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日々のこと(日記):167
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2019年03月16日
 ちょうど一年前、小学校の卒業式https://harmonylife.ocnk.net/diary-detail/2940でした。
 ほぼ一年間学校に行かずでした。月に二回くらい担任の先生が来てくれていて、この卒業式の日も、家に来てくれて、一人の卒業式をしてもらいました。
 あの頃はあの頃で、先が見えずにどうしたものかと思っていました。一年経って、昨年末より、学校の通ってくれているので、一安心です。
 現在のO先生も、小学校の時のF先生もありがとうございます。
 ボクが小学校や中学校の頃は、学校に行かないという選択肢がなかった。でも行かないで済むのなら、行かなかったかも知れない。

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2019年02月02日
『足立育朗と語る』80-81P【EVHAの文化を準備しているEXA PIECO】より抜粋

『お父さんやお母さんはこの社会がまだ続くと思って、この社会の中で適合できるように育てようとする。そうするとこの社会というのは競争して勝ち抜いてエネルギーを奪い合うんですよ、そのためにはあなたのようなそんな生やさしい考えじゃ、到底、闘って勝ち抜けませんよ。ですから、EXA PIECOさんを無視して、顕在意識の周波数を下げて、もっと下げてと、自我と欲を拡大して、そして競争して勝てるようにしなくちゃという、そういう人間としてのこの社会での先輩としてのお父さんとお母さんがものすごいマイナスな振動波を送り続けてるわけですよ。』

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 最近、…と言っても、ここ数日ですが、足立育朗と語るにハマっています。ハマってるっていうかねえ。読んでいるだけなんですが。

 うちの息子君も、やっと去年末くらいに学校に行き始めたけど、一年半お休みしていました。学校でいじめがあったとか、そういうのはないし、先生もとても本質的な先生だったし、『そんな学校だったら通いたいよね』と思うくらいでしたけどね。
 先のことは解らないのですが、子どもたちがやりたい仕事がないと思うのが当然な社会だな。だからと言って、仕事をしないわけにはいかない。
 ホントは、必要最低限の暮らし…エクサピーコが学ぶためにこの地球に命が維持できるくらいで、生態系もろもろに最小限の迷惑ですむような、ということなのかも知れない。
 過去お文明を見ていくと、生活のために木を伐採しすぎて、水を貯える土壌を破壊してしまって、その結果砂漠化する(人や動物がスタディできない環境になる)ということが廃退・衰退の原因など…。

 結局というか、今の社会でいう『教育』って、いい学校行って、いい会社に入って、人よりもいい生活をする、そんな筋書きでしょ?純粋に学問(文学やら数学とか理科系とか色々ね)の探究をするためっていうのは、ほぼないですよね。
 
 分かち合うカタチでエネルギーを分配する、EVHAの社会にはほど遠いね。

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2019年01月27日
 ジュナの、ジュナが食べていた、猫SODが出てきた。最後の袋でちょっとずつ与えていたんだよね。
 死んでしまった後からは、ずっとそのままになっていた。
 ジュナの骨の入っている缶。エノレコンを下に敷いてあって、周囲にはサーモウルを置いている。いつまでこうしておくのかなあ。家の敷地に骨を撒きたいって家族は言っている。このSODも缶の上に置いておこう。

 ボーっとしている猫だったけど、可愛かったなあ。

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2019年01月25日
写真は図書館で読んだ三冊。

 スバルが学校帰りにちょっと怪我をした。なので、午後は病院行って…終わった。大したことなのでよかった。



言葉選び事典、みみ〜もと。

みみ
 空耳

みらい
 後年

みる
 閲覧、望遠、凝視、見聞、静観、直視、俯瞰

むかし
 古(いにしえ)、往年

むずかしい
 至難、煩雑、厄介

むすこ
 子息

むすぶ
 帰結、結合、結成、結束、接続、連結

むすめ
 看板娘、令嬢

むだ
 栓ない、道草、無益

むなしい
 空虚、栓ない、無常

めいじる
 特命、任命、発令

めずらしい
 希代

もちいる
 起用、汎用

もつ
 携行、堅持、保有

まっとも
 最高、最上、最大、至極、至上、極めて

もてなす
 一献、歓待、造作、応対

もと
 大本、基幹、起源、基礎、基調、基底、原点、源流、根源、根本、本源

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2019年01月22日
 昨日の夕方にIさんから電話もらって、『なんかさFALFの体験どう?』ということで、改めて話すとなると、何を話したらいいんだかと思ったのですが、ネットには書かないほうがいい話しを含めて、こんなことを話すとは…僕も数年前からの記憶をたどりながらなので、自分のなかでは普通のこととしていたのですが、改めて、そうかと思いました。

