ホーム日々のこと(日記)子どもの頃のこと
子どもの頃のこと
日々のこと(日記):75
2021年09月12日
 母親から電話があって、中学の頃によく遊んでいた友だちが亡くなったということだった。
 一緒にガンプラ作ったり、ギターを弾いたり、部活も同じ柔道部だった。彼はカメラをやっていてね。あの頃カメラマンのマンガが流行っていて、クラスで何人も一眼レフなんて持っていた。今と違いスマホやデジカメなんてない時代だからね。
 そこで(笑)、クラスの好きな女の子の写真を撮ってもらった。こちらはよくカメラのことなんてわかんないんだけど、今からすると…ちょっと距離のあるトコロから下校中を撮ってもらった…って盗撮???そんな大げさのモノじゃないよね(笑)。

 おじさんも楽しい方だったなあ。妹がいて、あいつは「ブス美」っていつも呼んでたな。本人と顔がソックリなんだけどね。ボクはそんなふうに呼ばないからね!(名前が◯◯美だったから)
 今思えば、兄妹ふたりともテルマエロマエに出てくる日本人顔だったなあ。
 面白いヤツだったんだけどね。高校は別のところに行ってそこが体育会系だったんだよね。大変だったんだろうね。
 二十歳過ぎてから、何度か会ったんだけどさ、興味の対象が違うからなかなか交流が難しかったなあ。もう四半世紀は会ってないんだけどね。

 ちょうどね、先週に数年ぶりに電話をくれた友達がいてね。24か25くらいの頃からの関わりなんだけど、今も時々連絡を取り合える人として、かなり古い(笑)人。先に書いたように、学生の頃の関わりのある人はもうまったく交流がないからね。
 それで、その時の内容が『新しいDVDを買いたいの』ということだったわけ。こういうのもさ、セポーさんたちがアレコレとサポートしてくれているんだよね。https://harmonylife.ocnk.net/product/1352ハーモニーライフではこういうふうにショッピングカートからよりも電話で「アレ送ってねー」という方のほうが多いんですよ。

 今現在、交流をとれる人(現在地球にいる人ね)とはちょうど30年。確か1991年の10月くらいに初めて会ったので、ホントそのくらいだよ。

 人生で前半はどんどん逢う人が増えてくる。そしてもう53歳だけど、それにつれて別れる人の方が多くなってくる。まだまだ、別れの方が少ないけど、多くなってくるのは間違いないって思うんですよね。

玄冬記 -花散る日-  谷村新司(1980年作品)
♪出逢える人の数よりもなお
別れる人の数が増えてきた
いつかは来ると今日という日が
いつかは来ると知っていた
 https://www.uta-net.com/song/96434/

 旧友の死因を訊いたんだけど、これこそSODがホントは良かったんだろうな。でも受け入れないタイプの人だったからどちらにしてもしょうがないかな。
 https://harmonylife.ocnk.net/product/1228

 人間の命は儚いね。だから本気で生きよう

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2020年12月14日
 車でも新車の時はアクセルもブレーキもギアもハンドルも、好きなように使える。古くなって年季が入ってくると加速や減速などにも気を使うようになります。
 アイドリングもしないで乗り込んだらすぐに走り出す。当たり前のように運転してきた。でもそう出来なくなる時が必ず来る。

 子どもの頃、自転車乗るのも、まず行きたい場所に行くのか優先。怪我をしないようにするのは二の次、三の次。目的優先だから。なので自分の体調がどうのと考えちゃう人のことは意味不明だった。
 例えばさ、多摩川の土手のサイクリングコースは5-6メートルの高さがあるでしょ。ところどころに斜めに自転車も降りれる坂があるけど、その坂を使わずに、直角に自転車で降りる….なんてことは子ども達みんながやっていた。怖気づく奴はだらしない人間というレッテル。今だったら社会問題になりますね。イシメだとかさ。
 しかもあの頃は冬でもみな半ズボン。長ズボンなんて、履いている奴はだらしないと(笑)。
 のどかな、アバウトな時代でした。

 「やりたいことがないのかな?」と思っていた。なので、そういう人は詰まらない人だと思っていました。他にも枠から出ないで安全優先の人なんかをね。
 中学生くらいから将来の安全を考える人なんて、何の為に生きているのか?わからない…。そこは今でもわからないけどね。

 ウルトラマンネクサスの憐の戦い方は向こう見ずの踏ん切りのよさ。…こんな風なドラマのようにひいかない。現実は駆け抜けても明日は続いていく。続いていくから疲れることもカッコ悪いこともたくさんあるね。

。。。
ネット繋がらない
スマホも壊れていますから
入力も変
今奇跡的に回線繋がったな、だから書いてる
電話着信は出来ますから
そういうことです

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2020年11月22日
 『輸血が必要になった場合を考えて、血液型の検査をしました』ということで、そんな必要が将来あると困るのですが…この検査はボクの意志ではないんですよね。
 人生の最中に血液型が変化する人もいる?ようなのですが、生まれてからずっとB型のようです。(+)というのはRHのプラスかマイナスという項目のようなんです。

 昔の刑事ドラマでは、誘拐された人がRHマイナスのAB型で、非常に少ない。なぜか輸血をしないとならないということなんだけど、そんな事情は誘拐犯人は知らない。そこで、主人公の刑事たちの活躍を描く。なんてのがありましたよね。
 中学の時の同級生に西沢君という人がいて、彼がRHマイナスのAB型だった。人の学びは色々ですね。


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2020年11月13日
 小学四年生の時に交通事故に遭って入院した。病室の子ども達はヒマなんですよね~。
 あの頃、口裂け女とかの話題があった。口裂け女は、変質者の女・という程度に考えていたのですが、誰かが『サタン』のことを話して、そんな言葉は知らなかった。
 なんだか怖い。壁もする抜けるし、人にも乗り移る。だから誰がサタンなのかもわからない(笑)。そして、ヨーロッパでは13と言う数字が不吉で、金曜日も悪魔の来る日ということで、その二つが重なる、13日の金曜日というのはとても悪いことがあるのではないか、とみんなピリピリしていた。この十年間で、13日の金曜日はいつだったんだろう?と、今の様にインターネットなどなくて、過去のカレンダーを調べて、『あ、何年生の時の何月が13日の金曜日だった。何かあったかなあ?』と心配になったりしていた。

