてつけられたんだと思います。

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2018年10月10日
 昨日からの作業にひと段落ついたので休憩します。
 ですあ、『こんなテーマの作品もいいなあ、作ってみたいな』という思いがムクムクと湧いてきてしまいました。その準備もちょこっとしたり、昨日からの作品で使わない写真の部分がたくさんあって、もう一つ出来そうだ。
 
 なんだか楽しいね。

 そんなこんなで、生まれる前に死んでしまっていた曾祖父母のことも…墓石に刻まれている年月から、明治10年、12年、19年、20年(1877-1887年)生まれということがわかった。没日なので、『生まれたのはきっとこの年だよね』ということなんだけど、ボクが生まれたのが1968年だから、約90年前だね。ボクまでが4世代、4世代で約90年。スバルが生まれたのが2006年だから、その間およそ130年ということになります。
 父方のほうは、わかる人が残ってない。でも曾祖父の名前に『七』が入っていた…きっと七男だったからか。7番目のだから『セブン』だね。
 昔の人達は、子だくさんだったんだな。もちろん、小さくして亡くなってしまう人も今以上に多かったんだとも思う。曾祖父が明治12年生まれってことは、その先の人は江戸時代に生まれて生きていたってことですよね。
 
 激動の明治、大正、昭和、平成。次の元号は何になるのかな。
 昨日から作っていた作品のなかで、古い写真のコピー(そもそも遺影を飾ってあったのをスマホで撮ったから)を重ねて、曾祖父母、祖父母、両親、息子の五世代が一枚の紙の上で並んでいます。ならんでいるっていってもバラバラもいいところだけどね。

 これからどんな社会に、地球になるのか。するのか。

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2018年10月09日
 家族や、人の(自分もね)周囲のファインアートを描くのですが、新しい方法…新しくもないけど、この辺りではあまり誰もやらないのかも、を思いついて、その準備を一日していました。
 一日中、朝から写真屋に行きプリントしたり、その写真のコピーをとったり、それなりにクタクタですが、夕方からが本番。一応の材料は揃ったので、まずはこれを切り貼りしていきます。
 家でコピーができたら、ちょっと拡大とか縮小とか様子を見ながら出来るのですが、おおよそでコピーをしておいて、あとはなるようになるという感じです。
 生まれる前に亡くなっていた曾祖父や曾祖母、祖父の写真までも下準備して、使っているのは写真だけじゃないんだけど、まあ写真みたいなものなのでね。
 まあ、ここまでだとよくある宝の地図とか、自分マップとかそういうことになるんだろうか。
 とにかく、夕方からコラージュを始めて4時間以上。肩から腰が痛くなるし、ボケーっとしてきます。ボケーっとしているのは別のせいなのかも知れませんけどね。
 
 予定では、この原稿(写真のコピーのコラージュ)をもう一度コピーして、コピー用紙だと薄くて頼りないので、ケント紙に張り付けて、その上に絵を描くつもりなんです。
 出来る人は、パソコンで作ったりするのかも知れないけど、基本アナログです。というか、コラージュとして作っているのは、あくまでも絵を描くベースの紙なので。
 
 ただね、やっていると楽しいです。疲れ果てますが、時間がいくらあっても足りない感じなんです。
 コラージュ上で、会った事もない曾祖父母とドラえもんなどが一緒にいる…そんな楽しい感じ、その人達は明治の世代ですよね。父方の曾祖父の名前を母親に訊こうと電話したのですが、母親も知らないんです。そもそも両親が結婚したときに父方の祖父(父の父親)も亡くなった後だったのでね。曾祖父は、のび太君とセワシ君くらい時代が違い過ぎる。
 そのコラージュの中には、当然うちの家内やスバルもいる。実際にはまったく会ったことのない五世代が一枚の紙の上で遭遇するんです。あ、ドラえもんやウルトラマン、ジバにゃん、谷村新司もいました(笑)。 
 それを下地というか紙として、絵を描くつもりなんです。
 準備の段階でクタクタですが…描き始められるのは早くても明後日くらいか。
 昨日の日曜日に描き始めて、中断しているのもあるんだよなあ。時間がたりない。有り難い悩みですね。とにかく寝ます。
 