 それで、写真はエノレコンの上に載せてある水(水道水)なのですが、エノレコンに載せるのは当然として、二年くらい前から電気・水道用のDUHMO(ドゥーモ)を水道メーターのところに着けていてる。
 検針の人たちが間違えて外されちゃったりすると困るから、…彼らが写真を撮って、他の検針の人が来ても間違えないようにってしてくれている。
 だから、DUHMOで変換した水を、エノレコンにという流れなんです。写真でに関しては、はわかりにくいかも知れませんが、2リットル×12本です。なんだと一日に2本くらいは使ってしまうでしょう、だからで。
 うちにはエノレコンは4セット使っています。一つは御覧のように水道水用。もうひとつは、去年死んでしまった猫の灰の入っている入れ物の下に。家族が家の敷地に撒きたいって言ってるけど、ずっとそのままにある(笑)。残りの二セットは、6枚重ねの状態で冷蔵庫の下に使っています。
 ちょっと書けないけど、話ししていた内容は、電話だったら話せるかなあ。 DUHMOに関しては、販売しているものじゃないので、リースなんです。こちらも連絡いたダウ¥いたら、方法を伝えることが出来ます。

 今日は昴の誕生日。

http://harmonylife.ocnk.net/product/1251

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2019年01月12日
 2022年度からの成人が…世人式などが18歳となるそうだ。~年度っていうのが混乱してしまうんですが、うちのスバルもその翌年の2023年に18歳で成人だ。遠い先の話しだと思いニュースを見ていたけど、これって意外ともう身近な話しじゃないか。
 まあ、お酒やたばこなどは二十歳からということですが、社会の一員としての自覚を持ってもらうのには、高校生くらいの年齢からでいいよね。なかなか厳しいけど、そうじゃないと無茶なことをしてしまう人が多いでしょ。その年齢を引き下げたからといって何が変わるかというのはないけどね。
 江戸時代は、大人と小人とう区別はあまりなかったとか。もちろん子どもだけどね。家族のなかで年齢が若い人たちって感じだったらしい。明治以降、学校という制度が確立されて、大人と小人っていう括りができたとか。

 うちのそばには高校があります。なので登下校時間はたくさんの高校生たちが歩いている。

 写真は、矢板駅に向かう道にある薬局。駐車場の案内看板と一緒に今年になって落とし物の告知がずっとでている。イラスト入りで携帯電話のイヤホンが落ちていたみたい。

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2018年11月30日
 様々なことが変わっていく、変化していく振動波とエネルギーの状態なのかも知れません。
 そんなんで(どんなんだ?)、息子とカラオケに行きました。知らない歌ばっかり息子は歌う。よくわからないんだけど、ゲーム・アニメの歌らしい。そういう歌の、作詞作曲や誰が歌ってるか?などのテロップが出ますよね。そうすると神田沙也加なんて出ると、『あ、松田聖子の娘の歌じゃないか』なんて言っても、当の息子にとっては
『?』なのだ。松田聖子を知らないからね。

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2018年11月29日
 今日は今年一番の嬉しいことがありました。嬉しいことはたくさんあるんですけどね。
 ココス…矢板にはガストとココスしかファミレスがないので、絵を描いたり、打ち合わせなどでココスを利用しています。店内が明るいし、ドリンクバーの花ビラ入りの紅茶が美味しいんだよね。肉を鉄板で焼いているお客さんがそばにいると臭いのが欠点だけど、これは運次第だからね。
 『アボカドのサラダの小さいのとドリンクバーね』と注文して、まずはスカッと炭酸水を飲みたいと思い、ディスペンサーでグラスに注いでいると、ウェイトレスさんが『アボカドサラダがなくなたったんですよ』と。何日か前にココスのメニューがかわったらしく、でもメニューのサラダのページをパッと見同じようで、まさか変更されているとは思わなかった。
 4種類のサラダの中でどうしようか考えて、シーザーサラダのベーコン抜きにしてもらった。

