歴史
日々のこと(日記):91
2018年12月25日
 なんてね。浜田省吾の楽曲のタイトル。https://www.uta-net.com/movie/287453/

 でも、この歳になると、子どもの頃に育った地域って懐かしい。ちょっと調べてみました。

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、雑色村、八幡塚村、町屋村、高畑村、古川村が合併し、六郷村が発足。
1912年(明治45年) - 多摩川を挟んで両岸に蛇行していた神奈川県橘樹郡との境が多摩川上に設定され、大字古川の一部を橘樹郡御幸村に、大字雑色の一部を同郡川崎町に移管。
1928年(昭和3年)4月1日 - 六郷村が町制施行して六郷町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。六郷町の区域は蒲田区となる。
1947年(昭和22年)3月15日 - 蒲田区が大森区と合併し、大田区を設置。

 と、大田区六郷の成り立ちですね。
 住んでいたのは、仲六郷と南六郷。父親は宮城県、母親は群馬県出身だけど、東京のこの地で結婚して暮らし始めたんだよねえ。
 僕は68年生まれなので、1976年に小学一年生になりました。その年が六郷小学校の創立100周年だった。
 六郷小学校は、明治9年(1876年)2月1日に、元になる小学校が誕生した。
 多摩川のことは、六郷川とも言うし、その橋は六郷橋ってね。
 神社、六郷神社の境内っていうのかな。ドングリを拾って食べた(渋い味だから吐きだした・笑)ことなど、色々と懐かしい。
 あの頃、高層住宅は三棟くらいだったけど、今は何十とあるんだろうな。
 懐かしいけど、行ってみたいと思わない。だって見知らぬ風景になっているだろうから、なんだか寂しいね。だから、そのまま昔のままの思い出の光景を記憶に残していたいからね。

 そういう意味で、江戸時代とか昔に行かれるものならば、見てみたい。

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2018年12月22日
 歴史ごはん、と、たねの図鑑
 たねの図鑑は少し前に華のタネのを見たよ。今回のはドングリとかリンゴとか。ドングリは色々あるんですね。可愛くて昔から好きだなあ。
 歴史ごはんは、縄文時代の食事、弥生時代の食事とか、そういうのが絵になってます。

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2018年12月15日
 寒いですね。うちは築40年くらいの借家なので、高気密ということもなく…陽の当たっている時間は外のほうが暖かい(笑)ので、玄関前のベンチで日向ぼっこしていることもあるのですが、友だちと電話で話していて、その人の家の片づけをしていてIKEAで買った木のタンスを捨てないとならないらしくて、これが高額じゃないけどやたらと重いらしい。北欧の家に合う家具だから、やっぱり日本の風土にあったもののほうがいいよね。という話しになった。
 そもそも、日本は四季があるので、暑いし寒い。家なんて木と紙で出来ていたんだからということだ。紙の障子を開けるともう屋外。縁側なんてほとんど外ですよね。Ð寒い冬には家の真ん中、家族の団らんの中に囲炉裏がある。それで家の構造材を乾燥し、燻されていた。だから古民家なんて何百年の保たれているんだよね。

 また別の方とも話していて、ずっと前に囲炉裏のある旅館の囲炉裏で、三人でタバコを吸っていて、後日その三人に某社長からお咎めのFAAXが10枚送られて来た。という話しを言っていた 。囲炉裏繋がりだね。
 そっちの話しでは、同じように…その夜にそこでお酒を飲んで騒いでしまっていた数人(もちろん知っている人たち)がいて、その場でその某社長から怒られていたとか。
 まあ、そもそもはそういう話しを聞くために話していたのではないけど、その時にいた人たち、誰がいて、あの発言はいったい誰?ということなどを確認したくて話していたんだけど、20年くらい前はタバコとかお酒とか…その場にそぐわないということが厳格だったなあ。
 そのFAXをもらった人は、別の方から…怒られ方に対しての憤慨は仕方ないけど、どうしてタバコが…っていう理由を聞いたみたいでしたけどね。

 みなさん、若気の至り。あったんだね。

 今日かけていたDVDは2008年 http://harmonylife.ocnk.net/product/597

 今日はマイナス1度から6度。午前中晴天のなか白いものがパラパラと降ったけど、山のほうから風で運ばれて来たんだね。

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2018年11月22日
「文明未接触の島」上陸の米国人を住民が殺害 インド(産経新聞)https://www.sanspo.com/article/20181122-KUCK55LBRZNO3OGCYJZ4RN6W4M/#:~:text=%E3%80%90%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E6%A3%AE%E6%B5%A9,%E3%81%AB%E8%BF%91%E3%81%A5%E3%81%8D%E3%80%81%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%81%A7%E4%B8%8A%E9%99%B8%E3%80%82って出ていた。こういうの好きなんですよね。あ、未開部族とか、殺害とか、そういうのじゃなくてね。