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2018年10月07日
 三月に換えたiPhoneに、昔の写真を移動している。パソコン内の画像データなんだけどね。
 2012年以降の、ほとんどが息子の写真だった。出来る範囲で色んなことに触れさせるようにしていたんだな。

 誰もが、こういう記憶がたくさんあるね。
 それは、家族でいてくれることがあるからだよね。有り難いな。
 
 昨日、二か月以上探していた、探し物が見つかった。
 ちょっとゴチャゴチャにならないように、って棚みたいなところに、作業をするときに避けておいた。それから見つからなくなっていた。
 結局、僕が寝ている1メートルの範囲にあった。ココも何度も探したんだけどね。でも見つかって一安心です。

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2018年10月06日
 子どもの頃の写真を片付けたり整理してた。うーん、そこまでいってないのですが、粘着シートに貼り付けるタイプのアルバムなので、まずは写真を剥がすというのが大変。
 で、小さい頃の写真は可愛い(笑)。え、誰って?僕のことですよ。
 両親も若いし、ああ父親は29年前に46歳で死んでしまっているから、すでにボクのほうが年をとっているね。
 写真の整理はともかく、見直しするといいかも知れない。

 なぜって、自分が愛されていたことを自覚できます。(多分自覚できると思う)
 映っている被写体は…可愛いかどうかは?

 先日亡くなってしまった樹木希林さんの有名な言葉がありますよね。
 『美しい人はより美しく。そうでない方はそれなりに写ります』って。

 自分の赤ちゃんだった頃の写真を可愛く見えるのは、きっと見慣れている(その写真という意味じゃなく)遺伝子(親、兄弟姉妹、子どもね)だからなんだと思います。

 関係ないことですが、友人の孫が生まれたようで、『昭和顔』の赤ちゃんのようです。みんな生まれた頃は可愛いんだよね。

 昔の写真を見ていると、お父さんやお母さんのことを有り難く思いました。

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2018年08月18日
mixi、ぜんぜん使ってないけど、今朝一本の電話がありました。
まったく知らない方からですが、内容は

出身中学の同級生の人を探していて、その人は年上なのですが、専門学校が一緒だった人がいて、それがボクの出身と同じ。で、なんか手掛かりはあるか?と期待したでんだったようなんです。

そして、『◯◯さんて言って、すごくカワイイんです…』って

ボクの遥か昔の記憶では、三年の時に同じクラスだった。その彼女はそこまでは可愛くないだろうって 笑

まったく、交流がないから、何も情報は出ないよ
って話したのですが、とにかく卒業アルバムを見て下さい って

でもこうして、昔の記憶の人の顔を思い出したりするのはいいのかな、っておもいました。

もうずっと開いてない卒業アルバムを見ると、思っていた人と違った?まあさ、35年も前のことだしね。
どちらにせよ、まったくわからん。

それにしても、色々な系統の顔立ちの人がいる。髪型や学生服はともかく、脳内でモンタージュすると、現代ではなく、過去の時代にいた人を想像できる。
時代劇や、戦中、戦後の人たちって言われても褐色ない。同じ日本人なんだけど、ホントにバラエティ豊かだね。

その、まったく違う人と勘違いしてたし、その人が連絡をとりたい?人とは、まったく知らないんだよね。
そんな事を、連絡して欲しいものなんだろか?相手もワラを掴む思いで、出身中学が一緒だと調べて、連絡くれたんだろうな。
変な人っぽくはないし、知らなかったよっていうくらいは、連絡してもいいかな。