 幽霊なんかも怖くなかった…あまり怖くなかったけど、ダダ(ウルトラマンに出て来る人間を採集する宇宙人)のように壁をすり抜けられたら、防ぎようがないじゃないか…よくよく思えばオバケのQ太郎だって、透明になったり壁をすり抜ける(でもQちゃんは何かに化けるのは苦手、犬も苦手・笑)。
 サタンが怖かった。十字架に弱いのかな…それはドラキュラか。サタンはいったいどうやったら防げるのか?
 こんなことに子ども達は真剣に考えていた。

 今思えば、マイナスになっている存在のことなのかな。同調しなかったら良い。子どもはそんなことは考えないからね。ヒマだったんだよね、学校にも行けず、毎日ベットに居ないとならないってさ。

日記一覧です。https://harmonylife.ocnk.net/diary クリッかクして下さい。
2020年11月09日
どんな人でも一長一短、素晴らしい面と何とも…な面があるのかな。それは仕方ないかよね。
 ボクは子どもの頃に、「大人は何でも知っているはず」「感情的になんて、大人はなるわけがない。(保育園の)中には癇癪持ちな子がいても、誰もが大人になったら、感情で怒るなんてことはないはず」と、思っていた。

 小学生の低学年な時に「この宇宙は、どこかの実験室か何かの水槽のような中で、たまたま起こった爆発のような(語彙が乏しいけど、原子核融合のような)ことなのかな?」と思い、仕事中の父親に訊いてみました。
 すると「お父さんには分からないよ」と、そりゃそうですね、当然の答えが返ってきました。
 大人でも知らないことがあるんだー、と、思いました。
 同じ頃、学校の新任の先生にも「(タイムマシンを作るのに)、先生は大学っていうすごい学校を卒業しているのだから、原子核エンジン(当時のボクにはすごいエンジンと思っていた)くらいは日曜大工で作ってもらえる」と、考えていた。
 当然新任の先生はちょっと困っていた。そりゃ、教育学卒なわけで、物理学専攻でもない、物理学者でも簡単なわけがない。あまりにも無茶な話ですよねー(笑)、そのくらいのギャップがありましたから…。
 自分が二十歳以上の大人(おじさん)になって、無茶振りする子どもだったんだな…と、わかりましたよ。

 それはともかく、大人は怒ったりなんてする訳がない(群馬の叔父も面白いけそんな感情で怒るなんてなかったhttps://harmonylife.ocnk.net/phone/diary-detail/1678とかね)。
 ましては人から「先」「社長」と呼ばれる人なんて立派過ぎるはずだよね、と思い込んでいた。
 でも、だんだんと自分を含めてそうではない、と分かってきた。自分かワガママなのは(年齢的には二十歳のオジサンなのに未成熟だと思っていた)。なんて脳天気なんだかね。
 
 今の言葉で表せは、[忍耐出来るのが大人で、忍耐出来ないのが子ども」という認識でしたよ。22.23歳の頃に初めて足立さん(建築家の先生と呼ばれる人)に会って、「(この人はなんて立派な大人(人間)なんだ」と、思いましたー。
 比較するのは無理なことですが、他の大人(自分を含めて二十歳以上のオジサンもオバサンも)は、大人になり切れてないんだな、と思っていました。
 愛さんには、些細なことで叱られていたから、身近で信頼している人ても怒るのは仕方ないね、と(笑)思っていましたが、愛さんはボクに対しても忍耐してたんだな、と今になると思えます。

 なので、人間誰もが、得意不得意の分野があって、一長一短は仕方ないこててすよね。
 でも「仕方ないこと」と、思っていたら、良くないんだな、とも思います。
 人間なんだから(エクサピーコが)進化していく必要があるよね。
 スピードは早くても遅くても、前を向いているのは間違いなく必要だよな、と思います。
 
 完璧を求めたら、無理なので、前を向いて、上を向いていこう。
 「上」とは、宇宙のことてすよね、
  毎日生活してると、この世のシガラミだらけですが、上を向いていこう。他の人の一短には目を閉じて…,いけたらは、いいな。

 いつも間にか、ウルトラマンに登場する隊員達が自分よりも若い。公務員なんて、世の中に奉仕したい人ばかりなはず。と思い込んでいましたが、まさか自分の生活の安定の為に仕事している人がいるなんて、驚いた。大人というのも、同じように思っていたから。
 先生や社長たちは、ホント大変ですねー。自らハードルを高く設定している、そうだよね。
 当然ボクは先生てはないし、出来るだけ「先生」と世間で呼ばれている人にも、「◯○先生」と呼ばないようにしています。いいんたか、悪いんだか。わかりませんけど、工夫です。「◯○先生」と呼ばれたら負担ですよね?
 でも、呼ばれたい人もいるのかな?
 「先生」と

人には呼び捨てをしないようにするけど、いかなる人にも、呼び捨てには出来ないんです。(家族は別として。必ず、さん、君、ちゃん、などは付けてささまいます。
 気持ち、敬意を持って、「さん」で人を呼ぶことが多いです。

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2020年10月26日
 10月21日の日記に、群馬県の祖父母の家の思い出を書きましたが、その中で最近母親とみーちゃんが話してて
[富士男君は度胸あった]と言ってたよ、と母親から言われた。https://harmonylife.ocnk.net/phone/diary-detail/1670
 もう忘れてだけど、あの愉快な叔父さんのことでもあるけど、勘のいい方は、もう題名と合わせお気づきでしょう?
 叔父さんの提案の肝試しです。オバケが怖い弟は棄権。夜中にお墓に行ってくるだけ。
 昼間に叔父さんが墓石に何か置いておいて、それを持ち帰るというもの。なので行ったフリは通じない。
 
夜中に懐中電灯ひとつで出かけて、叔父さんも家から見送る。
 なんの変哲もないんだけど、真っ暗でお墓は怖い。叔父さんは地の利を活かし先廻りして、こっそりボクわ観察してたという。
 無事に置物を持ち帰った。怖かったよ〜。

 そのことを、みーちゃんは言っていたみたいだ。んな40年以上前のこと、すっかり忘れてましたけどね。
 幽霊屋敷なども驚くだろうけど、あれは怖かったな。叔父さんが死角から草を揺らす。これだけでオバケのわけないけどね。
 女の子相手には出来ないことだから、嬉々としてやってたをだろうな。
 どこかの叔父さんと
のバカバカしいお話しでした。
 オナラぶっかけられ事件(というより遊び)と併せ、先祖のエクサピーコさんたちは「うちの子孫たちは」と呆れていたかな。