Y染色体ハプログループD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

 このインド洋のセンチネル諸島ってたくさん島も部族もいるんだろうけど、何が好きかって…興味があるっていうのは、そのうちの一つの部族が日本人の遺伝子にものすごく近いってこと。未開で外界との接触を拒んでいるわけだから、わからないことだらけなんだけどね。
 ニュースの記事は、そこに接触しようとしたアメリカの民間人が矢に射られて殺されてしまったという話しなんだけど。
 だいたいセンチネルって名前がカッコいいよね。90年前後のガンダムセンチネルもセンチネルだし。センチネルって、歩哨、前哨、監視員という意味なんだって。

 ハプログループD、中学生か高校生くらいだったら、そういうことの研究の道に進んだかも知れない。それが仕事となってできるのだったらいいよね
 なかなか、交流が難しそうだけど、その人たちがどういう経路で現在にたどり着いているのか?この数千年の流れが知れたら楽しいよね。
 それに似ている視点がワンピースなのかも知れない。空白の100年に何があったか。一味に考古学者のロビンもいるしね。こうやって硬軟要り交ぜて書いちゃうと謎解きみたいでいいでしょ?
 広い解釈をしたら、言語学なんかもさ、そうだよね。どの言語と言語が共通性があるとか、分布を調べたりすることでわかってくることがあるよね。身近なことで言えば、方言があるけど、昔は今よりも情報の伝達に時間がかかったから、どういう経路で広がったとかがわかるでしょ?今はテレビやインターネットで一律に広がるからなんだけどさ。なので本当に大切なことはネットには出てないってことだよね。

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2018年11月11日
 起きたら九時直前でした。寝坊ですが…夜中に目が覚めて、どうしてもやりたくなってしまったことがあって、コツコツとやってしまった。目が覚めてからやりたくなったのか、眠っている間にもやりたかったのか?
 物理的、他の条件などでその時に出来ない事は別として、思い立ったらやってしまったほうがいいね。

 そんなんで、朝方もう一度眠ったから、遅起きでした。

 注文品の発送時に同封しているコピーがなくなってた。コピーしに行かないと。
 後で本を読みに行く、その前に少しコピーしよう。
 
 なんかさ、ミヒャエル・モーザー関連の本や写真集を見ているからか、ふとした時に浮かんでくる風景が明治初期ばかりだ(笑)。
 日本は、世界はたった数百年でどんどんマイナーな方向に加速している感じだね。
 明治元年(1868年)のヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジア、中国、そして日本。彼の手記から、同時間軸のなかで日本の社会は自然だったんだな、と感じる。ヨーロッパが植民地を広げていた時代だけど、オーストリアの少年の目から見た世界が記録されている。船旅で各地に滞在した時に残った『もうココにいたくない』という感覚。もちろん日本滞在時もイヤな思いもしたことがあるって書いてあった。
 それでも日本が好きだと感じてくれていた。気候とか風景、街並みとかもだけど、日本人がおおむね親切だったこと。だから、言葉も通じない遠方の地なのに、そこに留まることを決められたんだろうか。

 あの時代…世界中を旅するのは、出来なくはないけど、命がけだよね。安全が約束されている旅行に行くのと訳が違う。言葉も違う、文化・風俗・習慣、姿形も違う人たちの世界に行くのは、ワクワクする気持ちと同時に怖かっただろうな。
 ちょんまげ。服装やもろもろについて。中国人は三つ編みに髪を編んでるとか、一部の女性たちは纏足だとか。そういう中で日本人の髪型はかなり奇抜に見えたらしい。前を剃り上げて、髪を頭頂部でシーセージ大にポマードで固める…三つ編みなどは性別などは違えど、理解できたのだろうけど、『ソーセージ大に固める』は、凄いよね(笑)。そして多くはないけど、ちょんまげの人たちの写真も載っている。これは…細部はともかく絵面がA君やH君のようだった。彼らはちょんまげの名残の髪型なんだね(笑)、だからオデコの部分を広く剃りこんでいる。そうに違いない(笑)。今度訊いてみよう。

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2018年11月10日
 昨日から、借りて来た三冊の本を、写真集もあるのですが、だいたい読みました。ミヒャエル・モーザーは、オーストリアの片田舎(ウィーンじゃないので)で、初等教育だけを受けてて、この頃、1868年くらいに15歳。そんな彼か、故郷を離れて日本や東アジアに行く船に写真家の助手として乗り込む。希な人生でもあったと思いますが、その点ではなくて、初等教育だけしか受けてなかったのに、日記や両親や神父(学校の恩師)たちに手紙を書いていて、その内容が歴史的にも価値はあるだろうけど、とても信心深い…?人柄が現れている。
 あの時代、日記や手紙の内容から、国をあげての事業の船でも航海は危険だし、不慮の事故や日射病やチフスなどで亡くなってしまう船員のことを書かれていた。ましてや船酔いが酷いようだった。数年日本に留まった理由に船で過ごすのが苦痛だったみたいだ。