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2018年08月12日
お盆休み真っ最中ですね。
気温は23-29度と落ち着いています。夢で首都圏の知らない電車に乗っていた。脈絡がないんですよね、夢って。
文字を書いてみようと思い、ケント紙と黒い絵の具を買った。ちょっとした字も書けない。いやいや、一応は字なんだけど、これじゃダメ。
元々、習字とかさ、苦手なんだけど。
母方の祖父は近所の小学生たちに毎週書道を教えていた。田舎の家って、和室が繋がるでしょ、そこに20-30人くらいが来てた。ちょっとしたお礼なんかは遭ったろうけど、基本的に趣味というか無料でやっていたみたいだ。
だから、字は上手なはず、でも母親にもその才能はなかったから、ボクにもないよね。
字を書くのが、字がきれいな人はいいなぁ。

まあさ、字を書くのはペンで書くくらいでいいか。
なんか、筆で書いたような達筆なのが書けたらカッコいいよね。

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2018年08月09日
昨日から読んでいた本、日本人の名前の歴史。
いろんな解釈改憲があるだろうけど、古くは時の天皇陛下から賜った(賜ったなんて、日記には書かないけどね)姓や名前、武士の時代のもの、明治維新以後の戸籍を作るときに、地域の和尚さんから名付けてもらったものまで。
どんな経緯にしても、祖先が命懸けで切り開いてきた、武士なんなだったら領地とか。そんなに大げさじゃなくても、開墾した地域、そこに住んでいた人だから、、、って
そんな名字、苗字があるわけですよね。
日本人の苗字には、風景が浮かぶ名称が多いね。山、川、林、池
、海とかさ、地形なんかが入っているよね。

本には、時代による名前のトレンドなんかまた書かれてたり、明治の戸籍制度は、徴兵するための目的だったみたい。あと、税金を取りたい 笑 。
当時の列強、ヨーロッパでも戸籍は徴兵のためで、日本もそれに並ぼうとしてたとか。

うちの、只野は、父や祖父の出身は宮城県ですが、もう少し前の曾祖父あたりは福島県だったとか。そんで、宮城の曾祖母にあたる人が福島県の只野へお嫁に行き、ほどなくして宮城の家が途絶えしまう、、、この辺りのことは知る人がもう死んでいるので、わからない。
で、福島県で只野となって、宮城に一緒に戻ったらしい。
福島県のどの辺りだったのか?これもまったくわからない。
只野は、ただので、漢字が違うけど、但野やさんや多田さんと大元は一緒なのかな。
今は、市町村名としてはないけど、郡山市の西部地域が、多田野地区で、もしかしてそこに先祖が暮らしていたのかな?って思っています。その当時の多分、明治の頃だろうけど、曾祖母の苗字は遊佐だったみたいなので、これもまたいつの頃なのかわかりませんが、山形県に遊佐町ってあって、でもそこには現在は遊佐って名前の人はいないんだって。だから、いつの時代かに、宮城県に来たんだよね。

そして母方は、群馬の昭和村。こちらも和南城っていう苗字で、滋賀の和南という町があって、昔、そこのお城にいた人達が落ち延びてきて、和南城って名前になった。こちらも戦国時代あたりかな。そこから数百年、群馬で結婚が繰り返されてだから、近畿の血筋は薄いよね、 でも入っている。

今、生きている私たち誰もが、必ず両親がいて、両親にも両親がいる。どう思っていても、必ず先祖はいるよね。
どこに住んでいても、日本でも、世界中で。

自分が、自分がっていうか、エクサピーコが学べたりするのも、そのおかげです。
その学びができるよう、最小限の我欲で充分だね。

余談みたくなりますが、苗字じゃなく、名前の方も、両親などの願いが込められている。
大切に、名付けてくれてありがとう。
ボクは二つ名前があるけとね。両方とも好きかな。

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2018年05月21日
『落ち着きがない』

もう50年くらい言われています 笑
すごいですよね、50年ていうと、半世紀ですよ!
だいたい最初に言われたのは、親でしょ
そして、学校の先生
あ、私もかも!と思った方は、きっと素直なんですよ
笑 そういうことにしておきましょ、お互いに