2015年に、昴と一緒に墓参りをした。新しいお墓を作ったとかなので、場所が同じなのかわからない。
お墓ってファルフですよね。カシオペア語?でしたっけ。
現代は墓仕舞い、散骨、樹木葬とか、それが良いのか悪いのか、わからない。
遺骨も、人間が生きている期間よりも長い年月存在するでしょう、日本の土壌は酸性だから、化石となって残りにくい(各地の貝塚が''貝塚"なのは、貝殻は残りやすいから。色々なものが捨てられていたはず)。海外ではもっと長く残っているんですよね。
 焼却されて灰になる。炭素は長く存在するんですよね。ご察しの通り、遺骨にもエクサピーコが宿る。アナタの?知らないよ〜。
なので「人生楽しまなくっちゃ」なんて、よく聞くでしょ、「人生自我と欲を満たさなくっちゃ」と言ってるわけだよね。その期間エクサピーコが学ばないと、何のために生きてるのか?ホントにわからない。ボクだって出来てないし、わからないよ。
 叔父さんはオナラかけるし。
 でもさ、そう考えたら、自我と欲を満たすのは控えようと思った。いやーそれも忘れてしまうけど。

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2020年10月21日
 ボクは三人兄弟の長男なので、兄や姉がいるというのはとても羨ましいなあって子どもの頃から思っていたんですよ。
 母親から電話があって、三つ上の従姉と最近話したことから
  母親の兄、だから叔父さんの子どもたちは三人姉妹で、叔父さんには男の子がいなかった。だからか、夏休みに毎年遊びに行くと面白すぎてね。あ、群馬県の昭和村というところが母親の実家なんですけどね。祖父母と叔父さんたち家族、祖父の妹、従姉妹のうちわけは、上のお姉さんは受験生、真ん中の今回の母親と話したのがみーちゃんが三つ上、一番下のあやちゃんが二つ下。
 僕らが行くと、大変でうるさくて、受く験生のさっちゃんには迷惑かけたなあ、って思うんです。他にもたくさんね。

 では、毎年の夏休みにどんなことがあったのか、というのを羅列しますよ。もう両津勘吉の子どもの頃のお話しみたいなんですが…。まるでマンガだよなあ。

 A 男の子とはバカが出来るので、叔父さんがハメをはずす。四の字固めで羽交い絞めにされて、『屁をぶっこくぞ』と言われて、ホントにされる。臭い…父親はそんなことしなかった(そりゃそうだ)ので、なんて子どものような大人だと思ったり。

 B 土間にある囲炉裏で、ハチの子を燻って食べた。おいしかった。

 C 林道で畑(トマトや桑)に行くときに、他の従兄弟従妹たちと一緒にトラックの荷台に乗せられて、あ…東京ではトラックの荷台に乗って移動はしないよね。そこで、木の蔦があって、掴まったら切れると思っていたら、切れなくて、ボクが荷台から落ちて…ターザン事件、とか。
 
D 家の庭の構造が変わっていて、近所の人たちが通路にしている。だから色んな人が通る。驚きだなあ。
 
E 豪華ではないけど、祖母手作りの蕎麦やこんにゃく、新鮮な野菜が美味しい。味噌も手作りで、あるときお椀の底に得体の知れない虫がたくさん入っていて、祖父に『虫が入っているよ』と言うと、祖父は『虫もつかない味噌なんか食べられるか』と。以来、気を付けて食べているけど、これが美味しい。他の従姉達はどうしていたんだろう?

 F 二つ下の弟も一緒に毎年お世話になっていて、弟はちゃんと言うことを聴く優等生で、ボクはね悪戯がはげしい。だから怒られる。電話も近所で共有?で、『近隣の誰それさんに繋いでください』という電話も来る。東京の家ではない新鮮さだ。
 上の従姉が電話をしているときに、受話器を置くトコロを何度も押して、電話を切る。そりゃあ、さっちゃんに怒られるよね。
 
G 真ん中のみーちゃんは面倒見のいいお姉ちゃんで、暑い中一緒にアイスを買ってくれたり、とても好きだった。好きだったっていっても、別に普通の意味だからね。他の従姉妹と雰囲気が違い、堀北真希や榊原郁恵のような人だった。

 H 下のあやちゃんと、田んぼのほうに遊びに行った時に、ハチに刺された。子どもの知識で『おしっこをかけるといい』というので、おしっこかけて、と頼んだけど(笑・性的な興味はない)あやちゃんは恥ずかしいよ、と言ってやってくれなかった。そりゃあそうだよね(笑)。
 
I 叔父さん叔母さんが畑に行ってるときに、庭にあった軽トラックをニュートラルにして、『こうすると動かせるんだぜ』と他の従兄弟と一緒に悪戯を…勢い余って、鶏小屋を壊してしまった。

J とても怖がりな弟を、普通乗用車のトランクに入れて(叔父さんがね)、夜に墓場で肝試し
 
K ほとんど話したことがないけど、二年生の時に高祖母が亡くなって、お葬式があった。その地の風習でお墓まで運ぶのに小銭やお菓子の包を巻きながら近所の人たちで行列。従兄弟と一緒に一生懸命小銭を拾った。
 今から思うと、土葬だよね。母親に訊いたら火葬場もあるけど土葬だった。子どもだから直接は何もしてないのだけど、そいういうことに立ち会えた時代だったのかなあ
 
L 祖父はもう農業をしてなかったけど、賢明な人で、土曜日には20人くらいの近所の子どもが習字を習いに来ていた。月謝とかももらってなかったけど、こんなにたくさんの人が来るという驚き。この辺りのことは20代半ばでのYOYOでの経験と重なるんです。

 ざっと思い出しただけでたくさんありましたね。とても悪戯ッ子でしたよ。それで最近のみーちゃんと母親の話しで、『叔父さんから(みーちゃんは神奈川に住んでいる)今は群馬に帰って来るな』と言われたとか。近所の眼もあるからね、仕方ないよね。
 それと同時に、『富士男君はよく私が怒っていたから、私のことを嫌っているんじゃないかしら?』と、えー今も昔もみーちゃんを嫌いになる道理がまったくない。人って面白いよね。面倒見のいい従姉なのに、嫌いになるなんてね。会ったのはもう20年も前だなあ。
 と同時に、ちゃんと長男の役割をできてない申し訳なさが、両親や弟たちに対していつもあります。