 ヨーロッパを出て、アフリカ大陸、インド、マレーシア、シンガポール、北京・上海を経由して、日本の長崎や神戸、大阪、横浜と旅したわけですが、オーストリアと中国の通好条約の交渉が長くなり、二か月くらい中国の領海を含んで留まって、蚊やぶよの存在、耐え難い暑さなど…中国の雰囲気もろもろがあまり好きじゃなかったみたいだった。
 ボクは当然、中国や東南アジアには行った事なんですが、なんとなく中国とか大陸が苦手なんですよね。だからってわけじゃないけど、日本人の多くの人が好物のラーメンなんかも好きじゃないんだよね。
 彼の手記を読んでいると、とても共感してしまう。
 
 日本の町は、町だけじゃないんだろうけど、他のところと比べるととても清潔だったみたいだよ。
 なんか…イメージだけど、中国とかそういうところは、暑くて(湿度が高い)、うるさくて、臭くて、汚い。そんなイメージがある。
 ミヒャエルの文章表現で面白かったのは、日本人は今まで見た人たちと比べて裸に近い。指三本の幅の布を…ってフンドシだよね。アフリカや東南アジアの人たちよりも裸に近い恰好に見えたんだね。今はフンドシ姿の人っていないだろうけどね。

 まあさ、初等教育だけでも、綴りや多少の間違いはあっても文章を書けたってことは大きいよね。
 日本に残っても、当然言葉さえもわからない。でも、日本語、英語他の言語もものすごく早く覚えたんだって。あ、日本にいる間にね。
 亡くなった後、今は孫が70才くらいで、昔のガラスネガが見つかったということだけど、写真としての記録もですが、文字を残せたってのは大きいね。

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2018年11月09日
明治初期日本の原風景と謎の少年写真家/アルフレット・モーザー 2016年
高精細画像で甦る 150年前の幕末・明治初期日本 ブルガー&モーザーのガラス原板写真コレクション /東京大学~ 2018年
少年写真家の見た明治日本 ミヒャエル・モーザー日本滞在記/宮田奈奈・ペーター・パンツァー編 2018年

一冊が7000円くらいする本なので、買えない(笑)。どうしても手元に置いておきたくなったらわからないけどね。
まだ、途中までしか読んでないのだけど、本はね、とくにこういう伝記もののようなのって読んだことがないけど、引き込まれる。オーストリア生まれの少年が、1868年に日本に旅立つ(来日は1869年)、幕末で、明治元年。彼はカメラマンの助手として船に乗った。そして日本に留まった数年。当時の日本の姿を写真に収めている。
 その時代の写真はほとんど傷んでいたりするけど、比較的最近に子孫の方が、ガラス(ガラスのネガだったらしい)を見つけてくれたみたいで、歴史的価値のある写真なんだろうな。

 それと、彼の日記や手記などに当時の体験したことが記載されている。まるで、朝ドラの世界だね(笑)。
 元々、時代劇や大河ドラマ、洋の東西を問わずに戦記物とかは興味ないから(ガンダムの宇宙世紀は別として)、そもそも明治とか幕末(江戸時代)とかに興味を持ったのは、いいや興味はないんですよ。人類、…日本に住んでいるし、自分も日本人だから日本の歴史(5360年前以降のね)に興味を持って、ネットで一年前から調べていて、一連の本に興味あったのは、写真だから。
 想像図とか、浮世絵のような当時の絵画などではなくて、その風景や人物を写した(多少メイクなどしていても、その当時の風俗習慣なら)写真ってね、あまりないでしょ。
 鎌倉時代とかに写真はないし、幕末くらいからだよね。
 オーストリアの(その地の一般的職業の)塩山工夫の息子の一人が、カメラや写真に興味を持ち、その助手としてヨーロッパから東の最果ての日本に、当時は一年近い航海を命がけでやってきて、奇しくも幕末・明治初期の日本の姿を写真に収めていた数少ない人物になった。

 今年は、2018年は明治元年から150年。ボクが生まれたのは1968年。小学校一年生の時にその小学校が100周年だった。なので意外と幕末ってそんなに昔のことではない。だって江戸時代は260年くらい続いたんだよね。だから、明治以降の年月が江戸時代の年月に追いつくのにあと約100年。

 ボクの曾祖父母たち(父方と母方)は、だいたい明治10-20年くらいの生まれ。場所も宮城と群馬だから、彼の写真に写っているわけもなく。でも彼らが生まれた時代の空気がその写真のなかにある。
 そう思うと、縁も縁もないオーストリアのミヒャエル(英語読みだとミカエル)に親近感が湧く。

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2018年11月01日
 右下のは、コピーを失敗。また明日コンビニとかにコピーに行かないと。
 絵のようなもの、完成した三枚には金などで描いてあるのわかりますか?これは…やっているとかなり楽しいです。今回は素材が多くて、元々は三枚くらいにしようと思っていたけど、収まらず。同じ素材を使いまわしもあるんだけど、それでもいいよね。
 