ちゃんと、会話が成り立たなかったり、言葉が通じなかったり、、、
相手の方もぼくも日本語を使っているのですけど、意思疎通が困難なこと
かなり苦手なことなんですよね
見聞色の覇気が発動できる範囲って限られていますよね 笑

でも、これはメッセージだろうからなんら対応できる自分になると、なれると、、、
はい、なります
最善を尽くします

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2018年05月07日
このところもパソコンとゲームばかりしているスバルだけれど、そんなのばかりで退屈しないんだろうか?
僕は子どもの頃からほとんどゲームしないので、というか、ゲームのことにまで神経を使えないでしょ?
実際の生きていることがゲーム以上にスリリングだしね

そんな毎日のスバルですが、寝室で一緒に風船で遊びたがります
中学一年生だけど、、、
パパ出掛けるよ
って言っても街中の郵便局やスーパーへ2時間くらいの予定です
土曜日、思いの他帰りが遅くなり、もう夜中だね
待ってた?今夜はさ、もう遅いから明日にしようかね

思春期なのか、扱いが難しいこともあるけど、
元々優しい子だから、きっと学校や社会のなかではツライんだろうかな
なんか自分に合うことを見つけてくれるといいな

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2018年01月28日
 高校生の頃にバイトしていた喫茶店の夢を見ました。
 
 個人情報???いやいや、もう彼の連絡先もわからないのでいっかー(笑)。
 大田区の雑色っていう駅があるんですが、雑色って読めないですよね、ぞうしきって読むんです。駅前に今もあると思うのですが、『リベルテ』っていう喫茶店があります。80年代末に店舗改装して…でももう30年てことですよね。改装前は70年代によくあったような純喫茶のようなデザインで、元々は白い壁だったというけど、僕が知っているのは茶色になっている壁。そうタバコのヤニなんでしょうね。
 そこに、6-7歳年上の渋谷さんという店長がいました。とても可愛がってくれたなあ。そもそも喫茶店でバイトしようと思った動機は、①言葉使いが丁寧になる②マナーとか学べたらいいなあ。ということでした。30年以上経った今はどうなのか?
 今だに両方で来てないですね。というかきっとこの先も無理かなって。
 それで、渋谷さんの凄いところは、常連の人たちからも『5千円札』と呼ばれていた。なぜ5000円?それは、同時に5人ぐらいまでなら会話が出来ていたからなんです。聖徳太子は10人と話しが出来たらしいですよね、その半分だから5000円。5千円札にも聖徳太子が描かれていたんだけどね。
 渋谷さんのおかげで、接客というか人と関わることの楽しさを知ったのかなと思います。初期の目的は果たせていませんが。

 それで、見た夢は…終電がなくなった後で、JR蒲田駅から雑色に歩いていきました。しかし…夢のなかでは現在なんですが、東京に家があるわけでもないのに、雑色に帰るとは…。
 終電後なので、午前様なのですが、雑色駅前にリベルテがありました。しかも、さらに改装されて、昔のリベルテの面影がありました。渋谷さんはそこで店長をしている。本来はこんな遅くには営業してないんだけど、店の奥でドラマの撮影をしていて、今日は開けているだけだと。

 元気そうだったなあ。楽しかったし。

 目が覚める直前に、夢の中で…『30年後の今なのに、どうして渋谷さんは20代の姿なんだろう?』と。
 とっさにこれは夢の中だ。と気が付きました。

 数年前に、地元ではない…友人が現在雑色(大田区六郷)に住んでいて、リベルテに行ったことがあると聴きました。昔と今の雰囲気はまったく違うんだけどね。

 渋谷さんは30年くらい前にとてもショックなことがあって、しばらく呆然と過ごしていて、その後、お父さんの仕事を一緒にやり始めたと言ってた。
 夢の中では当時の姿だったけど、もう50代半ばなはず。どうしているんだろうか。ハーフ聖徳太子としてイキイキと仕事している姿を見せてくれた恩人の一人です。

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