 母親が最近みーちゃんと話したみたいで『小さいころ富士男君をよく怒っていたから、私のこと嫌いなんじゃないのかなあ』と、みーちゃんが言ってたよ、と。御周知のように散々叱られることをしていたので。
 子どもの頃も今も、ミーちゃんを嫌いになる要素がない…人の捉え方は不思議だね。
 母方の従兄弟は、叔母がいて、少し年上のお姉ちゃんと同学年の従兄弟がいます。ちーちゃんは20年くらい前に突然亡くなってしまっらたので、いとこは三姉妹と男一人。今になって思うと、弟たちもそうですが、同じルーツを持つ、まあ血縁ですよね。

 和南城。日本でもそんなにない名字です。元々は滋賀の和南町、そこにあったお城に住んでいた人たちが、落ち武者なんだろうね、群馬の昭和村に流れ着いた。だから、近所は和南城さんだらけ。でも親戚ではない和南さんも存在するって言ってた。日本で数十軒なんだけどね。
 和南町には、和南さんも和南城さんもまったくいないんだって。城からの落武者?だったひとたの末裔た。落ちています 笑。

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2020年10月13日
 95年から97年に乗っていた車です。もう生産されてなかったから当然中古ですけどね。
 色は一番球数が多かったゴールド。1500CCで運転ししやすくて、ほぼ全面ガラス(だから夏は大変)で快適だったんです。
 都内に住んでいたから、車なんてペーパードライバーだったのですが、逗子での仕事上で他に運転免許を持ったスタッフがいなかったので、仕方なく車を運転してた。
 そして95年に賃貸に住むことになったときに、どちらにしても車が神奈川県では必要でした。確か…80万円くらいだったのかなあ。新車だと160万とか。
 ガルウィングでドアが上に開いて、少し斜めなのでカブトムシの羽のようなカタチ。国産の普通車だけど、駅前などでドアを開けると注目をされる(笑)。一度だけあの人も逗子駅に送って行きましたよ~。

 セラを買おうか…と迷っていた時に、愛さんも面白いもの好きなので(愛さんは日産のエスカルゴという車)、この車いいねえ、ということで購入することにしました。

 97年の冬、高山で廃車にしてしまった。下り坂で雪。止まっている対向車に突っ込んで行ってしまいました。ありがたいことに人的被害がありませんでした。
 とても使いやすくて、可愛かったんですけどね。
 この事故のことから、現在に至る通販の仕事に繋がってもいるんですけどね。人生はわからないものです。

 90年に藤沢のアパートに住んでいた時、トヨタの2000CCの中古車。
 代官山で働くことになった91年には都内の実家だったので車の必要はなし。
 95-97年のセラね。そして大破して。
 ちょっとの間、何かに乗ってたんだけど、都内でA君と暮らすことになって手離して。
 2003年にO川さんの伝手で、トヨタの2000CCくらいの中古車。
 2006年に昴が生まれて、使い勝手からやはりO川さんの伝手で、三菱のRVR。これがまた燃費が悪くてね…大変だった。
 2012年頃に、ワゴンRの中古車。
 2014年にMKワゴンのピンクの新車、中古で探してもらっていたけど、値段の面とね…。
 そして201年に昴と一緒に事故。廃車。新車じゃないとローン難しい?ということで、緑色のMKワゴン。
 2018年に、運転に自信なくなり、手放しました。
 だから今は、日常の買い物もタクシーで行くしかないんです。往復2500円くらいかなあ。それでも車所持の維持費諸々と比べたらいいのかも知れない。なんと言っても、ボクが運転するのは危険だから。その心配がなくなるだけでも違うね。

 十代の頃はバイクに乗っていて、何度も単独物損事故を起こした。母親が心配するわけですね。
 一度だけ、横須賀でうーん、西部警察じゃないか!というくらいムチャをしてしまった。そういうのも全部、セポーさんが守ってくれていたんだな…。

 セラ廃車事故は間違いなく、ボクの死にそうになった数回のうちの一つ。ボクだけではなくて乗っていたみんなのセポーさんがサポートしてくれていたんだと思います。ありがとうございます。

 たまーにね、矢板まで遊びに?来てくれる方がいます。我が家の事情から家に入って頂けないのはココロ苦しいのですが、車で着て頂いたら、近隣のファミレスとかね、行けます。
 宇都宮辺りまで行ってくれたら、もう少し美味しいお店あるかなあ。
 でもさ、今はどの地域でも県外ナンバーの車を敵視する人がいるよね。実際にはあまり知らないけど、ニュースで言っているね。
 東京方面から、この四月五月もお忍びで(芸能人ではあるまいけど・笑)来てくれた方もいます。
 ファミレスとかで、食べる時は別として、カタチ上マスクを着けて、色いろと話しましょう。ついね、声が大きくなってしまう僕だけど、できるだけボソボソとね。マスクにはイオヌレンデhttps://harmonylife.ocnk.net/product/1299を薄めてスプレーしておきましょうね。ほら、周囲の目があるのでね…。

https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/6c452060d9afdd57e66d6048122698b44fbed1da/
セラの写真も出てたー。
 人生色々ですね~。

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2020年09月26日
 みなさんのイメージに反して(?)実は怖がりなんです。かといって先のことを用意周到にできないからダンタンだよね、など思われてしまいます。
 色んな最悪の事を想像すると怖いんです。
 流石に今は違いますが、小学生の時に『胃液は肉や魚も消化する』と知って、胃に穴が開いてしまったらどうしよう?と。
 寝ている間にそうなったら…、起きる頃には身体がなくなっているのかなあ?そのころは魂なんて知らないから、脳も溶けてなくなったら、そんなふうに起きた時に思うこともないのかな?って。もう寝られなくなります(その寝ちゃいますけど)。

 そのくらい心配性です。他にも子どもの頃、『一人になったら寂しくてどうしよう』とかね。これは今でも思うんですよね。
 それと、母親から『アンタは信用しやすいから、人から騙されるんじゃないか』とよく言われていました。
 ウソをつく意味がわからない。だって誰から『Aだよ』と言ったら、その人はAだと思っているからなんだと。でもウソをつく人達は『自分はウソつきです』なんて言わないですよね~。
 なので、誰かが『〇●します』と言ったら、出来ないという場合もあるかも知れないけど、『〇●するつもり』だから、そう受け答えしたと思ってしまいます。これだから母親が心配していたわけですね。
 ですが、いろんな人がいました、今もいるんだと思いますが。