 このことは表題ともちろん関係なく、時空のしくみは顕在意識で考えてもわからない。アボカドサラダをラインナップから外すのと同じくらいわからない。アボカド美味しいのにね。コストがかかったからなのかな。輸入ものだから季節によって変動したり、あまりにも傷んでいたら食材としてロスしないとならないからね。
 そんなことが、11月末、だからあと一か月ほどで今年も終わる時に起こった。

 サッと読んだ感じなので、細かい描写はわからないけど、『元気』と『達者』。他にも二つ単語が並んでいたけど、うろ覚えなのでね。
 元気は、どちらかというとフィジカルなほうに重点置いた言葉。そして、達者はメンタルのほうなのかな。と受け取った。『口達者』『芸達者』などと言いますよね。そういう意味でもボクは達者なのかな。
 だからというのもありますが、大抵『元気ですね~ 』と見られたり受け取られる。元気じゃなくても達者なんだよね。

 今日さ、もう日付過ぎているから昨日かな、母親から電話があって『お祖父ちゃんの妹、叔母さん(といっても90近く)からリンゴもらったから、少し送るね』ということだった。
 それで、母親はもう70代後半なんですが、いい年ですよね。
 何やらストレスがどのくらいあるかという検査をしたらしく、一体何を測ったんだかわかりませんが、『ストレスを溜め込まない性格』のようでした。そこから、お祖母さん、祖母の話しになって、祖母は若いころ…だから母親たちが子どもの頃だよね。カラダがとても弱かったんだけど、医者から『カエルを食べるといい』と言われたそうです。で、お婆ちゃん時代、なので僕らが生まれていた頃なので、多分50-60代頃ですが、当時30代の母親よりも祖母のほうが歩いたりするのが早くて、とても元気になっていた記憶があります。
 で、、母親が『お婆ちゃんはストレスを溜めない人だったんだよ。それがお母さんに遺伝されているね』と言う。

 三年前に、従姉のお姉さんに会った時、『(私達の)おばあちゃんはものすごくイイヒトだったよ。それで叔母さん(ボクの母親のこと)はおばあちゃんに似ているよ。顔も声もそっくり。』と言う。そういう風に母親や祖母を考えたことはなかったけど、そうなのかも知れない。
 祖母は群馬の田舎生まれ・育ち・死んでいった。家というか、嫁に来た家は…戦国時代くらいに滋賀県から落ち延びて来た落ち武者。滋賀のあるお城にいた人たちが群馬の昭和村で暮らし始めた。というのが記録らしく。まあその地で数百年も結婚を繰り返して(結婚を繰り返したというのは、離婚・再婚を繰り返したということではない・笑)、だから滋賀からのDNAはものすごく薄くはなっているだろうから、でもその地で畑や田んぼを耕して、糧にしてきた家族や周囲の人たちなんだろうな。
 母親からも、ボクが子どもの頃はこんにゃくや桑(蚕のエサ)、トマトを主に作っていたけど、母親の子どもの頃は、田んぼに井戸を作って汲み上げていたとか、手伝ったよ。なんて言っていました。家は茅葺屋根の大きな家で、二階というか屋根裏は蚕を飼う場所だったとか。
 なので、ストレスを溜めない性格というか生き方みたいのは、滋賀からのというよりも、きっと群馬の土着(笑)の傾向なのかも知れない。

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 そして、今日、家内と息子と、なんか他愛のない会話のなかで、
 ボクは子どもの頃から『大人の人(20歳を超えているオジサンやオバサン)は、些細なことで怒ったりしない。同年代の子どものなかで癇癪を起すコなどもいるけど、大人になったらそんな人はいないでしょう』と思っていた。と話してた。
 すると息子が『大人の人はわがままな人が多いよ』『(パパが思ってたのは)理想的すぎる』と。
 それに続けて、『パパは子どもだからね』と

 だって、生まれてから20年も経って大人(オジサンとオバサン)になる。20年以上生きている人がワガママだったり、すぐに怒ったりしちゃうのは変でしょう?って思っていた。あまりそういう気難しい大人が身の周りに少なかったからなのかなあ。
 スバルの人生で会っている大人たちってそんなに多くないよね、ワガママに見えてしまうって誰?それともネットやニュースの中で見聞きする人たちや社会のことなんだろうか。
 君の先生たちは素晴らしい人が多い(割合でね)と思うよ。そういう出会いって確率的になかなかないよ。と思うんだけどね。
 