 『明治初期日本の原風景と謎の少年写真家』という本を、図書館で探した。というか探してもらった。でも所蔵されてなくて、栃木県内の図書館にあった場合に取り寄せてくれるそうです。
 なにやら、オーストラリアの人で、幕末から明治初期に日本に来てた10代の人なんだけど、その頃の写真が130枚くらいあるそうなんです。どんな風景だったんだろう。まずは借りて観てみたい。
 矢板市の文化祭。と言っても高校の文化祭などではなくて、大人…というかオジサンオバサンたちの絵や手芸、演劇などもろもろの展示したりするイベントが3日まである。そこのひっくるめた会長さんと知り合い、少し行ってみることをしました。
 水墨画。水墨画を習いに行こうかな。絵心がないので、なんともですね。別に、墨で風景画などを描きたいわけではないんです。どういうふうにやっているのか、道具は?紙は?なんか和紙に描くとか言ってたんですけどね。

 今朝は7度まで下がりました。寝ている部屋の室温は12-13度、布団の中が心地いいという10度に近いね。
 意外と、これって有り難い。布団や毛布などにくるまっていると暖かくて、なんだか幸せですね。昔の人たちはきっと、干し草の中に潜り込んだりして『ああ、あったかくて気持ちいいなあ』なんて思ったんだろうか。
 こんな日も、昼間は窓越しの日差しがあると、そこは暑い。

 今日のBGMは、波動の法則 現実への実践報告 http://harmonylife.ocnk.net/product/1123

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2018年10月23日
 今朝は8度まで下がりました。朝の室温はどのくらいなんだろう?と温度計を見ると、それでも17度もあった。
 一度4時頃に目が覚めて、でも眠くて疲れていて、ボーっとしながらウトウトと眠っていました。その時に、『布団のなかって温かくて気持ちいいな。とても有り難い』って思った。
 同じようなことを、2001年頃に狛江に住んでいた時に、冬の夜に駅から歩いて帰るときに、かなり風邪をひいていて、疲れ切って、途中の植え込みで休んだりしながら、普段よりも時間がかかって帰った時に、『壁や屋根があって、雨風が凌げるって有り難いなあ』と、風邪っぴきの時に考えた。

 まあ、布団があったり屋根や壁があるのは、当たり前って意識になっているのは仕方ないかも知れないけど、鉱物はデビックをひとつに集約している、そんなわけなのでね。
 これもまた『そんなこと言っても、昔に戻るわけにいかないから。今は現代だから』と言われてしまうけど(笑)、縄文時代や、洞窟で雨風を避けたり、野獣などの脅威から身を守ったりしていた時代だってあったわけだよね。
 そして、竪穴式住居とかさ。土を踏み固めた土間に、直接横たわるのは何だよねってことで、きっと干し草とかを集めて強いて、『ふかふかで気持ちいいな』って思いながら、眠る時間を過ごしていた頃もあるだろう。多分、着の身着のままだろうか。竪穴式住居とかを作っていた時代は、裸じゃないよね。
 ほら、真地球の歴史にも、地球の表面温度が21度の頃に人類が生活しやすいからか、人口が増えて文化が発達するって書いてあったよね。それ以外の時代は寒すぎてね。地球の表面温度って…多分地上数メートルnことだよね。地面に温度計をあてる、土の温度じゃないよね…きっと。
 地球の平均気温、だから、季節にも、地域にも差があって、そういう平均ってことなんだと思います。

 人間が過ごしやすいってだけではなくて、植生など…植生が違えば当然そこに住む動物たちも変わってくる。これは人間活動にも大きな影響があるよね。
 
 なので、一日の最低気温や最高気温を気にするってのは…『暑いからエアコンを使おう』『寒いから暖をとろう』という、それだけで解決する問題ではないんだよね。そりゃ、局地的(家のなかとかね)にはそれでいいし、それが必要な場合だってある。
 
 そんなんで、昔、布団業界が調べた、布団の中が温かくて気持ちいという室温。それは10度なんだって。気温じゃなくて室温だからね。
 17度でも布団の中が暖かくて気持ち良かった。
 なので、人間が快適な環境って…温度のことだけでも、ものすごく狭い範囲だね。
 行った事ないけど、砂漠では火傷してしまうから肌を出せない。全身を覆っている。そしてテレビで見たロシアの極寒の町では数百メートル歩いていく間にも、寒くて大変だから、知っている友達の家に何軒も立ち寄って、コーヒーとトーストを食べながら行くとか。そこまでして何しに何処は行くんだか?これって当然町中の話しですよ。
 本当に遠距離は、車のエンジンが止まってしまうとガソリンがあってもエンジンに点火できなくなってしまって…だから凍死してしまうとか。ちょっとした移動も命がけですね。現代文明の力を使ってもそんな過酷なので、昔はやばかったろう。