 なんかね、怖いことだらけだなあ。

 今日は涼しいなあ。17-22度くらいなのかなあ。

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2020年09月02日
 眠すぎる~。夢の中で、普段からお世話になっている、年下だけどもとても尊敬している人がいるのですが、昔さ、流行ったアガスティアの葉のようなものに、その彼がとても凄いことになると書かれていた。
 まったくね、起きてからも内容は思い出せない。

 一時間ほど起きていましたが、また眠ってしまって…やはり同じように彼がものすごいことになっている夢を見た。内容がまったく思い出せないのですが。

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 https://harmonylife.ocnk.net/diary-detail/1613
 20代の頃の、友だちの話しです。この日の日記の続きね。
 まあ、しょうもないお話しなのでね。

 彼の生まれ育ったマンションの一階のラーメンと定食屋さん。そのお店の娘さんがだいたい同年代でいた。だから当時20代半ばかな。
 マンションのそばを一緒に歩いていると、向う側からその女の人が歩いて来た。
 彼は顔を伏せて、ボクに言う。『目を合わせちゃいけない。食べられてしまう』(笑)、と。
 きっと二人は小さいころからの仲なんだろうけどさ。確かにね、その女性と会話はしてないけどもジャイ子(=ジャイアンの妹)のような風貌だった。
 それにしても、彼が言っていた『ボクのおふくろの味はあのお店」って、お母さんは専業主婦だったので、ご飯を作ってくれていただろう?

 夜半11時から23度。少し雨音がする。一階だから屋根に降る音は聞こえないけど、目の前に茂っている草木や土を敲く音がする。虫の声はずっと聞こえるね。

 夢とは関係ないけど、妙な胸騒ぎ(サザンじゃないからね)がする。
 日々色々な人に感謝する時間を作っていますが、疲れていたり眠かったりすると、途中で寝てしまう。寝なくても出来なくなってしまう時があります。
 時空が厳しいんだなあと思います。
 大小のブラックホールが全体に来ているというけども、こういうことなのかなあ。だからこそ自分の時空元を高いところにキープしないとなりませんね。
 あ、感謝が出来ない時もありますけど、基本的に一日に何度もそういう時間を作っていますよ。

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2020年06月02日
 とても珍しいことなのですが、焼きそばを食べたくなって、スーパーで買いましたよ。
 そもそも、ソースの味ってあまり好きではないのでどちらかというと使わないんですね。たまに使いますよ。
 ナツメヤシをベースに甘じょっぱい…そう甘じょっぱいものがイヤなんですね~。みたらしとか照り焼きソースとかもね。

 そんなので、ソース焼きそばはほとんど食べないんです。そして出来立ては熱いでしょ、冷めないと、熱くてソース味なんてね~。そういう意味でお好み焼きとかもそうなのかなあ。
 とにかく、焼きそばを食べたくなって買ったんです。でも失敗した~。300円くらいなんだけどね…。

 ボクのイメージしていたのは、子どもの頃に母親が作ってくれていた、キャベツ玉ねぎピーマンが少し焦げていて、麺もしっかりと焼きこまれて、そこにソース(昔は多分、粉のだよね)が、これもちゃんと少し炒められている…だから、ちょっとコゲがあるくらいな麺の表面がしっかりと味が染みているようなのが食べたかったわけです。
 しかし、買って来た焼きそばは豚肉が入っているのは仕方ない(だから取り除く)けど、玉ねぎピーマンが入ってない。しかも野菜が過熱はされているけど、ちゃんと焼かれている雰囲気がない。これは…焼きそばではない。加熱した中華麺や肉野菜をソースで絡めたような…、ああ失敗。

 そう言えばさ、もう中学生くらいに一度だけ食べたことあるけど、カップ麺の焼きそばって、お湯を入れて、お湯を切って、ソースを絡める。これって『焼きそば』として売っていちゃダメですよね。『やきそば風』とかの表記にしないと。

 スパゲッティでも…あ、パスタではななくて、スパゲッティです(笑)。一度麺を炒めたほうがしっかりと美味しいですよね。ちゃんとした自家製麺のお店ならともかく、乾麺スパを使っているのだったら、茹で上げてソースをかけるだけなんてね。

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2020年05月08日
ウルトラセブン38話『勇気ある戦い』。セブンらしくない完全な子ども向けのストーリー。
心臓手術をするおさむ少年はアンヌ隊員の友人の弟。手術前にダンに会いたいと、約束をする。
しかし、侵略ロボットを食い止めるためにU警備隊やセブンは奮闘する。手術前には間に合わなかった。
手術後の意識が朦朧としているベットの脇に、赤い戦士が立っていた。というお話し。
https://imagination.m-78.jp/video/dm9kL2FlMTIwNmRfbTAwMDAwMDAzMg%3D%3D

ボクは小4の時に交通事故で両足骨折して7カ月入院しました。右足の治りが悪く、手術をすることになった。
怪我をして縫合などは何度かしていましたが、わざわざ身体を切るというのが怖かった。
しかし、全身麻酔であっという間に眠っていて、その間に手術は終わっていた。
病室で、麻酔が切れと痛い。当然だ。セブンが来てくれないかと思ったけど、セブンは来なかった。

常にピンチの連続だね。
///////
比喩に比喩を重ねているからねえ。今日の出来事とは関係なさそうでしょ。セブンの話しは真実そのものなんですけどね。
わからなくていいんです。

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2020年03月27日
 中国の主だった工場などが再稼働した、というニュースがずいぶん前にあった。ところが、昨年の中国のGDPの内訳は、第一次産業が3.8%、第二次産業が36.8%、第三次産業が59.4%。つまり、GDPの6割を占めるサービス業が復興しない限り、中国経済の真の復興にはならない。

 ピンと来ないと思うので…日本のGDPの内訳は、ざっくりと第一次産業が16%、第二次産業が20%、第三次産業が残りの割合ってなりますね(2018年)。農業は第一次産業内で、それでも13%くらい。高齢化・後継者がいないなどの問題は山積みですが、意外とパーセンテージは高いんですね。

 つまり、中国の場合はGDPの6割を占めるサービス業が復興しない限り、中国経済の真の復興にはならない。でもさ、中国の産業がサービス業とかがこんなに多いなんてね。だって、中国に行ってレストランで食事なんてしたくないですよね。高級店や高級ホテル(香港などの)だったらいいけど、なんか食べたり、一般的なホテルに泊まるなんて…危険な気がする。
 
