2018年01月25日
高祖母(もしくはその以前)の代の子孫に当る…なのかなあという、遠い親戚の方とお話しできました。現在87歳の御爺さん、祖父母や叔父の(私の父親の生まれ育った)家の100mくらいのお宅の方。
なんせ…当時、当時と言っても50年くらい前を知っている親戚がほぼ亡くなっていて、父親の兄の嫁(叔母さん)に当る方が80代なので記憶も曖昧なんですよね。2015年に叔母に訊きに行ったのですが、そんな感じだったので、僕が訊くよりも叔母の娘に当る従姉に、叔母に根堀葉堀訊いてもらおうとしましたが、同じような感じでした。
ただ、高祖母に当る人が宮城県から福島に嫁に行き、その後、宮城の家がなんらかの理由で途絶えてしまうために、結婚した(只野家)として宮城に戻って来た、ということだった。
高祖母の苗字は『遊佐』だったのだけど、その代(高祖父母だと4世代だけど、3-6くらいで曖昧だね)から只野となったということだった。なので電話で話しをしたのは87歳の遊佐さん。
新説に…こんなね、初めてで一体どこの誰なのかも電話ではわからないだろうけど、『私にわかることはお話ししますよ』と言ってくれた。もうかなり高齢の方でしたが、明晰な感じでした。
父親の長男はもう亡くなっているのですが、遊佐さんは叔父の一つ年上で、若いころに叔父と一緒に仕事をしたそうなんです。父親とは10歳以上年齢も離れていたので、遊んだなどの記憶はなかったようなのです。叔父の家は稲作農家をしていた(僕が子どもの頃ね)。遊佐さんの話しでは、叔父と一緒に自分の田畑の農耕の馬を育てていたそうなんです。この話しはその内従姉にも教えてあげよう、彼女の父親の話しだしね。
遊佐という名前は宮城県大崎市(鳴子温泉ね)に非常に多いんです。どうも元々は山形県遊佐町(ゆざまちという)らしいのですが、現在の遊佐町には遊佐さんはゼロだということです。
まったく歴史の知識がないので、『〇〇氏に仕えた△△氏』などの文章がチンプンカンプンなんで…、ただ、遊佐町の方から落ち延びてきた一族だということを遊佐さんからも聞きました。
電話で話した遊佐さんが、高祖母の遠縁だったとしたら…違っても遊佐さんはだいたいそういう経路みたいなので、きっとそうなのかと思いました。
では、高祖父の只野というのは…テガカリというかは範囲が広すぎて…ナゾです。高祖母は福島に嫁に行き、後に高祖父と一緒に宮城(だから遊佐さんの分家)に戻って来た。福島って広すぎ。
多田野、但野、只野というのは、だいたいおおもとを辿ると一緒らしい。
一つは現在の郡山市西部に明治の頃に多田野村という村があった。どうもその地域がタダノの発祥なんじゃないかと言われている。
二つ目、何時代か忘れましたが、仙台藩・・・っていうから江戸時代かな。只野という名前が残っているとか。
三つめ。現在の相馬…福島第一がある地域ですよね。そこには只野さんがたくさんいるらしい。
父親の生家の栗駒市の立地からして、『福島に嫁に行った』としたら、郡山市よりも相馬市辺りなのだろうか?もうこの辺りのことは知る人は誰もいない。
でもね、遊佐さんと話しができてとてもよかったなあ。
おころで、先祖と祖先って、似たような言葉ですよね。
〇〇家の先祖、私の先祖というように、『先祖』という言葉を使う。
そして、人類の祖先、日本人の祖先というふうに『祖先』という言葉を使うようなんです。
知らないことを知るのって楽しいですね。
僕の日記は、本当に日記なので、メモ書きみたいなものなんで、いつ何をしたか?忘れないようにするためのもの。
ブログなどのように『いいね』をもらうためのじゃないだよね。
だから、読んだ人が何書いてんだかってわかんなくても問題ないのです。
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