 ボクは、子どもの頃は『大人は凄い(はず?)』と思っていて、父親に、大人は何でも知っていると思って『宇宙はこういうふうに出来たのかな?お父さん教えて?』もちろん、『お父さんは解らないなあ』と応えられたし。
 小学三年生の時に、友だちとタイムマシンを作って、『このままじゃ地球は大変になるから、みんなで昔に行って、昔の人たちに話しに行こう』としていました。
 ちょうど、三年生の担任の小原先生はその年に大学を卒業した新任のキレイな先生でした。学校の先生は大学を卒業しているのだから、原子力エンジンくらい作れるよ(当時、原子力エンジンが一番凄いと思っていたから)と。
 小原先生は、『先生の勉強してきたことでは原子力エンジンは作れないなあ』と、そりゃあそうです。小原先生も素敵な人でしたよ。もう40年も前のことだけどね。
 
 でも、そのくらいのことを大人だったら出来るはず。と思っていた子どもでした。ホント無茶苦茶ですね。

 まあ、ともかく、息子がそんなふうに冷静に人を大人たちを観察しているんだ。ということに驚きました。ボクは子どもなので(笑)。ともかく、達者です。

 そして、家内が『我が家はみんな繊細だから、図太い神経なのはパパだけ』と。ボクは図太いじゃないんだよ。仕方ない、ルーツがそう、ポジティブな方向で学ぶ文化なんだよ。勘違いしちゃダメなのは、忍耐をポジティブな方法論で学ぶ。であって、忍耐を学ばなくていいということではない。むしろ、『忍耐を学ぶのにネガティブな方法論でもいいよ、学ぶんならどっちの方法でもいいよ』といだからうのが時空の仕組みなのかも知れない。
 ココで言っているルーツは、群馬とか滋賀とかの話しじゃなくてね。もっと遠いトコロのことだからね。かと言って、家内と息子がネガティブから学ぶ文化がルーツとは思えない。僕が、今回の人生でもそういう家や大人になってから(だから20歳のオジサンになってからも)そいう環境に身を置いていたというのがあるんじゃないかな。でも、どちらの方法でもいい。元気じゃないけど達者ならばね。

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2018年11月27日
 どの部分から書いたらいいのか、そもそも詳しく書けないことだらけなので、読んだ人も???となるのは承知の上で、書いてみようかと思います。このことを日記に書くのは当面これが最後と思っています。
 そこらへんもオブラートに包みつつの文章なので、わかりにくいですね。重要なのは読み終わった人が自分を振り返り、決心…決心というのは、当然なのですが、不調和なことへの決意のようなことではなくて、生き方について決心するとい意味です。そのためのちょっとしたサポートになったら幸いと思って書いています。

 先日、息子の一言。一言というか、その一言に至るまでの一年以上、何年もなのかも知れませんが、彼の人生の積み上げのなかでのことです。あ、息子は今中学一年生です。
 『仕事だからだよ』というもの。あの人がこうして親切なのも、仕事だからそうしているという意味です。まああの人というのが誰なのか?などはさておき、ポイントはそこではないので気にしないで下さいね。
 
 息子本人にも伝えていませんが、『お前がそういうこと(~仕事だからしているだけ)言うなよなあ』というもの。
 息子の人生は今まで13年弱なのですが、そのなかでも何人もの人が関わってくれていました。特に小学校の担任の先生は桁外れでした。『どうしてこういう方が栃木にいるんですか?』というレベルです。
 人によっていろんな捉え方があるので、言葉では難しいのですが、この方の場合は、言葉のまんま(どうして栃木に)と、受け取って頂いてもいいと思います。
 今から二週間くらい前に、ある出来事があり、そのことを、当時の担任の先生にもお礼を…軽い気持ちで訪ずれたのです。すると…予想外なことに、期間はわかりませんが、他県に異動されているということだったのです。
 驚いて、『えー』という声を揚げるのがいっぱいですた。呆然としてしまいました。ホント、軽―い気持ちで立ち寄ったら、思いもよらない話しでした。どういうことか…息子の小学校の最後の時期まで在任してくれていて、ちょうど今年の四月から異動しているというわけです。もちろん、本人の意志で決められることではなくて、教育委員会とかの人事の問題なんですけどね。
 でも、そういう今の文化の仕組みのことではなくて、息子の小学校の期間にそういう人を配置してくれていた時空の配慮。エクサピーコ同士のサポートもろもろに対して呆然となってしまいました。その場(在校の先生の前)では驚きがいっぱいでしたが、家に戻ってから一人に鳴きましたよ、間違えた、泣きました。
 こういうこと、自分や息子に対しての特別という意識ではなくて、誰にでもですが、時空はサポートしてくれている。そういうのを知らぬ間に通り過ぎて、気づかずに過ごしてしまっている。