 茨城県長野も、東京に自粛って出てた。富山県からもね~。
 贅沢したり、観光とか、和牛商品券がうんうんとか…だいたい牛の肉を買って食べないからなあ。そういう仕事している人たちも、もっと違うことを探したらいいのになあと思う。

 母親と電話で話した。今の世界の状況や『こんなになるのは当たり前だよな』という話しをすると聴く耳持たないから(笑)。もう78歳だから好きなように生きたらいいね。いつね、どうなってもという年齢だと思うので…。
 祖父や祖母、そのまた両親のこととかを訊いておかないと。知ってる人がいなくなったら、まるでわからなくなる。
 従姉の話しだと『私たちの親兄弟(なのでオジサンや母親たち)は残念な人たちだから(笑)』と。
 祖父は賢明な人だった。農家だけど、研究熱心で、県から表彰されたり、家系図を作製していたり(これも叔父に廃棄されたみたい)、晩年は地域の子ども達に習字も無報酬で教えていたり(20-30人田舎の家に来ていた)、今日訊いた話では絵も描いていたそうなんだ。この作品も叔父に破棄されたんだろうな。
 残っていたらもらいたかった。
 
 曾祖父は厳格な人だったみたいで、一週間くらい前の日記にも書いたけど『仲寿』って人。やたらとメデタイ名前ですよね。『ジュ』も入っているし(笑)。https://harmonylife.ocnk.net/diary-detail/1467
 
 ボクが子どもの頃は、トマトやこんにゃく、桑の葉を栽培していた。他ね、自宅で食べるものはなんでもね。祖母は元々身体が弱かったみたいだけど、若いころに医者から『カエルを食べるといい』と言われて、それからとても元気だった。田んぼを散歩していると、小さい緑色がカエルがいる。捕まえて『おばあちゃん、食べる?』と言うと、小さいカエルですが、生きたまま口に加えて食べてしまいます。ちょっとね、流石に驚きましたよ~。東京暮らしのボクからすると、田舎暮らしの人は凄い!と。(大抵の方はしませんから)
 この祖母も、一緒に暮らしていた従姉からすると『祖母ほどやさしい人はいない』と言う。そして、うちの母親のことを『(外見が)祖母にそっくりだと』。なので、母親にも『性格とかじゃなくて、あくまで顔だちのことをさっちゃんは言ってたんだからね』と釘を刺しておきます(笑)。
 
 今もそうだけど、群馬の田舎の家は、茅葺屋根(今はトタンで囲っているのか)。二階というか屋根裏部分が広くて、ずっと昔(江戸時代?)とかは、蚕の繭を育てていた。そのための桑の栽培。子どもの頃はどこかに納入していたんだろうけど。
 だいたいなんでも手作りしていた。味噌や醤油とか。お味噌汁には謎の虫の死骸が入っていて、食べられなかった(笑)。
 贅沢な食事はなかったけど、夏などはソバやうどんを当然手作り。麺つゆなんてもなかったから、作っていたんだろうね。東京の実家で食べるソバやウドンが別物のようだった。今だったら高級品となるのかも知れないけど、乾麺などを買ってくるのではなくて、自分の家は近所で作った小麦などから、ウドンなどを作る。
 囲炉裏で、初めて見る得体の知れないモノ…ハチの子を燻して、食べさせてもらった。惜しいかったなあ。

 そんな空間の家で先祖の人たちは暮らしていたんだ。でも知っている人
だから母親)がいなくなったら、知らないまま暮らすことになるね。
 訊けるときに訊いておかないとね。

 何人から問い合わせいただいた『純米せんべい』です。立正堂という杉並区の会社の製品みたいです。https://www.risshodo.com/
 工場が茨城と福島にあるから、主に関東地方と東北地方のスーパーなどで買えるみたい。てっきり、いろんなお菓子をつくっていると思っていたら、なんとこのせんべいだけ。ひたすら50年。凄いねえ。サイトを見ると食べたくなりますよ。

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2020年03月11日
10日の日記とも関係あるのですが(関係があるかどうかも怪しいねえ・笑)。11日の日記二本目。
http://harmonylife.ocnk.net/diary-detail/1465

 あー、ちょっと神経質な方は『個人情報が…云々』とか言うかも知れないけど、ボクのことだし、そもそもずっと前に亡くなっている人・曽祖父(祖父の父、ひいおじいちゃん)のことで。
 父方の曽祖父が『幸七』、母方の曽祖父が『仲寿(なかじゅ)』ということが五年前に知った。
 写真も…遺影をiPhoneで撮って来た。こういう人だったんだ~とね。

 幸七さんが明治十年代前半、仲寿さんが明治十年代後半生まれだった。
 どうして?10日の日記に関係あるの?ということですが、これまたわかる人はいないんですけど、名前に【七】が入っているってことは、七男か七番目の子どもだったんだろうか、と思います。だからその長男や長女の人は多分、江戸時代の生まれだと思う(育った時代は明治ですよね)。
 もし【超七だったら…直訳がウルトラセブンですよね】。パロディ要素の強いウルトラマンゼアスやマイテジャックに森次晃嗣がゲスト出演したときの役名が弾超七だ。ちなみにマイティジャックは見た事がないんですけどね。http://blog.livedoor.jp/simoon1965/archives/50481547.html

 このこと…曽祖父の名前や写真を知ったのは45歳頃のこと。ずっと…セブンがいてくれたんだよね。
 ウルトラ銀河伝説で、ウルトラマンゼロが初登場なわけだけど、べリアルに歌舞伎のような大見得を切るかのように、『オレはウルトラマンゼロ!セブンの息子だ』言う。…これもね…『ゼロはないんだよね』とかポイントずれたことを考えるのは面倒なねえ…自分で情報を得ている人ならともかく、知識がいっぱいなだけの人。自然の仕組みにゼロという概念はありえない、というわけですね。
ここでは円谷プロが付けたネーミングなだけだから。『七・セブン』の話しをしているだけで、そのオマケだからね。