 布団などに話しを戻すと、ふわふわした素材で、そこに空気をたくさん含めるから、暖かさをキープできるね。体毛の少なくなっている人間にはなかなか出来ないね。動物、哺乳類は可能だね。
 爬虫類は暑い地域に暮らしているからね。
 昔は、そういう毛皮を動物から少しもらって使っていた。縄文時代には鮭の皮で作った衣類なんかもあったようだけど、想像力が貧困なので、焼鮭の皮しか思い浮かばない(笑)。生臭いだろうなあ。でもそれで寒さや外部からの危険(植物の棘とか)から身を守ったんだよね。
 主に植物の繊維を縒って糸にして、糸を布に織って…。空気を含められるようにしてそれを服にしている。化学繊維、化繊でもそういうふうに鉱物がサポートしてくれているね。
 今は、モノが有り余っている時代で…でも自ら道具となってスタディしてくれる鉱物のエクサピーコがいないんだって。人間のエゴが酷いからだよね。素材としての鉱物になってくれているエクサピーコはいるけど、多くは人間が自我で手を加えないと道具(この場合、服や布団ってことか)になってくれない。

 自我で奴隷化してしまっていて、それでもたんたんと役割をしてくれている、現在身の周りにいる服や布団もろもろにも有り難いね。

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2018年10月20日
 免震装置のデータ偽装がニュースになっていますね。10年、もう少し前にか、耐震設計の偽装うんぬんの事件が取りざたされていました。
 こういう免振装置の導入がマンション購入のポイントになるのも、身近な視点で言うと、家具などのグラつきしにくくなるマットなどが売れるというのも、日本列島がそもそも環太平洋火山帯にどっぷりとあるからですよね。
 ヨーロッパなどだと、昔から石造りの家に住んでいたけど、日本は柔軟性のある木材を中心に家が造られてきたでしょ?そういう地域なんですよね。

 日本各地そんな感じかと思いますが、関東平野を考えると、ずっと昔に火山灰が積もって谷間が平野になっている。ものすごく乱暴な言い方ですが…。なので先月起こった北海道の地震のように地下が滑りやすいってことだし、東日本震災の時に、浦安のディズニーランド周辺が液状化したなんてのと同じ地質っていうわけです。また、これってそのローム層の下に割断層があるわけなんですが、その割断層そのものがわかりにくい。
 高層マンションの免振装置がうんぬんというよりも、砂地(あ、だから地面の下なので)に一生懸命杭を打って、その下の岩盤まではほとんど届いてない状態の土台の上にビルを建てているようなもんなんですよね。
 だから、『免振装置の偽装マンションというのを公表しないで欲しい(資産価値が下がってしまうから)』という、無茶苦茶な理由だよね。なんでも損得にしか頭が回らない…のか。
 関東平野って書きましたが、日本の多くの都市は海岸のそばにあるから、似たような環境が多いんじゃないかな。海外もニューヨークとかさ、海のそばでしょ。

 日本地理院の標高が調べられるサイトです
http://maps.gsi.go.jp/#5/35.362222/138.731389/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
 これに限らす、地図を見るのが昔から好きなんですよね。
 矢板市の南部分まで、関東平野北端になっています。

 断層や地下の岩盤の状態はともかく、標高3メートルの地域だったら、仮にね、10メートルの津波が来たらさ…海岸から何十キロと離れていても…なんて考えちゃうよね。あまりそういうことを顕在意識で考えても仕方ないけど、結構身近な話しなんじゃないかなって思います。なので昔の人達は、ここにいたら危ないよね、っていうのを地名にしたりして未来の人に伝えようと工夫していたんだろうなあ。
 昔の人が呼んでいた地名って意味あるんですよね。〇〇が丘、〇〇〇(カタカナだったりする)台なんて地名はここ何十年かにその地を高く売りたい人達が名まえをつけたようなもんだよね。ないもない平時の時は便利なんだけど何かあったときにこういうのって大変だから、名まえがあったんだよね。

 今日、一日耳にしていたのは、http://harmonylife.ocnk.net/product/986
 2010年講演会DVD『波動の法則』『真地球の歴史』
 いつもね、暗記するようなつもりはまったくなく、聞き流しています。それでいいんだと思っているのでね。

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2018年09月21日
 涼しくて過ごしやすいですね。でも朝方はちょっと寒いくらいですね。
 虫の声が、ここぞとばかりに聞こえてくる、季節が終わっていくのを知っているんだろうなあ。
 明日から、また連休です。こんなにカレンダー上のお休みはなくてもいいのに。調子がくるってしまう…。
 日の出が5時26分、日の入りが17時37分。大体半分くらいだね。もう秋分の日だ。これからどんどん陽が短くなっていく。5時半前にもう朝になっている早いなって思いますが、夕方陽が沈むのも早い。
 午後、眠くなって寝てしまい、目が覚めた時に明るいと『やば、朝になってしまった!』と非常に焦るのですが、日没前だとわかると安心します。

 午前中に道の駅に行った。普段は行かないんだけど、行ってみると『こんなに矢板市に人がいたのか』と思うほどたくさんの人がいた。駐車場のナンバーからも地元にいる人たちだね。
 トマト、オクラ、サツマイモ。そして栗を買った。
 もしかして自分で栗を茹でるのは初めてだったのかも知れない。
 子どもの頃は、母親がやってくれていたから、なんとなく食べ方もわかりますよ。
 しかし、非常に適当だなあ。カフに栗と水(当然エノレコンで調整している水)を入れて、5分くらい煮た。後は余熱でいいだろうと思って。
 出来上がって、切り込みを入れて食べると、固い。栗ってこんなんだったけ?奥さんに訊いてみると、あく抜きして、30分くらい茹でないとダメだよ。と。
 もう一度火を入れます。ほらタイマーとか使わないし、ちゃんと時間を見ないからね。大体30分くらいかなってトコロで火を消しました。