 この一連のことはまだ息子は知らない。息子の顕在意識は知らない。いずれは周囲から知ることになるだろうけど、今はボクが小学校にお礼に行ったなどを知ると、思春期なので(笑)。
 そんな周囲の人がいた息子、お前がそういうことを言うんじゃないよ。と思ってしまう。小学校の担任だった先生も、仕事ではあるけど、それだけじゃないよ。

 お金がないと生存することが出来ない文化になっている。なのでお金のために仕事をするのは必要最小限で仕方のないこと。その中で、どうううふうに、自分の本来の役割に気づいて、今いる惑星の文化に調和の方向の影響をするような生き方をするか、が必要なんだよ。
 君が好きでやっているゲームも、最近はゲームは飽きてきたみたいだけど、そういうゲームを作っている人たちもお金が貰えるから仕事にしている面もあるんだよ。
 調和のとれたことをしてお金を得れるような社会・文化にしていくことが大切だけどね。バランスというわけではないけど、必要最小限、生存するためにもお金を得ながら、本来の役割を実践していく。
 不必要最大限にエゴと欲を拡大して毎日を過ごしていることは、本来の『生きる』とはかなり違うからね。『現実は、私は現実をやっている』と、逃げないようにしよう。『エゴの現実にどっぷりなんです~』という分析を自分にするのは良いけど、カッコいい言葉を使って逃げない。惑星の文化をどう調和していくか?が現実。

 そういう意味で、『(あの人は)仕事だから(親切なんだよ)』と、多数の人のことを認識できるのはいいと思うよ。親としては、苦労する人生じゃないのを望んじゃんだけどね。この不調和な社会のなかで『生きる』をするのが忍耐が必要なことなんだよね。

 息子に対しても、読んで下さっている皆さんにも、それぞれ視点が違うのですが、重要なポイントが届くといいなあ。

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2018年10月19日
 下絵(写真のコピー)をベースに絵を描いています。

 このパターンのは、写真のコピーの上に描くわけですが、普通の紙に描くこともあります。いや、むしろそちらのほうが多いよね。普通と言っても、色画用紙やちょっと厚みのある色がついた紙とかね。

 こういうのをしている時って、楽しくて、感謝が湧いてくることが多々あります。
 あ、勘違いしちゃうとマズイのは、『絵を描くと感謝できる』ってのではないんですよ。

 さっき郵便で、母親から下の弟の写真が届きました。
 歳が離れているのと、家族の時期によって写真を撮る回数が違っていたから…ボクは最初の子どもだからか、きっと親もバシャバシャと写真を撮っていたのだと思う。でも時期により波があり、すぐ下の弟が生まれた年のは少ない。きっと忙しくてそれどころではなかったんだと思う。
 そんなので、学年で8年違う弟といっっしょに写っている写真はない。だから、母親に弟の写真を送ってもらった。『要返却』と何かの広告の裏に短い手紙が入っているあたりが母親らしい(笑)。ちょっとした紙くらいなんとかしなよ、と思うけど、まあいいか。

 で、下の弟の小さいころ、そして大人になった時の写真を見ていると、角度のよってスバルとそっくりだ。
 自分では『すぐ下の弟と自分は似ている、でも下の弟とはあまり似てないよなあ』と思っていたけど、写真を見たスバルと家内は『パパに似ている』と言う。
 まあ、同じ両親から生まれているから遺伝子で似るんだろうか。勝手な見方ですが、弟は目が細いなあ。あくまで相対的な見方ではなく、自分との比較だけどね。
 数枚をカメラ屋さんでデータのプリントしてもらっています。明日出来上がります。
 