 幸七さんの名前は、七番目なのか…と察しがつくが、まったくわからないのが仲寿さん。母親が言うには、家族からも周囲の人たちからも『なかじゅさん』と呼ばれていたらしい。あ、【なかとし】ではなくて、【なかじゅ】ですからね。
 この名前、そのまた親の高祖父たちが名付けたとしても、いったいどいう経緯なのだろう?何か、詩人や歌人の名前やその作品のなかにある言葉からなのか?さっぱりわからない。ただね、なんだか演技の良い名前だよなあって思います。
 他のわかっている祖父母たちの名前は、その時代ならあるだろうなあという名前です。この【仲寿さん】だけがホントわからない。

 こんなふうに書いていると、幸七さんだけがセブンと思うでしょ。でも、仲寿さんは『ジュ』なんだよね。なるほど~、と曾祖父たちに名前って…少しびっくりだなあ。

 誰か教えて欲しいけど、もうわかる人や知っている人はこの世にいないよなあ。
 これに限らず、【知らないということは罪】なんですよね。感謝が出来てないわけで、今回の日記もウルトラセブンのことを知っていたら、何倍も面白い…はず。でも知らない罪深い人たち(冗談ですからね)にも、なんとなくわかるように書いています。
 本当、自然の仕組みを知らないということは、無視をして、自我と欲を再現なく拡大してしまっているかも知れない。ほら、罪だなあって思うでしょ?

 昨日今日は、家でゆっくりしているだけですが、とても疲れが回復してきている。『セブン暗殺計画』でガッツ星人の策略により十字架に囚われたセブンに、ウルトラメディカライザーでのサポート(あの時代はウルトラの星からの支援ではなく、地球防衛軍の奮闘だね)によって、回復する。
 そんな感じだね。立ち上がるときに『ジュワッ!』って言わなくてもできる(笑)。ありがたいことです。一応ねこの日記には『ただ寝てただけ』と書いているし、実際やってたことはそうなんですが、いろいろとあったんだろうなと思います。『セブン暗殺計画』の時のようなことがね。読んでくれている人がどう思うかなんて、どうでもいいと言えばいいですけどね。
 今日の感じだったら、四月上旬に一日くらい東京に行っても大丈夫かな、なんて思ってしまう。先はなんともだけどね。
 まさかね。こういうふうに書くとさあ…知っている人は知っているわけですが、知らないヒトからするとボクが感染症になっているとか懸念を持つ人もいるのかなあ?そういうトンチンカンな人は相手に出来ないのでいいんですけどね。うーん、かなり攻めている日記になったね。
 してないからね、念のためにバカみたいなことですが、書いておきますよ~。

 ちなみに、ウルトラマンゼロのネーミングはボクもなんだかなあ、って思います。それでも進化をしていって、最新ではウルトラマンゼロビヨンドってなるんですよね。ビヨンドって…超えるという意味ですよね。
 自分を超えていこう!
 うまく締めましたね!

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2019年12月07日
 やたら寒いですね。
 もうコタツから出られません(笑)
 冬にコタツと言えばみかん。
 みかんに葉っぱがついていた。なんてことない話しですが、子どもの頃はこれが嬉しかった。

 小学生の頃に、家の外階段の脇に父親が植えたみかんの木があった。揚羽蝶の幼虫をなぜか虫かごに飼って、かんきつ系の葉っぱを食べるんですよね。結局みかんの実がなったことはなかったけどね。
 それにしてもみかんが美味しい。毎日5-6個食べてしまう。冬の果物のリンゴや柿よりも好きだなあ。柿は当たりはずれがあるというか、子どもの頃からあまり食べないなあ。干し柿は甘すぎてねえ。
 我が家の冷凍室はパンパンだから無理なんだけど、冷凍ミカンにして夏にも食べたい!
 きっと縄文時代の人たちも、主食だったに違いない。手で剥けるし美味しいし。みかんがその辺に成っていたいいよね。

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2019年11月11日
 ちょっとのことで怒っちゃう人はイヤだなあ。
 父親は怒りにまかせて怒ることがなかった。よく叱られていたけどね。
 小学校に上がって、隣のクラスの先生が生徒を呼び捨てにしていて、『大人の人なのに、子どもたちを呼び捨てにしているなんて、悪い人だ』と思っていた。別に怖かったり、怒りっぽいということではなかったんだけど、自分より年下の人間(だから生徒たち)を呼び捨てにするなんて、考えられない。
 父親は小さな工場をやっていたけど、働いていた人たちのことを、君付けや、あだ名(小松さん=こまっちゃん)とかで呼んでいた。当然、本人がいないところでも。
 だから、癇癪を起している子どもを見かけると、『あの子も子どもだから仕方ないよね』と思った。
 でも、だんだんと世界が広がっていくと、大人なのに怒っている人を見かけるようになった。『大人なのに、あの人はどうして???』と不思議に思うような子ども時代だった。

 ウルトラマンの防衛チームの隊員も、だいたいいい人で、中には主人公に厳しい隊員もいるけど、隊長格の人は誰もが立派な人格だった。
 科学特捜隊のムラマツキャップ、ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長。MATの加藤隊長に伊吹隊長。TACの竜隊長。ZATの朝比奈隊長と荒垣副隊長。MACはモロボシダンはゲンを鍛えないとならない立場であったけど、やさしさがあった。UGMのオオヤマキャップとイトウチーフ。オオヤマキャップを演じていた中山仁が亡くなったとニュースであった。

 そうそう、ウルトラマン=ハヤタ隊員の黒部進が80歳。昭和14年生まれ。同級生だね、でもウルトラマンは1066年の時に2万歳。今は53を足して、20053歳ということか。

 威張る大人は変だよね。隊長にはなれないね。
 
 YOYOで働いていた時も、愛さんにはよく叱られたけどさ。でもケンカというか、どうしたらよりいいかをあーだこーだとよくやっていました。決して威張らない。
 防衛チームで働いたことはありませんが(笑)、両親をはじめそういう大人たちがいてくれたなあ。今となってはとても感謝しています。
 まして、『長』が付く役職なのに、威張っている人はダメだなと、子どもの頃に刷り込まれていた。いやいや誰も刷り込んではない、自分で思うようになっていた。 

 さっきウトウトした時に夢を見た。子どもの頃に住んでいた家に、父親の一番下の弟、だからボクの叔父さんが出てきた。夢の中で初めて出てきた。もう70代後半だと思うんですが、40代くらいの姿で。
 そして…父方の祖父は会ったことがない。というのは、ボクが生まれる前、両親が結婚する前に他界しているからだった。
 そしてそのH叔父さんが、『おじいちゃんの話しを聞かせてやるよ』と。『お父さんから話しを少し聴いたくらいだから聞きたいよ』と答える。
 夢のなかだから、時間が交錯していて、息子の昴もいる。そしてH叔父さんは『話しをするのは叔父さんじゃなくて、F叔父さんだよ』と。
 F叔父は、父親より年上で、多分20年以上前に他界している。
 