 今度は、ちゃんと食べられました。栗の味がしました。
 
 でもさ、最初に栗を食べようとしたヒトって…だいたいウニのようなイガイガのなかに硬そうな実が入っていて、コレを齧っても硬いでしょ。
 で、土器で縄文土器だろうか、グツグツと茹でたら、ほんのり甘い(苦味やエグ味はない)し美味しいじゃん、ってことで食べ始めたんだろうかな。

 東北の遺跡からは、DNAの同じ栗の化石が発掘されていて、栗が栽培(って言っても少しだよね)された形跡があったとか。
 採取狩猟(漁)生活の時代は意外に豊かだったのかも知れないね。

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2018年09月12日
 『あぶない地名』という本を図書館で借りました。
 元々、固有名詞を含めて、どうして○○は○○って名前になっているんだろう?と思ってしまうので、これは地名の本になるので、面白い。
 とはいえ、細かすぎてね…。池とか着く地名は、先人たちが『災害があった場所だから気を付けるように』って付けた名まえなんですよね。
 でも、解りにくく、埋めといいう名まえだったのを縁起のいい漢字に変えてしまおうと『梅』に変えられていたり、はたまたカタカナの名前になってしまったりと。

 でも、あんまり気にしすぎるとロクなことjないよね。あくまでも先人たちの忠告で地名が付けられているところがあるってこと。じゃあ、なんて名前の場所に住んだらいいのか?そんなのわかりませんよ。

 使われていると(過去も含む)危険な場合がある漢字。
 合、赤、池、川、沢、草、芝、柴、島、宿、泉、沼、又、溝、谷、安、梅、馬、押、金、蒲、熊、隈、弦、萩、端、幡、深、袋、野毛、猿、竜、龍、浦、江、女、津、浜、柿、窪、桜、駒、倉、蛇、柳、雪、牛、蟹、来、黒、森、田。など。
 他にもあるし、これらが使われているから絶対にダメってことでもないよね。

 矢板の名前は、矢板武というヒトがこの辺りの開拓を明治時代にしたらしい。元々の地名は?
 隣の市名が、さくら市なんだよね。これって10年くらい前に氏家と喜連川って町が合併して、さくら市になったよ。
 桜がどうしてダメなの?裂く、が転じて桜って書くようになったとか。

 名前って面白いよね。

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2018年08月17日
悲観的になることでもないけど、もう前世紀から絶滅や絶滅危惧種などがものすごい多数いる。
人間による環境変化の影響も大きいのだろうけど、そもそも[弱肉強食]って言葉自体が、自然の仕組みからずれていて、私たちの文化が歪めて受け取って、表現しています

こんな、歪んだ環境の中では、存続できない種がある
動植物だと目立つから、わかりやすいけど、フゲーエキンたちは特に影響を受けやすいんだろうな

人間を捉えても、同じだよね
繊細な、強いか弱いかで言うと、弱い人たちは滅んでしまう
滅ぶというか、このようなもの歪んだ時空には存在するのが難しいってことだよね
絶滅危惧種でも人間でも、それは文化の後退だよね
だからさ、なんとか踏み止まって頑張るしかない
昔の掛川市長が言っていた
優しくなければ人じゃない
でも、強くなければ生きていけない

うーん、名言だね

日本では、縄文、弥生だけど
他の国、地域ではその頃とうしていたのか?
歴史ってまったくわからないんですが、ユーラシア大陸の遊牧民なんかをちょっと調べたら、結構酷いよね
他の動物や植物たちともそうだけど、有史の記録のある範囲だけど、なんか無残なだなぁ
約5000年前の原子核戦争の後、生き残ったのは他星人のほうが多いのにね
Dの意志、これは日本人のなかに脈々と生きているのにね

Dの事は、わからない事だらけだね

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2018年08月15日
終戦記念日ですね。73年も前のこと。ボクが生まれたのが1968年で、23年後、今から27年で、100年だ。一世紀って意外と短いかも。こうしている間にも時間は過ぎていく、歴史って言うと長い時間のことな気がするけど、新聞やニュースって、何十年も前でも、ちょっと前のことのようだ。
そんなにさ、大昔のことじゃないのに、人の記憶から消えていること。なんかヤバいよね。

ワンピースの連載が21年。73年の4分の1以上だ。最近のマンガだと思っていたけど、90年代からなんだよね。そう、90年代が昔のことになっている。みんな、周囲も年をとるわけだよね。

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2018年08月15日
アイヌ語で、集落って意味みたい。谷村新司の星標https://sp.uta-net.com/song/96470/ で、古丹の笛の音は土がめざめる時♩ってあったけど、8年くらい古丹ってなんだか知らないで聴いていた。
5-7家族くらいが一つの古丹で、狩猟採取が中心の生活だから協力しあっていたんだろうか。