 これで、家族の写真が揃った(従兄弟従姉妹などはないけど)ので、近いうちに作ってみよう。

 2002年足立育朗講演会『波動の法則の実践』http://harmonylife.ocnk.net/product/258
 こちらを聞き流しながらの一日でした。

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2018年10月11日
 このトコロ毎日、『絵のようなもの』を作っていて、その準備に写真をプリントしたり、コピーをとりにコンビニに行ったり・ホームセンターでケント紙を買ったり、100円ショップで透明な封筒やあれこれ…コピーなんてレシートの枚数を数えると、一日に三回とか(笑)。
 きっとコンビニのお店から『あの人またコピーに来てる』なんて思われてるんじゃないだろうか。

 昨日の日記に書いたような、主に、主にですが持っている写真の多くは家族のものになるわけなので、そういう作品になります。
 そんな作業のなか(だからコンビニとかで)、『あ、自分がいた家を中心にしたアートもいいかも』とおもったり、それはワンピースでゴーイングメリー号がエニエスロビーに迎えに来てウォーターセブンに戻るシーンみたいに、『船も仲間だった』みたいな感覚です(笑)。
 写真のコピーをとって、素材をなんとなく集めていますが、もし…取り掛かるとなってから7時間以上かかってしまいます。なので、いつ始めるのかはわかりません。

 数日前から別も描いていた絵は、今日仕上げました。しばらく手元においてから人に送ろう。

 やっていると楽しくて、時間が過ぎてしまいます。
 そして…さっき思いついてしまったのが、みなさんの家族のアートを作らせてもらおう!ということです。
 自分の楽しみのことなので、なんなんですが、ただ手が遅いもので時間を使ってしまうことになるので、ちょっと方法を考えます。

 こうしている間にも、あんな道具を使ったらいいかもとか思いついてしまう(ドラえもんの秘密道具ではない)。それを使っても時短には結び付きませんが、使いたくてうずうずとしてしまいます。

 しかし…この数日で二つ(同時並行のようだった)作るのがいっぱいだったなあ。こうしている間にも浮かんできてしまうから、時間がいくらあってもね、人生は短いね。

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2018年10月10日
 昨日からの作業にひと段落ついたので休憩します。
 ですあ、『こんなテーマの作品もいいなあ、作ってみたいな』という思いがムクムクと湧いてきてしまいました。その準備もちょこっとしたり、昨日からの作品で使わない写真の部分がたくさんあって、もう一つ出来そうだ。
 
 なんだか楽しいね。

 そんなこんなで、生まれる前に死んでしまっていた曾祖父母のことも…墓石に刻まれている年月から、明治10年、12年、19年、20年(1877-1887年)生まれということがわかった。没日なので、『生まれたのはきっとこの年だよね』ということなんだけど、ボクが生まれたのが1968年だから、約90年前だね。ボクまでが4世代、4世代で約90年。スバルが生まれたのが2006年だから、その間およそ130年ということになります。
 父方のほうは、わかる人が残ってない。でも曾祖父の名前に『七』が入っていた…きっと七男だったからか。7番目のだから『セブン』だね。
 昔の人達は、子だくさんだったんだな。もちろん、小さくして亡くなってしまう人も今以上に多かったんだとも思う。曾祖父が明治12年生まれってことは、その先の人は江戸時代に生まれて生きていたってことですよね。
 
 激動の明治、大正、昭和、平成。次の元号は何になるのかな。
 昨日から作っていた作品のなかで、古い写真のコピー(そもそも遺影を飾ってあったのをスマホで撮ったから)を重ねて、曾祖父母、祖父母、両親、息子の五世代が一枚の紙の上で並んでいます。ならんでいるっていってもバラバラもいいところだけどね。

 これからどんな社会に、地球になるのか。するのか。

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2018年08月04日
猫のジュナが死んじゃって約1カ月https://harmonylife.ocnk.net/diary-detail/668。朝起きて、居間に来ると、必ず挨拶にきました。家族の誰もに、時間に問わず、その日初めて会うかっ、挨拶にやってきました。ま、本猫が寝ている時は眠ったままてすが、
外に、鳥の鳴き声がすると、網戸越しに鳥をジュナが見てるんじゃないか。そんな影はありません。
猫のいない日常も普通ですが、人間にしろ動物にしろ、その人生で何を学ぶか。
今、ボクらは人間をしていますが、過去には必ず、鉱物や植物、動物だった時があるんですよね。
ペットは可愛がるけど、肉や魚、野菜やもろもろ食べちゃいます。
区別じゃなく、差別になってるって。あーあ。