 この時点で、???何かおかしいじゃないかと気づく。夢の中で、『これは夢なのか』と思った。
 そして、(夢の続き)TUTAYAに返却しないとならないCDが出てきた。延長料金がいったいいくらくらいになるんだろう?と考えてしまう夢だった。

 夢に出てきたH叔父さんは、警察官…だった。昨日のパレードの映像で警護の警察の様子を見ていたから、こんな夢に出てきたのかも知れない。
 祖父のことは、厳しい人だったと父親から聞かされている。父母からは『戦争に出兵した。でも無事戻って来た』と聞いている。これがすべてだ。4年前に昴と宮城県にお墓参りに行った。田舎の家に飾ってあった遺影を、子どもの頃からほぼ初めて見た。子どもの頃から飾ってあったに違いない。
 でも、子どもの頃は何の興味もないから、『おじいちゃんは死んでいる』という認識しかなかったんで。
 iPhoneに、遺影を写している。若いころの写真なんだろうか。バックに木があって、甚平を着て、坊主頭。精悍な顔だち…なのかな。
 こうした先祖の方がいるから、自分が存在する。父親より『厳しい人だった』と聞いているけど、時代なんだろうね。

 さっきね、母親と電話したら、昨日のパレードに行っていた。皇居の何とか門から入って、雅子さん側だったから、天皇陛下の顔は見れなかったけど、と。
 しかも、10時過ぎに川崎の家を出かけて…前の晩から行ってる人もいるのに、舐め腐っていた(笑)。こういうことが好きな友だちに誘われて行ったんだって。一生に一度くらいだからね、こういう機会は。

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2019年11月09日
 今できることをやるしかない。と思っているのですが、夜中に目が覚める。
 足がつって、痛たたた…。

 ちょっと…悍ましいというか、勘弁してくれよ~という夢を見ていて、痛くて目が覚めた。
 その後、もう一度眠った。この時はお姉ちゃんが出て来て、まあ安心したんだけどね。

 そして…朝から電話があり、『私はいつから捻くれているんですか?』って…そんなの知るか!
 変なUさんでした。Uさんは色々といますが、“変な”と形容されるUさんは一人だけだと思います。素直に生きたらいいよ、Uさん。なんていうと『私は素直ですよ』と言うんだろうな。自我に対して素直というか…。Uさんを知っている方は『あのUさんのことかな?』と浮かべていることでしょう。そのUさんです(笑)。

 小学生の頃に、車で父親や母親の実家に行き来したときに、今はなき“すかいらーく”が出始めていたんだよね。肉は嫌いだったから、ミックスフライセットなるものをよく頼んでいました。
 大きな帆立のフライと玉ねぎのフライ。あと何が載っていたんだろう。帆立のフライが今のガストなどにメニューにはない。また食べてみたいものなんだけどね。
 カキフライじゃなくて、帆立のフライが食べたい。
 当時は、フライにマヨネーズみたいなもの(タルタルソースのこと)をつけて食べるなんて気持ち悪いと思ってたので、ソースで食べていた。今はタルタルソースが美味しいと思う。でもマヨネーズベースなんだよね。索子の具材次第で美味しいよね。

 貝塚が出来るくらい、帆立を食べたい。何万年後に遺跡になるかも知れない。

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2019年11月05日
 子どもの頃に、母親が作ってくれたのはマカロニグラタン。
 あの頃はとろけるチーズなんてレストラン以外で見たことないね。
 マカロニ、玉ねぎ、にんじん、鶏肉をクリームソースで敢えて、多分ハウスのシチューだね。
 パン粉と粉チーズを振りかけてオープンで焼いたものだ。
 毎年冬になると東京に出て来ていた父方の祖母が、『美味しい美味しい、こんなに美味しいのは食べたことがない』と言った。祖母は明治十年代生まれだった。

 昔の食糧事情は大変だったようだ。米農家だったから、そこは恵まれていたかも知れない。
 でも戦争で旦那…つまり祖父が戦地に赴いたり、今とは違う厳しさのある時代だったんだろう。
 祖父は幸いに戦地から帰ってきたけど、その兄弟たちには戦死した人もいる。
 生きるのに、子どもたち 父親たち を育ててるのに命がけだったんだろうなぁ。
 そのおかげで、自分もいる。祖母は、『美味しい』以外のどんな気持ちでグラタンを食べたのだろう。

 11月の二回目の鼎談配信の準備をしています。みなさんからのメールコメントを整理しています。とても楽しい内容です。配信のメンバーのみなさま、楽しみに待っててくださいね。早ければ今夜、遅ければ明日送信します。

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2019年10月03日
 こういうのワクワクしちゃうんですよね。
 昔の地球がどんなだったか?恐竜がいてどうのとか、そういうアレアレじゃなくて、どういう地形をしていたかとかさ。大陸のプレートがどいうふうに今と違うのか?なんてことね。

 ほら、日本列島も伊豆地方は、他の地域と植生が違っていて、どこかから(どこだよ?)島が動いて来たとか。今だって、海岸線がどんどん動いているんですよね。アイスランドかどっかのほうでは火山が…その幅が広がっているとか。その近くに住んでいたらどうするんだろう?

 でもさ、アトランティスは人間の自我の振動波の影響で沈んだんですよね。こういう自然現象も人間の出している振動波へのメッセージなんだろうなあ。

http://www.falfarut.jp/hkankyovision.htm#006
 小学三年生の時に、タイムマシンを作ろうとした話し(出来るわけがないけど・笑)
 この時の目的は、ここまま行くと、人間が住めなくなる環境になるから、昔に行って、そのことを昔の人に言ってなんとかしよう。というのと親やクラスの友だちを過去に避難(未来が変わらないとしたらという意味で)という目的でした。
 単純に、タイムボカンのようなタイムマシンが欲しかったというのが大きいですね。
 だから、逗子の建物が出来た時には『地球が48億5000万年待ってた時空間』と聞いたので(確かそんな感じだったような)ので、『これはタイムマシンじゃないか!』と思いました。基本的に子どもの頃と変わってないですね~。

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2019年09月18日
昔の写真を見てると楽しいね。色んなことがありすぎる。

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