阿佐谷姉妹って、芸人さんのインタビューがネットにあって、40代の未婚女性のコンビで血の繋がりはないけど、似ているから姉妹らしい。で、一緒にアパートで暮らしたりしてて、将来の(老後?)の夢が、アパート一棟所持して、自分たちや仲のいい友だちと暮らすって書いてあった。
今は、昭和30-40年代と違い、生涯独身の人も増えるだろうし、家族がいても、江戸時代の江戸の街中の長屋みたいに、家族連れも単身者も老人も壁や襖を隔てて一つの屋根で生活するのは、無駄な過剰なエネルギーを使わない暮らしが出来るのかも知れない。江戸時代は銭湯だったから、各家庭に内風呂なんてなかったからね。
20年くらい前に、友人が、未来の地球では、そんな風に人が集まっ暮らすんですよ、って言っていた。

20代の頃、暮らしていたところは、年中全国から、、まぁそれでも関東圏くらいが多いけど、人が来ていました。
99%は、平穏ですが、たまに予期しない人物もありましたが、昔のホームドラマのようで色んなことがあり楽しかった。また、子どもの頃の祖父祖母の家は、古い茅葺の家で、田舎だからか、施錠もせずに(当時は)、近所の人が普通に家の中にいる。土間に囲炉裏があって、想像するにずっと昔からそんな風に人が集まる場所だったんだな。

さすがに、今の時勢では鍵はちゃんと掛けた方がいいだろうけど、そんな集落、家があるといいね。

広島に住んでる友だちが、そんな古い家、人が集まる家が大切だよ、と。
よくわかんないけど、宅建と行政書士の資格を取ってそんな家を作る仕事をしたいって、宅建などの資格とどう繋がるのか?そしてもい50歳が目の前だし、ても思ったことをやるのはいいよ。

もう28度、まだ9時なんだけどね。寝苦しかった、24度の時間が夜中から朝方くらいまで。湿度が高いんだよね。夜中に一度起きるとしばらく眠れないね。暑い。

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2018年08月09日
昨日から読んでいた本、日本人の名前の歴史。
いろんな解釈改憲があるだろうけど、古くは時の天皇陛下から賜った(賜ったなんて、日記には書かないけどね)姓や名前、武士の時代のもの、明治維新以後の戸籍を作るときに、地域の和尚さんから名付けてもらったものまで。
どんな経緯にしても、祖先が命懸けで切り開いてきた、武士なんなだったら領地とか。そんなに大げさじゃなくても、開墾した地域、そこに住んでいた人だから、、、って
そんな名字、苗字があるわけですよね。
日本人の苗字には、風景が浮かぶ名称が多いね。山、川、林、池
、海とかさ、地形なんかが入っているよね。

本には、時代による名前のトレンドなんかまた書かれてたり、明治の戸籍制度は、徴兵するための目的だったみたい。あと、税金を取りたい 笑 。
当時の列強、ヨーロッパでも戸籍は徴兵のためで、日本もそれに並ぼうとしてたとか。

うちの、只野は、父や祖父の出身は宮城県ですが、もう少し前の曾祖父あたりは福島県だったとか。そんで、宮城の曾祖母にあたる人が福島県の只野へお嫁に行き、ほどなくして宮城の家が途絶えしまう、、、この辺りのことは知る人がもう死んでいるので、わからない。
で、福島県で只野となって、宮城に一緒に戻ったらしい。
福島県のどの辺りだったのか?これもまったくわからない。
只野は、ただので、漢字が違うけど、但野やさんや多田さんと大元は一緒なのかな。
今は、市町村名としてはないけど、郡山市の西部地域が、多田野地区で、もしかしてそこに先祖が暮らしていたのかな?って思っています。その当時の多分、明治の頃だろうけど、曾祖母の苗字は遊佐だったみたいなので、これもまたいつの頃なのかわかりませんが、山形県に遊佐町ってあって、でもそこには現在は遊佐って名前の人はいないんだって。だから、いつの時代かに、宮城県に来たんだよね。

そして母方は、群馬の昭和村。こちらも和南城っていう苗字で、滋賀の和南という町があって、昔、そこのお城にいた人達が落ち延びてきて、和南城って名前になった。こちらも戦国時代あたりかな。そこから数百年、群馬で結婚が繰り返されてだから、近畿の血筋は薄いよね、 でも入っている。

今、生きている私たち誰もが、必ず両親がいて、両親にも両親がいる。どう思っていても、必ず先祖はいるよね。
どこに住んでいても、日本でも、世界中で。

自分が、自分がっていうか、エクサピーコが学べたりするのも、そのおかげです。
その学びができるよう、最小限の我欲で充分だね。

余談みたくなりますが、苗字じゃなく、名前の方も、両親などの願いが込められている。
大切に、名付けてくれてありがとう。
ボクは二つ名前があるけとね。両方とも好きかな。