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2018年08月02日
とうきょうスカイツリーのそばのすみだ水族館にスバルと行きました。
スバルと電車は7カ月ぶり、目当てのペンギンはいました。なにペンギンて言うんだろ?想像していたのより小さい。

ペンギンて南極にいるんだよね、水族館は空調もされてるけど、彼らにとっては暑いんだろうなあ。
ホントは、無理にまったく違う環境の国に連れて来ちゃうのは、なんだよね。
水族館のなかで、ペンギンソーダを飲みました。あ、ブルーハワイの炭酸割りなので、妙なエキスは入っていません。浮かんだ氷が、ペンギンのカタチになっていて、見た目が可愛い。きっとインスタ映えするんだと思う。

お昼には新宿に移動して、パスタを食べて。
午後はパパの用事。

夕方、帰りの電車。朝早く出かけたので、車内シートで眠ってしまった。
でも、外出頑張ってくれて嬉しかったよ。

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2018年07月17日
 お昼前後に、カラオケボックスにスバルと行きました。
 ホント久しぶり。カラオケが久しぶりというよりは、自分から希望して出かけたことが、去年の12月以来か。アニメのイナズマイレブンの歌などを楽しんでいました。
 帰りに、チーズガーデンに寄り、ジェラートを食べました。この夏限定だろうマンゴーが美味しかった。マンゴ―って何に使っても美味しいよね。

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2018年07月10日
 毎日毎日暑いですね。
 九時に火葬場の予約ができたので、ジュナの火葬に行ってきました。地図を頭に入れて行ったのですが、わかりにくい。周囲に店などないし、誰にも場所を訊けません。ちょいと迷ってしまいましたが、無事行ってきました。
 缶のなかの骨だけになって帰ってきて、今はエノレコンの上に載せています。ベインとフロウグ、そしてお線香を炊いています。

 火葬場、聖苑というのか、聖苑の人に『大きなネコちゃんですね』と言われた。10年ででっかくなりました。

 スバルは、物心ついた時からジュナがいる。二歳の時だったから、ジュナがいなかった頃のことはほぼ記憶ないみたいだ。なのでショックが大きいみたいです。

 人間だとなおさらですが、買っていた犬や猫、ペットだから思うのかも知れないけど、死んだ動物(植物も)は、大抵の家庭で毎日いるはずです。まな板の上にね。そして食べたり、その残骸を生ごみとして捨てる。誰もが平然と普通にやってるよね。火葬場で遺骨にして、撒いたり、お墓を作ろうなんて思わない。不思議だね。自然の仕組みは循環してフゲーエキンに戻っていくんだろうな、ボÐィのほうはね。
 本質のエクサピーコは、今回の人生で何を学ぶか。生まれる前にプログラムしてきているはず。

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2018年07月09日
 八時過ぎに猫のジュナが死んでしまいました。
 きっと難しいだろうけど、今日病院に連れて行こうなんて言ってましたが、今朝キッチンの隅にうずくまっていました。

 僕が一度4時頃に起きて、部屋を見た時はどこにいるのか解らなかった。
 
 『パパ、ジュナがホントにダメそうだから』と起こしに来てくれて、もうぐったりしていました。

 病院に連れて行くなんて、ストレスを与えても、疲れるだけだろう。なので住み慣れた我が家でそっとしておいてあげようと。

 声を掛けると、尻尾の先を動かして反応する。
 みんなで話していると、自分の存在を示そうとするのか、ゴロゴロと言いたい。でももうゴロゴロ言う体力もないから、変な声(息)になっている。

 そんな声がしてから数分すると、死んでいた。
 普段は使わないペットシート(おしっこを床にしちゃうからと、金曜日に買った)を箱に敷き詰めて、ジュナを移動させた。

 ジュナは、2008年にひとりでやってきた。2歳だったスバルと、一緒に育つ。スバルに、身近に動物がいるという生活を作ってくれた。
 死んじゃった後も、スバルは泣いている。
 そういうことを教えてくれるために、うちにいてくれたのかな。
 ありがとうね。