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2018年08月08日
夕方6時半くらいから雨が降り始める。まだ日没ではないのに、暗かった。
関東でも海の方は雨がひどいみたい。この辺りは夕方まで晴れていたからね。
日本人の名前の歴史っていう本を図書館で借りました。今月発刊された本でした。まだ途中なので、全体像はわかりませんが、面白い。

なんか、あるんだよね。苗字と名字って違うんだよね。たださ、歴史とか固有名詞は苦手でね。子どもの頃から、暗記物ってダメです。

あとは、今日はワンピース読んだり、ちょっと絵を描いたり。先週木曜日以降、体調崩してる人いるかな?ボクもちょっとだけ不調かな。早めに寝よう。

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2018年06月05日
 エドガーケーシーの映画を観ました。
 エドガーケーシーって?という方のために(笑)20世紀前半にアメリカで活躍した方なんです。眠りながら情報を得る…14000件くらいのリーディングが残されています。1945年1月に亡くなっているので、昭和20年ということですよね。病気に対するリーディングが主なんですが、中にはなるほどって思うような内容がたくさんあります。
 僕は、20歳頃に本を読みました。そういう関連の書籍類のなかで信頼できるものかと思います。

 波動の法則の7章にも、ちょっと名まえが出ていますよね。日蓮、空海らと同じように、宇宙の情報層の8層目の【HCIN】と同調されていたようなのです。もちろんもっと先の時空はあるんでしょうけど、素晴らしいと思います。

 だから、それなりに信頼できる情報かと思います(なんて上から目線なんだろうね・笑)。
 今さ、いろいろと同音異語の本が溢れていますが、ケーシー関連の本は興味あったら読んでもいいと思います。あ、無理に読む必要なんてないし、僕も読まないですからねえ。
 20歳くらいに読んだ内容が記憶の片すみにあるだけです。

 福島県白河で上映されていましたが、栃木県のSさんに誘われて・・これもどんな内容だかわからずに誘ってくれている(笑)。でもエドガーケーシーはずっと前から知っているので、ちょっと見てみようと思いました。

 映画はよかったですよ。色々と考えさせられました。

 ケーシーの生きていた時代は、『戦前』なので、仕方ありませんが、映像なんて残っていませにょね。でも雑音が多い音声が流れて、これはきっと肉声なんだな。ちょっとよかなあなあ。
 でもね、同じ時間使うんだったらウルトラマンティガのほうがいいかな(笑)。 

 僕は、エドガーケーシーのことは好きですよ。

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2018年05月23日
(人物編)日本史&世界史 並列年表
PHP研究所 セブンイレブンで918円

 月曜日に、コンビニって行かないし、欲しいものがあまりないでしょ。
 でも、なくてもいいものなんですけど、ちょっと買ってみようとなったことがあります。
 これは本社の思惑なのか。

 3世紀から第二次世界対戦まで、日本と世界の出来事が人物イラスト付きで紹介されています。

 そもそも、歴史など暗記系のお勉強は苦手なので、知らないんですよね。
 そして、学校などで教えられる歴史が正しくはないと思っています。
 でもね、あまりにも知らなさすぎて、
 先日もクマソっていう言葉を初めて耳にして、それってどんな漢字で書くんですか?
 なんて素っ頓狂な質問をしてしまったりですから(笑)。

 世の中で、間違ってるかも知れないけど、こんな風に捉えられているよ、ってことを頭に入れておこうかな。
 あ、興味ないことはどうせ覚えられないのでね。
 あの人は、あんな時代にいたんだ、とかそういうレベル 笑 で知っておこうと思いました。
 ほら、48億5000万年前から5000年くらい前のことはあの本に書いてあるからね。
 一応、最近の事をね

 でもね、頭にほとんど入ってこない。
 これは本が悪いんじゃなく、僕のディカグが、だよね。
 日本史と世界史が並列ってのがいいんですけどね。

 頭に入ってないけど、歴史のことは何でも訊いてください(嘘です わかりませんから)。


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2018年05月21日
およそ二カ月前に、友人から感動したと教えてもらって、その頃にツタヤで借りて見たのですが、買ってしまいました
お母さんから、無駄遣いはやめなさい!って言われてるでしょう
いえいえ、多分無駄遣いじゃないと思います

ライナーも何もない、ホント飾りっ気のない仕様です
あんまりね、日本映画なんて知らないんですが(当然、洋画もね だって英語だし、字幕読むのって疲れるでしょう)、
1979年の作品で、萬屋錦之介の熱演、なんかエンタメ的盛り上がりも?なんです

日蓮宗とか、創○学会なんて関係ない
鎌倉時代の史実(脚色もあるのかな?)ですが、 そんな時代にもウルトラな人っていたんだなあ、と見ています

映画のことはあまりわかりませんが、主役を張れるような俳優陣が出てるんだって

映画での描写はなかったかもしれませんが、蒙古襲来時の神風は帰ってきたウルトラマンで、津波をバリアで防ぐウルトラマンジャックの姿と被ってしまいます
143分の作品
変身のない、ウルトラ映画として見ています




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