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2018年07月06日
 先週、ゲージから降りる時に足を滑らせた。
 もう10年だね。
 ずっと前に買っていたジュピターは、オスだったけど6年くらいで死んじゃったよ。
 
 足はほぼ治ったみたいだけど、テレビ台の裏からほとんど出てこなくなった。ごはんもほとんど食べない。
 ジュピターは、腎臓が悪くなってしまって、体中に毒素が廻って、目が赤く、ボーっとして、病院に連れて行ったけど、『長くは生きられない(一週間くらい)』って言われて、そんなに頻繁に病院なんて連れていかれないよ。と…。
 でも、当時東京の実家から、住んでいた横須賀のアパートに連れて来て、看取るつもりでした。
 そして、愛さんの理解があったので、仕事をするときも逗子に連れてきていました。
 でも、自分で水も飲めない(スポイトで飲ます)、うんちも難しくて、少し出て来るのですが、それをつまんで引っ張ってあげないとなりません。
 薬は…活性炭の粒が入ったカプセル剤です。これも与えるのが大変で、齧られながら、なんとか食べさせます。体内の毒素を吸着させて排便させるようなんです。

 そんなので、4家月くらい生きていた。
 でも、10時間くらい外出して離れていないとならない時だってありました。…確か大井町きゅりあんでの足立さんの講演会の時はそうだったかと思う。

 ジュナは、その時の状態に似ている。ボーっとしたりしてないけど、、動くのが辛いのかも知れない。

 ジュナが来た時は、那須高原に住んでいて、周囲に猫のいる家がないのに、手のひらに載るサイズだったけど一匹で来ていた。
 お母さんに咥えられて来たのかも知れない。2008年だね。以来、ずっとうちの猫になった。最初は『ジュノー(ジュピターと同じ日に生まれた姉弟)』って呼んでましたが、ジュナになってしまいました。
 スバルはこの一年くらい『ツナ』、マグロという意味のツナと呼んでいます。
 生きながらえさせるというのがいいのかどうか?なんともわかりません。 

 猫はしゃべらない。でも元気なさそうだし、苦しいんだろうな。
 今度は動物のエクサピーコか?
 飼い猫にしちゃった(野生に出したままなら、きっと死んでしまうようなチビだった)から、ネコ本来の学びを奪ってしまったのかも知れない。
 一人で外に出てしまい、迷ったり、家の中でサカナ料理を咥えて怒られたり、いろいろあったけど、可愛かったなあ。今は大きくなっている(笑)けど、最初の数年はホントにチビで。
 スバルにも、家の中、身近に動物がいる生活をさせてあげられた。
 ありがとうジュナ。
 
 あ、まだ死んじゃないから。

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2018年06月06日
 土曜日からずっと、ウルトラマンティガhttps://imagination.m-78.jp/planet/44Km44Or44OI44Op44Oe44Oz44OG44Kj44Ksとウルトラマンダイナhttps://imagination.m-78.jp/planet/44Km44Or44OI44Op44Oe44Oz44OA44Kk44OKを見ています。多分…今40時間くらいだろうか。
 そのなかで、ティガやダイナを見た人たちはわかると思うのですが、『光』『人の光』という単語をとても多く出てきます。
 うちの、スバルの名前は、生まれる3カ月くらい前までは、男の子でも女の子でも、『光(ひかり)』と決めていたんです。光る、という動詞ではなくて、光(ひかり)という名詞なんですね。
 で、ある日に急に『スバル』になったのは有名な話しなんですけど(笑)、それまでは『光』だったんです。そんなことを想い出しながら、『人はみな、自分の力で光になれる』というセリフがとても重みがあります。

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2018年05月27日
 知る人ぞ知る、パーフェクトグレードのユニコーンガンダムを、てくてく組み立てているスバル。
 飽きて、というか大人でも作るのが大変ですね

 使わなくなったiphone5s、息子にあげましたが、もっぱらゲームや好きな音楽を聴くのにしか使わないですが、紙コップと筒(なんでも、なのでこれはラップか何かの)でスピーカーを作ることを提案しました。

 作り方を検索して、カッターで穴を開けてるところ。
 この後、完成してイナズマイレブンの音楽を堪能していました。
 ユニコーンが完成するのはいつになるのか?今のところは未定です。





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